ファンになるキッカケは何だろうか?
地元のチームだからか、好きな選手がいるからか、
チームカラーが好きだからか。十人十色の理由があるだろう。

では、ファンであると自称できるにはどういう条件が必要だろうか?
なんとなく好きとかでも良いかもしれないけども、
そのチームの選手や歴史を知り、そのチームの試合を何度も見に行っているくらいでないと、
個人的には、ファンであると広言することは憚られる。

かつて、イングランドのサッカーの試合を見た。
その日は、道行く人全てがスタジアムに向かい、パブには試合を待ちきれないファンで盛り上がっており、
街全体がサッカーの試合を心待ちにしていたような印象を受けた。
そういう街では、子どもの頃からスタジアムに連れて行かれて、チームの歴史を伝えられるのだという。
そうして、連綿とした歴史に連なる伝統というものが作られるのだと思う。
その一部になることが本当のファンになるということだと思う。

このように考えると、自分自身はどのチームのファンでないことを思い知らされる。
しかし、それでも自分は、とあるチームのファンであるとは思う。
そのチームが勝てば気分が良くなるし、負けると次の日はずっと機嫌が悪くなる。
テレビですら見ていないで、結果しか見ていないが、
それでも自分の機嫌を大きく左右するほどの影響力がある
(さすがに最近は負けても淡々と受け止めるようにはなっているが)

このチーム(野球チーム)が好きになったキッカケは小学生の頃の些細なことだ。
当時、Jリーグが始まり、好きになったサッカーチームがあったのだが、
その理由は良い選手がたくさんいて、強いからという単純なものだった。
だから、野球チームは、弱いチームにしようと思った。
そう思って、テレビを見ていたら、
とあるBクラスのチームについて多く報道されていた。
優勝の可能性はほとんどないのに、それでも優勝の可能性が真剣に検討されていた。
それをみて、判官びいき(当然、そのときはこんな言葉を知らなかった)で、
みんなこのチームを応援しているんだと思って、
自分もこのチームを応援しようと思った。
まさか数々の栄光を築いていたチームだとは知らずに。
一度好きになったら、なかなか好きなチームは変えられない。
それがファンというものだ。
理屈で感情は変えられない。

ファンというのは、言葉で定義しようとすると大変だ。
結局は、その人の感情、好きというものでしかない。
だから、自分がファンと思うならば、それでいいのではないのだろうか。

大学に入ってからそのチームのファンと言うのが憚られるようになった。
ミーハーなファンだと言うと、周りから白眼視されるからだ。
(それと、そのチームが多くの人から反感を買っていたことも大きな理由となる)
しかし、内心の中では、好きであるという気持ちは変わらない。
だから、そのチームが今のような快進撃を行っていることはとても嬉しい。
春先のあの苦戦を思うと、ここまでよく頑張ったと心から拍手を送りたい。
しかも、チーム状態が良く、主役から脇役まで活躍している。
生え抜きも、移籍組みもバランスよく活躍している。
ファンとして、こんな嬉しいことはない。
これからも手に汗握る良い試合をたくさん見せて欲しい。

******
…12連勝は凄すぎると思う。
首位を争うチームもなかなか負けないし、
もしかして「メイクレジェンド」が完成?
信じられない…いくら超巨大戦力とはいえ…。
盆と正月が一気に来たみたいだ…、
”幸せ貯金”がどんどん下ろされている気分(笑)

最近、ものごとを考える。

成功してる人とか見て、どうしてうまくいってるかを考えてみる。

社会ってのがどうやって動いているのかを考えてみる。

まだまだ一部しか見てなくて、考えが甘いのかもしれないけど、

この社会ってのは、あんまり僕が好きなものではないのかもしれない。

僕の生き方というのは、あまり社会に合わないのかもしれない。

自分の限界を強く感じる。


どうやって生きていったらいいんだろうねぇ。

そもそも、自分の生きたいように生きれる人なんかごくわずかだろうし、

こんな悩みは青臭いのだろうけど、

結局はここから抜け出せない。

「悟り」を開きたいと思うのだけど、これまた安易な考えなのだな。

単なる逃げの一手。

ちゃんと立ち向かう強さが欲しい。


これは自分でしか手に入れられない。

でも、どうしたらいいのか。


成長できるのは、壁をぶちやぶれるのは

いつになるだろうか…。


当分、静養します。

そのエントリーでは、(2007年1月29日参照)何が電車の中に持ち込み可能かどうか調べた上で、


=======以下、引用=======

上述のように、危険なもの、他人に迷惑になるもの、動物・死体が禁止されているそうです。
では、”変な人”はどうなんでしょうか?
イギリスで自分はペットという女性がバスに乗車拒否 されたそうですが、
このケースはどうなんでしょうか?

