迪化街にあるお店で、
師匠の状況を伝え、
店主と相談して買った漢方薬。
先生の口から喉へと
繋がる管を通して、
体内に吸収されるはずの薬。
一旦、体に摂り込まれさえすれば、
きっと先生を助けてくれるはずの薬。
師匠が、この世で一番信頼してきた薬。
その頼みの、煎じた茶色い薬は、
先生の喉奥まで下って行かずに、
空中の管の中で前後したまま
漂い、蠢いている。
先生には、もう。
液体を嚥下する力もないんだろうか...
どんな希望も目の前で潰れていく。
いや。
それとも。
潰されているのか...
涙も出ない。
トイレに行けば、相変わらず
茶色いおしっこが出る。
師匠が入院したと連絡があり、
台北に来て2週間。
その後、帰国して
しばらくした頃から始まった。
初めは、おののいた。
人生で初めての経験だった。
血尿を疑った私は、恐怖にかられ、
毎年、市から案内は来ていても、
行ったことのなかった健康診断を
受けようと、病院に予約を入れた。
その矢先。
師匠が危ないと台湾から再度連絡が入り、
予約はキャンセルして、台北に戻った。
もう。
自分のおしっこの色なんて
どうでもよかった。
虹色だろうが。
極彩色だろうが。
もう怖くもなかった。
私の恐怖は、別のところで
確固として鎮座している。
「君の子供は堕ろせないよ。」
あの時。
師匠は困ったように、
こう言った。
鍼灸の専門学校に通い始めた頃。
お腹の中に長男がいることが分かり、
私はパニックに陥った。
師匠に出会い、弟子入りを許され、
専門学校に入って。
さあ、これから。
という時のことだった。
「じゃあ。あんた。なんで、そんな時に妊娠...?」
ええ。
ごもっとも。
私が読者さんの立場でも、
絶対にこう突っ込みます。
100%。間違いなく。
ただ。
勿体つけるようで、大変申し訳ありませんが、
その理由は、墓場まで持って行こうかと。
もしくは。
もし子供たちが望めば、
子供たちには話そうかと。
ひとつだけ。
何ら事件性のある理由では
ございません。
平にご容赦いただきますよう...
「涙流れて、前が見えなくなるよ。
鍼を持つ手が震えて刺せないよ。」
師匠は、俯きながら
こう続けた。
これから始まる3年間の勉強。
最終的には、国家試験。
生まれたばかりの赤ん坊を抱えて、
育児と勉強を両立するなんて...
考えただけでも恐ろしく、
途方に暮れた。
到底、無理だと思った私は、
「先生。堕ろしてください。」
師匠に、こうお願いしたのだった。
自分のお腹の子を
その父親に。
そうだ。
私はそういう人間だ。
認めなければならない。
倫理上の理由からだろう。
先生は、自分のお師匠様から
その方法を教わったことはないという。
確か。
訊いても、教えてもらえなかったと
話していたんじゃなかっただろうか。
だが。
長年の経験から、
師匠には分かるのだろう。
以前、何かのときに、
ちらっと話題に上ったことのある
この話を私は覚えていた。
他の医者にかかるくらいなら、先生に...
結果。
たとえどうなっても、先生の手に
かかるのなら本望だと思っていた。
このときに限らず、
いつもそう思ってきた。
私にとって。
世界中で、このおっさん以上に
安心して体を預けられる人はいない。
「自分の子供は堕ろせない。」
もし。
師匠がこう言っていたら、
私は食い下がっていたかもしれない。
私はそういう人間なのだ。
でも。
「君の子供は堕ろせないよ。」
この言葉を聞いた時、
私の負けだと思った。
何も言えなくなったから。
この時。
もう産むしかないと、
腹を括った。
「学校、辞めてはいけないよ。」
師匠は、きっぱりと
こう言った。
先生も私も、大変な日々を
送ることになるだろう。
きっと、生まれてくる子供も。
でも、もう後には引けない。
「おめでとうございます。」
妊娠したと私から告げられ、
こう返した時の師匠の表情。
今でもよく覚えている。
後にも先にも、先生の
あんな笑顔を見たことはない。
「过来。过来。(おいで、おいで)」
先生が、長男をおんぶしながら
鏡に映り、背中の長男を
手招きしている。
そのうち、
「わっしょいどんどん。わっしょいどんどん。」
お祭りのお神輿さながら、
ゆっさゆっさと緩やかに
揺れながら遊び始める。
初めて聞くこの言葉の響きが
何とも愛らしくて、微笑ましくて。
このブログのハンドルネームを
何にしようかと考えた時に、
真っ先にこの言葉が浮かんだ。
結婚して十数年。
色々あった。
何度も、もうダメだと思った。
それこそ。
手足の指を全部使っても
足りないくらい。
このおっさんには、
とてもついて行けないと。
師匠は治療家としては素晴らしい。
それは間違いない。
ただ。
やっぱり。
何かに抜きん出るような人は
一風変わっているものだ。
先生も正にそのタイプで、
馬鹿と何とかは紙一重を
地で行くような人なのだ。
世俗に疎く。
一般的という言葉からは程遠く。
師匠が独身ならば、
それでもいいのかもしれない。
生憎。
家族として一緒に暮らす身からすると、
ときには涙が出るほど、難儀な男なのだ。
だから。
それこそ。
幾度となく、
殺してやろうとも思った。
何度、ゴルフクラブで師匠の
頭をかち割る妄想をしたことか...
離婚届をもらってきて、
ふたりとも署名捺印して、
あとはもう、提出するだけ
ということもあった。
それでも。
やっぱり。
世界に何十億の人がいるのか、
私には分からないが。
先生は、世界中の誰よりも
私が母親になることを祝福し、
待ち望み、喜んでくれた人だ。
「かわいいね。もうひとり欲しいよー。」
何言ってんだ。
このおっさんは。
産んだそばから。
まだ体痛いわ。
こんな時に何をぬかすか。
そんなに欲しけりゃ、
次はあんたが産みなさいよ...?
心の中で悪態をついている私を尻目に、
生まれたばかりの長男を抱っこしながら
無邪気にこう言い、
まるで小さな子供が母親を見るような目で、
どこか眩しそうに私を見ていた、
あの時の先生。
こんなふうな。
一緒に過ごす中で垣間見えた
先生の心の中の情景が。
いつまでも心を離れない
思い出の数々が。
年月をかけて少しずつ、
層のように積み重なってきた
師弟としての、家族としての歴史が。
先生の命に対する私の執念を
どうしようもなく駆り立てる。