現実創造の仕組み
とかいたけど
全然関係ないかもしれないわ、笑。
さっきお風呂で
「時間」についてぼーっと考えてたら
面白い仮説を思いついたので
忘れないうちに書いておこうと思って
ブログ書いてます。
「時間」について。
じつは科学的には「時間」と言うものは存在しないんだそう。
存在しないというか証明できないというか
そんな感じなんかな?と個人的には思っているけども。
科学的には
「時」はあるけど「時間」はない、らしい。
(ということは
「過去」とか「未来」と言うものも存在しないということ?)
だから
科学的には
いわゆる「過去」に戻れる。
音楽テープなどを巻き戻せるように
科学的には過去に巻き戻せるはず、らしい。
(だいぶざっくり!)
こんな話を読むと
頭の中が????だらけになる。
私には
時間というものがどうしても
科学的に理解できなくて
苦し紛れに編み出した
私的時間の解釈は
「1冊の本」として考えてみるという方法だった。
1冊の本は100ページあって
1ページ目は1歳、
2ページ目は2歳、
3ページ目は3歳、
と言う具合に
1ページごとにストーリが書かれていたとする。
順番に読んで行くと
そこには「時間の流れ」があるという感覚がする。
でも、実際は
「過去(1ページ目)」も「未来(100ページ目)」も
「今この瞬間」に同時に存在していて
そこには時間の流れはない。
また本は
途中からでも読めるし
結末を読んでしまってから、最初から読む事もできるし
少し読んでは戻り、少し読んでは戻り
という
365歩のマーチ的な読み方もできる。
でも、
時間は?
戻る事も最後を先に知っておく事も無理。
うーん。。
お風呂でぽちゃんと浸かりながら
ぼーっと考える。
あ!もしかして。
実は私達は
過去に戻ったり未来に行ったりしているかもしれない。
なんでできないと思っているかというと
ひとつは
「できない」と思いこんでいるからできない。
もうひとつは
実はできているんだけど
今の年齢の記憶を持ったままではないため
時間移動をしてることに気づいていない。
本の場合は
50ページ目を読んだあと
その記憶を持ったまま15ページを読めるけど
時間は
50ページ目の意識を持った状態から
15ページ目に飛んだとたん、15ページ目の意識だけになって
50ページ目のときの意識を忘れてしまうから
という
面白い仮説を思いついたんです。
(分かりにくいよね。。)
それは例えば
4チャンネルの記憶を持ったまま
6チャンネルを見ても面白くないのと同じ理由かも。
チャンネル切り替えたとたん、
今まで見ていた内容、忘れない?
忘れるというか
記憶がどっかへ行っちゃうというか。
(私だけ?)
うまく言語化できなくてごめんよ。
チャンネルの切り替えは
自動で起きてるわけじゃなくて
個人の意志、決定のもと行われている気がする。
(お、ちょっと現実創造の仕組みっぽい話になってきだぞ〕
意思は意識レベルのときもあるし、無意識レベルのこともあるんだろうな。
などと考えていたら
この仮説が
我ながら面白くて
残しておきたくなったので書いてます。
なので
あくまで記録用。
あとで振り返って
こんなこと考えたことあったのね〜私、
と懐かしむ為に書いてますw
忘れないうちにかけて良かった!
(なにしろすぐ忘れちゃうの)
ココまで読んでくださったあなた。
私のしょうーもない仮説におつきあいくださり
ありがとうございました!
感謝♪
(ざっくりすぎる!)
批判する人は
本当は助けて欲しいんだろうけど。
素直に、正直に
「助けて欲しい」って言えないから
代わりに
「政府は、国は、仁さん(笑)は何をやってるんだ!?」
って批判することになるのかな?
どこもそれなりに大変だろうし、
こんなときこそ
自分にできる事を探してやってみたらいいよね。
仁さんの応援しようとする姿勢。
わたしはホントに素晴らしいと思うし
感謝と敬意で頭が下がる想いです。
キングコングの西野さんも
ものすごく現実的に
できる事をしておられて
こちらもその行動力に
尊敬しかないです。
文句ばっかりいって
1ミリも動こうとしないヤツ。
そういう生き方もあり、
そういう人生もあり、だとは思うけど
心の底では
心配で、不安で、怖くて、心細くて
本当は
誰かに助けて欲しくて震えているのかもしれないなぁと
そんなことを思ったりします。
「助けて」
なんて、そんな弱虫発言するくらいなら
「どいつもこいつも」
と、批判している方がマシなんでしょうね。
十人十色。
人生いろいろですしね。
私は、
仁さんは愛の人だと思っているので
文句だけ言ってるひとより
仁さんに1票いれたいと思っています。
仁さん、がんばれ!
(って別にわたしの応援いらないか、笑)
今。
リビングのフォームが終わって
少しずつモノを戻してるんだけど
その時も
「思いきって捨ててね」
的な事を説教ぽく言ってるのを聞いて思った。
「お前もな!」
夕方。
買い物から帰って来て
おもむろに階段下の物置を片付け始めた私。
目的は
廊下においてある新聞たちを
物置に片付けてしまって
スッキリさせたかったからなんだけど。
その物置には母の花瓶が
わんさかとある。
わんさか!
全部すてたろか!
と思うけど
とりあえず
全部だして
「こんなにあるんだぞ!」を見せつける
いつもの作戦に出た。
なにしろ
「うちにはない」
とか
「持ってない」
とか
すぐ
「ない」って言うの。
こんなにあるのに!!!
だからまず、
「ある」を認めさせるために
全部だして視覚化させ
「こんなにある」を見せる。
全部出してから母を呼び
ひとつひとつ
「これいる?」と聞いて行く。
「jはい、いります」
「これも、いります」
しまいには
「みんないるわよ!」
とイライラしながら叫ぶ母に
「みんなとか言わないの!
ひとつひとつちゃんと見て!」
と
辛抱強く
ひとつひとつ
「これは?」
「これはどう?」
と聞いて行くと
諦めたのか
自分と向き合う覚悟ができたのか
ぽつぽつ
「それはいらんわ」
「これもいらんかな」
と言うように。
結果2割弱減り
物置に戻してみたところ、
物置の外においておくしかなかった
新聞たちを入れるスペースが出来ました♪
ミッションクリア♡![]()
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