お叱りの言葉を受けるのを覚悟で書いてみる。


コロナの勢いが止まらないのをみるにつけ
聞くにつけ

私が思ったのは。

もう、全員がかかるまで
全員がコロナに感染するまで
収まらないんじゃないか?

ということでした。

となると

さっさとかかってしまった方が
収束が早いのでは?

と思ったんです。


そうなると大事なことは、

かかったとしても
発病しないというか
軽症ですむように免疫力をあげておくようにするとか

そっちに舵きりしたほうがいいんじゃないか。

ノリとしては
おたふくとか
水疱瘡とか

1回かかれば免疫ができてそのあとは
安心出来る
というか。


そういうスタンスでいるのがいいんじゃないか。

と
そんなことをふと思いました。


かからないように自粛するとか
そのステージは終わったというか

そのステージで頑張るのはやめた方がいいというか

押してもダメなら引いてみな
的な感じで


自粛してもだめなら 
逆に広め切ってしまう
という手もあるのではないか。


お亡くなりになる方もおられるので

あまり声を大にして言うべき内容ではないことは
わかっているつもりです。


もし、自分がかかって
死ぬかもしれない状況になったとしたら

こんなブログを書いたことを
心底後悔するかもしれません。



なんてことを!
とお叱りを受ける内容でもあると思っています。


それでも
私の言いたいことは

早く収束させる方法のひとつに
全世界に浸透しきっててしまえば落ち着くのでは?
ということ
と

そうなった時のために
免疫力をめいっぱい上げておこうぜ。
ってことです。



かからないようにするより
かかっても発病しない体作りを

かかっても軽症で済むからだ作りを
していこうと


個人的には思っています。






私はこう見えて怖がりだ。

特にやったことないことに関しては
ビビりまくる。


側から見たら
へ?そんなことが怖いの?
そんなことでビビってるの?

っ思うこと。


で。

なんで怖いんかな?

と考えてみた。



いろいろ出てきたよね。

うまくいかなかったらどうしよう?

てか、
そもそもできるかどうかわからない。

できんかったら凹む。
がっかりする。




ああ、そうか。

私は、わたしにがっかりしたくないんだ。

って思った。


私はわたしのことが大好きだから
大好きなわたしのことをがっかりしたくないんだ。

ということは、つまりだ。

わたしはわたしのことが好きだから、なんだな。



これってお母さん目線だよね。


子供が失敗したりうまくいかなかったとき
がっかりしたり、落ち込んだ姿を見たくないから

そんなことしてはいけません。
やめておきなさい。
そうやって
自分が未経験のことをしようとしたり

自分が過去に失敗したことを経験させてくなくて
禁止する。


お母さんは、子供の命を守るのが仕事だから

そして自我も
私の命を守ることが仕事だから


だから
やったことのないことには恐れを感じさせて
やらないように仕向ける。

なんだ。
怖れの原因は愛なのか。

怖れは、愛から生まれているんだね。


そう気づいたら

ふっと心と体が緩んだ。


ゴールデンウィークあけまで

緊急事態宣言が全国に出されていますが

 

ゴールデンウィークが明けたら

コロナ騒動が収束に向かっていた、、

と

思ってる人って

どのくらいいるんでしょう?

 

もちろん、

そうであって欲しいと

願っている人は大勢いると思いますが

 

実際は

どうかなぁ

わからんなぁ

と

楽観視していない人のほうが大半なのでは?

 

新薬が完成するまで

1年くらいかかるといいますし

 

長期戦

と覚悟して臨んだほうが現実的な気がしています。

 

そうはいっても

私達も日々の生活があるわけで。

 

国も会社も

できるだけのことはしてくれると思いますが

 

頼りっぱなし

寄りかかりっぱなし

では、

 

頼られるほうも

寄りかかられるほうも

 

いつかは限界が来るかもしれなくて。

 

 

助けがある間に

自分でなんとかできる事がないか

試行錯誤

しておいたほうがいいかもしれないな

と個人的には思っています。

 

 

余裕があるうちにやって置いた方が

いいなぁと思うんだけど

 

ビビリな私は

実践できずにいます。。

 

 

いくじなしで

弱虫で

先延ばしすることが得意で

 

まじ、凹む。。

 

あー

でもこれが私と受け入れ諦める。

 

ぽんこつすぎて

情けないから

今日はもう寝てしまおう。

 

言いたかった事は

長期戦になるかもしれないから

コロちゃんと共存していくくらいのつもりで

何事にも取りかかった方がいいよって

ことでした。

 

 

 

人に言ってないで

まず自分がやることやれよ。

 

最後に自分で自分に突っ込んでみました。

 

 

よんでくれてどうもありがとう。

 

 

 

 

 


モンモンが止まらず。

 

友達たちにラインした。

 

 

聞いてー。

相談に乗ってーと。

 

 

そしたらこんな返事をもらった。

 

「それっていい方にいってたヤツじゃなかったっけ?

