これまで生きていた世界から離れ、
徒然と暇な時間を過ごしていると、
ついついテレビや新聞を読んでしまう。

ほうほう、俗世間はこういうことを考えているのかという
高踏な思考をしてしまう自分がいるのに気づく。

でも、今の自分の目的である「思考停止」をするのに
徐々に成功しているらしい。

世界の真実は、
学問の世界にあるのではなく、
現実の世界にある。

頭であれこれ考えるのではなく、
いろんな人に会って話をしたり、
いろんな経験をすることが
真実に近づく。

本を読んでみても、結局は、
現実世界を”言葉”という記号を通じて、
人に伝えるようにしたものに過ぎない。

だったら、本を読むよりも、
世界というものを
自分の目で見て、
自分で経験するのが
一番なのではないだろうか。

そのためには、「思考停止」をして、
世界のあるがままを
そのまま感じる必要がある。


(追伸:あるがままを感じるという思想は、
    私が中学校のときの思想です。
    「勉強」というプロセスによって、忘れてしまった思想を、
    「勉強」を放棄することで思い出したというのが実感です。)
手書きに比べ電子メールはウソをつきやすい傾向(アメーバニュース)

アメリカリーハイ大学が発表した実験の結果だそうだ。
お金を渡して、二人で配分させるという実験。
実際にお金をあげる必要があるという問題はあるものの、
やり方もそうは難しくないし、卒論ぐらいでも十分できそうな研究内容だなぁ。
論文を読んだわけではないので、こう考えるのは早計かもしれないけど…。

昔から心理学の論文とか読んでいると、心理学の実験は、
対象や手法に?となることが多い。
人間を、しかも心というものを対象とする学問である以上、
それは仕方ないのかもしれないけども、
もっと頑張ってくれないかなぁ。

このニュースだって、「筆跡すら残らず、匿名性が高まるメールのほうがウソをつきやすい」
というのは、当たり前のように思える…。(実証したことに意味があるのかもしれないけど)

『天空の城ラピュタ』のモデルとなった遺跡【紛争のタイ・カンボジア】(アメーバニュース)

カンボジアに行ったとき、現地で雇ったトゥクトゥク(バイクタクシー)のお兄さんが
この遺跡に連れて行こうと強く勧誘された。
午後の飛行機に乗るのに、朝から行けば大丈夫とまで言われて。
はじめての一人海外だったので、そんなリスクは取らず、結局行かなかったけども、
今となっては少し後悔。
まぁ、そのときにはすでにたくさん遺跡を見て、お腹いっぱいだったから仕方ないかな。
カンボジア(シェムリアップ)はめちゃくちゃたくさん遺跡があるから、行くのはオススメです。
だいぶ観光地化されてしまってはいるけど。

お祭りや宴が盛大であればあるほど、
それが終わったときに、より寂寥を感じる。
どんなに楽しい時間を過ごしてても、
終わりとともに、日常に帰らねばならない。
だが、一度祭りを経験すると、
また祭りを経験したくなる。
祭りのときのために、頑張るということが可能になる。
好循環だ。

しかし、そのような「祭り」の経験が
日常生活に与える悪影響はないのだろうか?
祭りで興奮し、高揚感に胸を躍らせ、
何にも代えがたい至高の経験をする。
日常では到底できない経験。
それが日常生活に悪影響が生じさせるってどんなときだろう?

んー、こんなのはどうだろう。
祭りの残像を追い求めて、日常で満足できなくなるってシナリオは。

日常でも楽しいこと、興奮するようなことはあるだろう。
でも、それがかつて経験した、祭りのときと比べると、
薄っぺらいものに感じてしまう。

本当は日常でも幸せを感じるべきだし、
これまでであれば幸せに感じたことであろうと、
「祭り」のときと比較してしまうと、
どうしても物足りなく感じてしまう。

だから、祭りを求める。
日常を軽んじてでさえも。
アハハ、そうして日常は崩壊だ。
こんな悪循環が生じることもあるんじゃないかな。

この構図は、まるで麻薬中毒者のよう。
麻薬なんかなくても、日常生活を送っていかなきゃいけないのにね。
もう二度と手に入らない麻薬を求めちゃダメ。
いや、そもそも麻薬に手を出した時点でダメなのか。
でも、麻薬と知らずに手を出していたら、どうしたらいいのか。
それに、「麻薬」も、使い方によっては、大いに役立つものなのに。

…苦しくても、「麻薬」は絶たないといけないとは頭では分かっているのだけど。
スーパーとかで買い物をするときに、
賞味期限が新しいものを買うために
後ろのほうにある商品を買うほうがよい。

そんなことを言われているけども、
お店としては古くなった商品は
廃棄しないといけないから売り上げに響く。
そうなったら食べ物を粗末にすることになる。
廃棄するための環境への負荷も生じる。
店まで持ってきた輸送コストなどもムダになる。
だから、手前にある商品を買って、
すぐに消費するほうが良いんじゃないかな。
少しでも良いものを欲しがる消費者心理は理解はできるのだけど。

でもでも、回転寿司に行くと、欲しいものがあっても、
廻っているのではなく、わざわざ注文してしまうのだなぁ。

人間って矛盾してるなぁ。


とある「仕事」で、上司にこの上なく

手際の悪い「仕事」をされて、迷惑を蒙った。


一緒に仕事をやっていた同僚は、

あまりの手際の悪さに切れていた。

直前の無茶な要求、予定がずっと未定、急遽変更などなど。

そのせいで、「取引先」にも迷惑をかける始末。

当の上司は、「仕事」を放置して、海外逃亡。


まあ、こんなことはよくあること。

部下が始末をするしかない。

上司にも都合があるのだろう。

そんな割り切りをしていた自分。


でも、こんな「仕事」から、実は大きく学ぶことがあった。

というのも、同僚が上司の仕事ぶりに怒って、

自分はそうやらないようにしようと、

テキパキと迅速に仕事をこなすようになったからだ。


本人曰く、手際の悪い仕事をすることが

どれだけ相手に迷惑になるか身に染みて分かったからだそうだ。


今回の「仕事」はとりあえず処理だけしておこうとなっていた

自分が恥ずかしい。活かそうと思えば、いくらでも活かせるのだ。


*****

仕事は円滑に進むほうが良いのかもしれないが、

たまに問題が起こったほうが人は成長するのかもしれない。

…とはいえ、問題が起こりそうなら、

事前に対処しようとしたくなってしまう自分がいる。

問題が起こってもいいから、

他人に任せるだけの度量、覚悟を持てるようになりたい。