今日

おいしいバームクーヘンを

幸せいっぱいな気分で食べながら

 

ふと

「誰も人生も素晴らしいのだ」と思いました。

 

 

でも

もし他人から

「あなたの人生は素晴らしい」

と言われたら

 

は?

ってなる人いますよね?

(私はなる)

 

 

何言ってんの?

 

毎日

くたくたになるまで働いてんのに

お金そんなにないのよ?

職場にはイヤなヤツもいるし

客はわがままだし

体調も不安だし

子どもの事も心配だし

 

昔、ひどい事言われた事あるし

裏切られた事あるし

悲しい想いも

悔しい思いも

いっぱいして

そんな人生のどこが素晴らしいのよ!?

って

言いたくなる、笑。

 

 

でも、私思うの。

それが素晴らしい、って。

 

感情を動かされることが起きる。

=「感」が「動する」

=感動する人生。

 

心が一ミリも動かされない人生

って

きっとつまらないって思わない?(^^)

 

 

自分の人生が素晴らしいと同時に

腹が立つあいつの人生も同じように素晴らしい

のだと思う。

 

わたしからみて心配な人の人生も素晴らしい

わたしからみて気の毒な人の人生も素晴らしい。

 

わたしからみて

あんなやつ し ねばいいと思う人の人生も

あんなやつ 地獄に堕ちろ!と思う人の人生も

あんたのこと絶対許さない!と思う人の人生も

 

母の人生も

父の人生も

子どもの人生も

友達の人生も。

 

誰の人生も素晴らしい。

 

 

人生には

正しい人生も

間違った人生もなく

 

ただ

その人にとって良い人生であれば

それでいいのだろうと思う。

 

 

もっと言えば

良い人生も悪い人生も本当はなく

 

その人が

「わたしは良い人生を生きている」

「わたしの人生は良い人生だ」

と思えば良い人生なんじゃないかな。

(要は、良い人生かそうでないかは その人の主観ってことね)

 

 

他人がどうのこうの言うのは

もしかしたらおせっかいかもしれないね。

 

 

気をつけたいのは

むりやり

「わたしの人生は良い人生だ」と思い込もうとすること。

 

 

他人にウソはつけても

自分にウソはつけない

 

思い込もうとしてもだんだん苦しくなってきて

いずれ降参することになるから

最初から白旗上げたほうがいいと思うよ。ニコニコ

 

 

それでも

 

「(こんな人生でも)

私の人生は素晴らしい(のかもしれないなぁ)」

つぶやいてみると

 

なんか心がほっこりします。

 

ホッとします。

 

安心感は「合っています」のサイン。

 

 

それはつまり

「自分の人生は素晴らしい」ということの証拠に他ならない。

 

 

私の人生は素晴らしい。

 

そして

あの人の人生も素晴らしい。

 

 

 

読んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

一つ前のブログで

「自分の体の声を聞く事にチャレンジします」と書いたからか。

 

こんなブログを発見!

 

タイミング良すぎてビビるわ。

 

 

****

 

【試して欲しい1分ワーク】
 
ちょっとお願いがあるんだけど、
今心と身体についても勉強し直してて。
 
『腰痛は怒りである』
という本にあるように
身体の痛みは感情の抑圧によるもの。
という理論の体験談が欲しいです。
 
なにせ今筋肉痛以外
なにも不調がないので
私自身は試せない笑
 
もしこの投稿を読んでる方で
慢性腰痛や肩こりがある方は
以下の言葉を発してみてください。
 
感情はこめなくていいです。
ただ、言うだけ。
 
そして、
元の痛みを10としたら
いくつまで下がったか?
コメントで教えてくれませんか?
 
 
魔法の言葉は
以下の4つになります。
 
 
・私は本当は怒っているだけなんです
 
・私は本当は寂しいだけなんです
 
・私は本当は認めて欲しいだけなんです
 
・私は自分を大切にして欲しいだけなんです
 
 
この四つで大体のパターンを
カバーできると思うので、
もし試してなにかを感じたら
コメントで教えてください。
 
※すでにFacebook、インスタでは
何十人も成功報告を頂いてます。
ありがとうー!
 
