先生は、一時的に
呼吸が止まっているだけ。
私は、こう信じていた。
でも。
他の人たちには、
そうは見えないらしい。
だから、まあ。
仕方がない。
とりあえずは。
話を合わせるしか
ないだろう。
まず、
最初にしたこと。
航空会社への電話。
今回のチケットの帰国便は、
到着日の2週間後だったのだが。
その日を待たずして、
この状況となったため、
帰国の便を
早めることになった。
あのとき、私は。
電話の向こうの
オペレーターさんに対し、
やたらに、はきはきと
元気そうに話した。
"Have a nice day."
最後に、
こう付け加えて。
今の私には。
このときの私の
心情がよく分かる。
やっと、私は。
あの日の自分のことを
当事者としてではなく、
傍観者として見ることが
できるようになったのだろう。
そう。
あのときの私は。
こんな空元気でも
繰り出さなければ、
これから先、到底
身も心も持たないことを
本能的に知っていたのだ。
だから。
一種の気合い入れ
だったのだろう。
航空会社への
電話を終えると。
今度は、実家へ
電話をかけるために、
葬儀社の外へ出た。
国際電話になるから、
公衆電話を使う。
いつか。
この日の、あの電話が
私の記憶から、さらさらと
こぼれ落ちていく日が来るだろうか。
台湾の街の中で見かける
騎楼、または亭仔脚と呼ばれる
軒下のアーケードの一角。
明るい昼下がりの
空の下。
電話に出たのは
母だった。
「あ、お母さん?私」
「うん」
「あのね。落ち着いて聞いてほしいんやけど」
「うん」
一呼吸、置いた。
「あのね。先生、駄目やってん」
「死んだ」とは、
どうしても言えない。
「は?駄目やったって?」
母もずっと。
私と同じ心境
だったのだろう。
受話器から伝わってくる
声の感じで分かる。
母は、きょとんと
していた。
まさか。
まさか。
あの男が
くたばるはずはない。
不死身に決まってる
じゃないか。
「先生、死んでん」
私は観念した。
少なくとも今は、
こう伝えるより他はない。
「え...?嘘やろ。
あの先生が死ぬなんて信じられん」
母の声色が変わった。
低く、重く。
うん、お母さん。
私も信じられん。
どうしても。
どうしても。
信じられん。