=======引用終わり=======


と結んでます。


ああ、本当に書きたいことが書いていない気がする(笑)

「変な人」と書いてるけど、これまた極端なケースだ。

というか、そのニュースを紹介したいがために、

このエントリーを書いた気がする。


たぶん、もっと問題になる「変な人」とは、

迷惑になる人、危害を与えそうな人。

サリンみたいなのを持っているとか、隠しカメラを持ってるとか、犯罪を犯しそうな人、

酔っ払っていて他の乗客に絡んだりしそうな人、

薬物をやっていて、まともに動くこともできない人。


でも、そういう人たちは、自招行為であるので、

まあ仕方がない。他者へ危害を与えうることやパターナリステッィクことを

正当事由として持ち出すことは可能だろう。


では、もっと問題なのは、精神障害者、認知症の人など。

実際に危害を与える、迷惑になるケースは少ないのかもしれないけど、

仮想事例として、そのようなケースがでてきたらどうするのか?

乗車拒否はすべきではない、そういう人たちには優しく接するべきという意見はもっともであるが、

もし乗車拒否が起こった場合は、どう根拠付けを行うのか?

その人たちは、自分が原因というわけではないけども、

他人に対して迷惑をかけるということを理由に、

行為制限が行われるのだろう。公共の福祉。

では、公共の福祉と、人権はどう判断?

利益考慮?うーむ。


こういう問題は、たぶん現場レベルで「物事がうまくいくように」

j解決するのだろうし、こういうことはありえないことなのかもしれないけども、

頭の体操ぐらいにはなるのかもしれない。


根底にはこういう問題意識があって、書いたんじゃないだろうか。


ニュースにいろいろコメントしてみました。


自動的に消滅するメッセージサービス「Privnote」を本気で使う10の方法  (アメーバニュース)


正直、あんまり使いどころはないと思うし、言葉・文章にする以上、

責任のあることを書くべきだし、そうである以上、手元に残せるようにすべきだと思う。

だから、使うのならば、ちょっとした遊び心のあるときに♪

「ミッションゲーム」とかやるときに使うとか☆

今度やってみようかなぁ。


米葬儀業者、244遺体を犯罪集団に提供していたと認める  (アメーバニュース)


ええ?!一体どんな事件だ。脅迫に使うとか、解体とかして秘密実験でもやっているのか、

…と思ったら、臓器移植のことでした。

で、移植を受けた患者の家族から提訴されていると。

で、これを見て思ったのは、

臓器自体には問題はなかったけども、

合法的な遺体の提供が行われていなかった、

すなわち手続き的な瑕疵に対して

嫌悪感を抱いた患者やその家族が

提訴したのかなということ。

臓器が機能するかということではなく、

適切な相手から臓器の提供を受けたかという

心理的な側面も臓器移植のときは重要なのだろうな。

…と思ったら、遺体の中にHIV患者などがいたのが提訴理由だとか。

それは危ないわな。そりゃ、提訴しますわ。


ただ、これは違法な臓器提供だったけども、

これが合法な形で行われていた場合、

「安全な臓器を提供される権利」というのは生じるのか、

ここでの「安全」って何なのか?というのが議論になりそう。

臓器移植は、レシピエントの拒絶反応はよく起こることだし、

HIVなどの病気には罹患していないけども、

酷使されてて機能がよくなかったりした場合はどうなのか?

(←ここについては、医学的な知識がないからよく分からないけど)
人間って何とか、文化・倫理観の問題以前にも、

臓器移植は、さまざまな問題を提起しそうですね。



ドイツの学園都市、売春婦への課税を計画  (アメーバニュース)


