今日はお休みだったので
昨日から
明日は絶対ダラダラ過ごしてやる!
と決めていたこともあって
目が覚めても
お布団のなかで
ゴロゴロしていました。
そうすると
母の父への言葉が聞こえて来て。
「ここ、8じゃなくて3じゃない。
違う人の家に電話したんじゃないの?
間違えたら迷惑でしょ。
ウンタラカンタラ」
そのあとかかって来た誰かからの電話にも
「迷惑だからやめておけって言うんだけど聞かなくて。。」
とか
「こんな時期なのにでかけていないの。
家にいるべきなのに本当に自分勝手で」
とか
どうやら父への不満
というか
自分の思う通りにならないことを
ぐちっているようでした。
私は子どものころから
ずっとふたりのウンザリするような会話を
聞かされて育って来て
私的には
「母が間違っている」
と思っているので
それを聞いて私は
「お父さん、いくつだと思ってるのよ
「あと元気なのも10年くらいでしょうが。
好きにさせて上げなさいよ。
人に迷惑かかったとしても
たいした迷惑じゃないわよ。
それに
やりたい事をやる為に生まれて来てるんだから。
お父さんは
お母さんのいうことを聞く為に生まれて来たわけじゃないんだから。
おかあさんは
お父さんを思っての発言だとは思うけど
本当にお父さんを大切に思うなら
好きなように生きさせてあげてよ。
生きたいように生きさせてあげてよ!」
って思ったとき。
は!ってしました。
これって
わたしが私に言いたい言葉なのでは?
わたしは
人に迷惑かけないように生きるために
生まれて来たわけじゃない。
わたしは
やりたいことがあって
体験したいことがあって生まれて来たんだ。
わたしの
好きなように生きさせてよ!
わたしの
生きたいように生きさせてよ!
好きにさせろーーーー!!!
生きたいように生きさせろーーーー!!!
私の本性が
私の体の中で暴れてました。
母の言動は
わたしがさせてるのかもしれないです。
私が自分を自由に生きさせてないから
母が父の行動を規制する
という形で視覚化させて
見せてくれているのかもしれないと思いました。
母が「私」
父が「わたし」
「私」が「わたし」を縛る、束縛する、見張る、規制する。
「私」は本能で、「わたし」は本性。
「私」は肉体を存続させることが最優先で
「わたし」は望みを生きることが最優先。
葛藤するのはある意味当たり前だよね。
でも、そろそろ
望みを生きたいって思ってるんだよね。
わたしを押させつけず
わたしを解放して生きたいなぁと思ってる。
私は
わたしの可能性を諦めたくないんだよね。