 
自分の中にある感情を否定する。
自分の本音を抑圧する。
そのことによって
生命エネルギーが浪費されて
身体がヘロヘロになる。
 
 
もしくは、
怒りや寂しさなどの感情を
味わうのが辛い、感じたくないから
【痛み】で目くらましする。
 
 
この心と身体のを知っているだけでも
日常生活で疲れたとか
痛みが出たときにやれることが
だいぶ変わってくるんじゃないかな。
 
 

 
 
あなたの身体はなんと言ってますか?

今年は

 

「自分の体の声を聴く」

 

これにチャレンジします。

 

 

ずっとできなかったんです、これ。

なんか怖くて。

 

 

ずっと我慢して来たから。

ずっと本音を隠して来たから。

 

 

体が嫌がっているのにやめない、とか。

体が嫌がっているのにやり続ける、とか。

(例えば熱があるのに無理して仕事へ行く、とかね)

 

 

私が

やめられない理由は「損したくないから」

 

注)

損したくない

とは

嫌われたくない

怒られたくない

バカにされたくない

お金が減るのが嫌

などの総称です。

 

 

 

ココ数年、わたしは

自分の感情の声を聴くことをずっとしていました。

 

そんなことを数年やって

気持ち的にだいぶ落ち着いてきたんでしょうか

 

今年は

いよいよ体の声を聴くことにチャレンジしてみよう

と思うようになってきました。

 

私はこっちの方が怖くて。

 

というのも

無理をさせて来た自覚があるから。

 

体はなんていうんだろう?

と思うとドキドキします。

 

「休みたい」

「寝ていたい」

「だらだらしたい」

とかは良く感じる、笑。

 

 

体が感じている声なき声を拾う。

体の反応を観察する。

 

 

 

今年の最優先チャレンジです。

 

 

レッツトライ♪

レッツ実験☆

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年

 

年末になると

「来年はどんな年になるのかなぁ?」

考えて

ぼーっとしてみます。

 

一昨年は、「エレベータに乗る年」

去年は、「ロケットに乗る年」

 

そして今年は

 

なんていうか、

「覚悟がいる年」

という気がしました。

 

決め切る年

 

って感じも。

 

 

決めた事は

「世間の声ではなく

自分の感覚を大事にして生きよう」ということ。

 

これって

覚悟がいるんです。

(わたしはね)

 

批判される覚悟

嫌われる覚悟

一人ぼっちになるかもしれない覚悟

 

そして

同時に

 

私がわたしを幸せにするという覚悟

も。

 

 

誰かに幸せにしてもらおうとすると

どうしても

気に入られなければ

嫌われたら困る

 

という想いが出てきます。

 

 

そうなると

 

本当は嫌でも嫌と言えない

断れない

合わせる

などの

 

自分の本意や本音とはズレたことをしてしまう。

 

 

ホントはイヤなのに、

ホントは違うと思っているのに。

 

言えない。

できない。

 

 

これって幸せでしょうか?

 

 

 

「今年は覚悟を決める年。」

 

そんなことを思っているからか

 

なぜか「覚悟」「決める」

などの動画や音声を耳にすることが多くて

 

 

シンクロしてるな〜と思ってます。

 

 

私的にシンクロは

「合っています」のサイン。

 

ということは

今年、覚悟を決めて生きる年ということなんでしょう。

(わたしにとって、ですよ)

 

 

若干ため息が出る感じもありますが

 

今年は

覚悟を決めることを意識して過ごしたいと思っています。

 

逆説的ですが

「迷っているうちは決めない」

ということも決めていて

 

自分の気持ちが納得しないうちは

(失敗してもいいと思えないうちは)

できるだけ

やらないし

行かないし

買わないつもりです。

 

 

といいつつも

 

なんとなくの流れで

ゲッターズさんのイベントに行くんですけどね、笑。

(行きたいわけじゃないけど、なんか行くことに)

 

 

2020年は新しい世界へ。

 

私にとって

もしかしたらしんどい年になるかもしれません。

 

 

なんているか

産道を行く赤ちゃん、の気持ちです。

 

ということは

今年の私は産気づいてるのかも、笑。

 

 

安産でありますように、祈。

 

 

あーー!

初詣で

安産のお守りも買えば良かった!