売春が合法化だとか、課税することで余計に風俗が乱れるのではないかとか、

大都市ならともかく、学園都市という生活環境が重視されるとこでも

合法化を本格的に進めてよいのか(「代表なくして課税なし」と言われるように、

課税するならば一定の発言権を認める必要がある)というすぐに思いつく論点は置いといて、

政策自体の妥当性、執行という観点から考えてみます。

以下、18禁の内容がありますので、ご注意下さい。


まず、「売春婦」への課税ということになるが、

「売春婦」の定義は何かが問題となります。

日本でそれっぽい法律があったかな…と考えてみて、

風営法を思いついたので、風営法での「風俗営業」の定義を見てみると

以下の通りでした。


 キヤバレーその他設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客の接待をして客に飲食をさせる営業
 待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業(前号に該当する営業を除く。)
 ナイトクラブその他設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客に飲食をさせる営業(第一号に該当する営業を除く。)
 ダンスホールその他設備を設けて客にダンスをさせる営業(第一号若しくは前号に該当する営業又は客にダンスを教授するための営業のうちダンスを教授する者(政令で定めるダンスの教授に関する講習を受けその課程を修了した者その他ダンスを正規に教授する能力を有する者として政令で定める者に限る。)が客にダンスを教授する場合にのみ客にダンスをさせる営業を除く。)
 喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、国家公安委員会規則で定めるところにより計つた客席における照度を十ルクス以下として営むもの(第一号から第三号までに掲げる営業として営むものを除く。)
 喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、他から見通すことが困難であり、かつ、その広さが五平方メートル以下である客席を設けて営むもの
 まあじやん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業
 スロットマシン、テレビゲーム機その他の遊技設備で本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いることができるもの(国家公安委員会規則で定めるものに限る。)を備える店舗その他これに類する区画された施設(旅館業その他の営業の用に供し、又はこれに随伴する施設で政令で定めるものを除く。)において当該遊技設備により客に遊技をさせる営業(前号に該当する営業を除く。)

ようは、パチンコとかを除くと、ダンスしたり、暗いところで接待して、飲食をさせたり。
個人的には、風俗営業とは、「性」を対象とした産業だと思っているので、
この定義は、間接的な定義だと思う。
まあ、直接的に書くのは難しいのだと思うけど、このような定義の仕方をしちゃうと、
対象が広がりすぎる恐れがある。
メイド喫茶や、個室型の居酒屋、暗くして雰囲気を出すお店とかも対象となっちゃうんじゃないかな。
でも、そういうお店は、風営法の目的(1条)である
「善良の風俗と清浄な風俗環境を保持し、及び少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止する」とは
外れるんじゃないかな。そういうのもダメというのが立法趣旨なら構わないけど。

もっといろいろとみていくと、「店舗型性風俗特殊営業」とかの営業形態による規制があった。
ここで、「店舗型性風俗特殊営業」などの定義の中に、
「異性の客の性的好奇心に応じてその客に接触する役務を提供する」というのがあった。
おお、ようやくちゃんとした定義が出てきた。
行為規制ではなく、「性的好奇心」という主観による規制なのか。
…具体的にはどういうことを示しているんだろうね。
このあたりはいたちごっこになりそうな気がする。

ドイツの場合、どう定義しているかは分からないけど、
たぶんこういう営業をするのは、届出制か許可制にして、
届出(許可)してる店を対象に課税するのだと思う。
ということは、無許可店からは課税できないわけで、
ちゃんと取締りができるかどうかがポイントの一つになりそうです。

で、課税の方式としては、「使われている部屋の広さに応じた」
事業者単位での課税。
売春婦個人で所得を把握するのは困難そうだし、
客から取るわけにもいかないだろうから(客が風俗に行ってることがバレルから、
税金を払うという行為自体を嫌うはず)、
事業者単位というのは正解でしょう。
でも、これも事業者の所得などがちゃんと把握できるか、
客と売春婦のチップなどによる商慣習が成立しないかが問題となりうるでしょう。
それと、「テーブルダンスなどの興行行為は対象とならないが、売春のサービスに対し課税」
としているけども、どこまでが対象か、課税逃れを防ぐためには、
どんなサービスが提供されているかを把握することも必要になりうるかもしれません。
あんまり厳密にやる必要はないけども、たまにはチェックが必要かと。
…でも、それってやってもいいものなのかは分かりませんが。
「部屋の広さ」での一律課税というのは、部屋の広さは見れば分かるので、
売り上げとかで図るよりも、把握しやすそう。
担税力に応じた負担という観点からは、売り上げと部屋の広さに相関関係が必要だけど、
まあそこまでうるさいことは言わないでよいと思う。

ぐちゃぐちゃ書いているけども、
政策の執行という意味では、とてもやりやすそうな良い政策であるというのが結論です。


恋人からの電話に大泣き、現場は一時騒然   (アメーバニュース)


仕事中に恋人から電話があって、大泣きしたそうです。

振られたというわけではなく、

仕事場に遊びに来てくれなくなったというのが理由だそうです。


仕事の効率性を考えると、このような行動は扱いにくいでしょう。

でも、もしかしたらこういう人間のほうがアウトプットは高いのかもしれません。

また、職場を単純に仕事をするだけでなく、

ひとつの居場所、自己実現の場などと考えると、

こういう人間くさいことが許容されることが必要でしょう。

人間関係、働きやすさという意味でも、こういうことが許されたほうが良いのかもしれません。

ずっと働きづめというわけにもいかないでしょうし。


こう考えると、ニュースになるようなちょっと常識から外れた言動から、

仕事って何?職場って何?ということを考えるキッカケになるかもしれません。


あなたはどんな職場で働きたいですか?