拝拝。
日本の家族に電話。
これが済んだら、
次は一番大事なあれだ。
だが、これには
ドクターの許可がいる。
私が鍼灸師であること。
私たちは師弟関係にあること。
こういったことを話して、師匠に鍼を刺すことを
了解してもらおうと思ったが、これが難しかった。
まず、私が台湾の鍼灸師の
資格を持っていないこと。
もうひとつは、刺鍼後、師匠の容態が
どうなるか予想がつかないこと。
これが理由だった。
血圧、心拍、呼吸といったバイタルサインは
落ち着いているが、これは投薬によるもので、
刺鍼後は何がどうなるのか、ドクターにも分からない。
そんな危険は冒せないと
いうことなのだろう。
ドクターの言うことも、
もっともだと思った。
それなら、鍼以外に何か
できることはないだろうか?
ドクターに、推拿をしても
いいか訊いてみた。
これは、私が師匠によくやってもらっていた手技で、
経絡や体の要所に指で圧を加えていく、
指圧によく似た施術法だ。
私が食い下がるからだろう。
ドクターは許してくれた。
この時の私は、とにかく何かをしたかった。
そうしなければ、気が済まなかった。
「先生。鍼は無理ですけど、手でやってみましょうね。」
師匠の顔を覗き込みながらこう声をかけ、
腎臓に症状があるときに使う、
体の左右の経絡に指で圧を加えた。
数日後。
夜、師匠の血圧が下がった。
ドクターが血圧を上げる薬を投与してくれた。
あとは様子をみるしかないという。
「これでダメなら、もう打つ手はありません。」
この時は、頭の中が真っ白にも、
目の前が真っ暗にもならなかった。
そんな言葉が信じられるか。
今この瞬間、私の目の前で生きてるじゃないか!
死なれてたまるか。
「先生、お願い!しっかりしてください!
こんなところで死んじゃうような人じゃないでしょ!」
ベッドに両手をついて、
泣きながら叫んでいた。
「子供たちどうするんですか!子供たちどうなるんですか!
先生が良くなるの日本で待ってるんですよ!」
一緒にいたファンツンも、
「兄さん!」
と呼びかけながら、
同じようなことを叫んでいる。
死なせてたまるか。
もうこうなったら、“子供”という言葉を聞いた
師匠に泣かれても構わない。
泣く力があるのなら、
生きる力もあるはずだ。
絶対に生き延びてもらう。
この人の体は、この人ひとりのものじゃない。
子供たちのものでもある。
この男をこの世に繋ぎ止めて
おけそうな言葉を、あらん限り叫び続けた。
どのくらい時間が経っただろう。
「血圧が戻りましたよ。」
ドクターにこう告げられた。
「謝謝!」
ドクターとナースに、心からお礼を言った。
この時、師匠に何かしら声をかけたはずだが、
もう記憶にはない。
とにかく安心したこと。
それ以外は覚えていない。
まだ心配だったし、後ろ髪を引かれるような
思いでもあったが、とりあえずは危機を
脱したということで、一旦ファンツンとICUを出た。
待合室の椅子に座って、呆けた。
隣に座ったファンツンも
同じような感じだ。
二人とも言葉が出ない。
もう、日付が変わった時刻じゃなかっただろうか。
かなりの夜更けで
あったことは間違いない。
私たちの他に誰もいない
フロアは静まり返っている。
ファンツンも心配だったのだろう。
その夜は自宅に帰らず、朝まで待合室の
椅子で仮眠を取って、そのまま出勤していった。
この義弟は、朝早くから忙しく
働いているのに、毎日仕事帰りに
面会に来てくれた。
「弟弟、ありがとう。」
彼を見送るときは、
いつもこの言葉になる。
太陽が昇って明るくなった空を
病院の窓から眺めながら、
先生の血圧が下がったのは、私の推拿が
原因だったんじゃないだろうか...?
と考えた。
そうだとは言い切れないが、
その可能性は十分あったと思う。
先生の体は何でもない時とは違う。
かなり弱った状態だ。
体が推拿の刺激に
耐えられなかったんじゃないだろうか...?
先生。ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
でも。
あの時の私には、
どうしても無理だった。
先生のあんな姿を目の前にして、
ただ手を握って話しかけるだけなんて。
もし。
ICUのベッドに横たわっているのが
私だったとしたら。
やっぱり、先生も私と同じようなことを考え、
同じようなことをしたんじゃないだろうか...?
いや。それとも。
こう考えるのは、
私の一人よがりだろうか。
ベッドに横たわる私を見て、先生は、
そっと私に話しかけるだけだっただろうか。