Mayumi神が「問題」と見れば

ずっとそこに「問題」として居続けるよ。

本性と自我が握手できればいいけど

なんでもかんでも統合して

手放すことが簡単にできるわけじゃないし、

こだわりすぎると

手放さねばに躍起になるし、

できないと自己嫌悪するから逃げる。」

 

 

これを読んで

私は、確かに!と思った。

 

3月くらいにある問題が起きて

組織と体制を見直すことになった。

 

これは私にとってはかなり嬉しい変化。

 

来月には変わる予定。

 

でも、私は、しんどくて限界に来てた。

 

彼女からのラインの返事を読んで

私は自分に聞いてみた。

 

「本当はどうだったらいい?」

 

そしたら

「仲良くして」

だった。

 

 

「相手のできてない所を見つけて

勝とうとしないで。

 

良さが違うんだから

お互い認めあおうよ」

 

って、思った。

 

 

私の本音は、

「仲良くして欲しい」だとしって

なんかウルッとした。

 

 

それ伝えたら

「いい方に行ったのもちょと詰まったのも

Mayumi神が創った現実だけど

つまづいたのがダメなんじゃなくて

どっちも創造できるチカラが

Mayumi神にあるってこと。

私達、いっぱい迷っていっぱい勉強しているから

答えは知ってる。

いざ本番の課題が出たとき、

一瞬ひるんだだけだよね。

それをシェアして遊んでる。

あるあるだね」

って。

 

 

もう降参ってかんじだった。

 

3次元の私が悩んでても

大元からみるエンタメだ。

 

私が困ってるのを

楽しんで見てる。

 

 

そうだった。。

 

 

私が大元と同調するとき

すべてはドラマで

すべては幻だ。

 

私が現実に張り付くとき

それは、問題となる。

 

 

なんてこと。。

 

 

 

 

それを思い出したとき、

 

急にあほらしくなった。

 

 

 

私のすることは

目の前の「問題」を解決する事じゃない。

 

 

いまここに意識をおくこと。

 

呼吸と通じて大元と同調すること。

 

 

 

落ち着こう、

リラックスしよう。

 

私の内側が平和であれば

外もそのうち平和になるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「

不良社会人がいるんですよ。

気に入らないと早退する。

体調不良と言って有休とる。

ポリシーがあるから
会社のいうこともあんまり聞かない。



急に休むことも多いので困ることはたしかにある。


イラッとすることも多いし
なんなんこいつ
と思うこともあるし
扱いが難しくて困ることもある。



でも、
そんな彼を
どこかで

おもろいと思っている私もいる。


ただ。
いわゆる優等生タイプから見た彼の言動は

困った人
自分勝手
和を乱す
ひとのことを考えない

などというレッテルを貼り
見張る。


「○○さん、
あの人ずっと△な場所に4時間もいます。」
と
わざわざ報告に来る。


は?
それで?
 


どうも
サボっていると言いたいらしい。

ずっと見張ってるあなたもサボってませんか?
と言いたい気持ちになった。


あーそーなん。

興味なさそうに返事して放置したら
今度は別の人にチクリに行った。



たしかに
彼の行動は組織には不向きだと私も
思う。

急に休まれることが多いと
仕事を任せにくい。
信用できない。
自分というものをしっかり持っているので
頑固だし、ゆうこと聞かない。

負けるの嫌いだし、承認欲求もハンパない。

子供か
と思うこともよくある。


でも、
正直だと私は彼を見て思うんだ。


やだ、やりたくない。
あいつ、嫌い。
気分悪いから帰る。

平気でそんなことをいうし、やる。

大人として社会人としてどうかと思う気持ちも非常にわかる。


でも。

優等生ずらして

あの人今日もサボってます。
この間は、こんなことしてました。
みんながやってるのに、あの人やってませんでした。


言ってることは間違ってないし、正論だと思う。

思うけど、
嘘っぽいともおもってしまう。


なんで
そんなにその人のこと気にするん?
なにがそんなに気に入らないの?


本当は?

本当は
羨ましいんじゃない?

本当は、ずるいな、いいなって
どこかで思ってるんじゃない?


自分が
そんなことをしていけないと禁止してることを

目の前でしゃあしゃあと何度もされて
ざわついてるってことは

本当は自分もそうしたいからじゃないの?



目の前で繰り広げらるこの出来事をみて

ふと
本性と自我の戦い
と思った。



本性と自我は
対立しやすい気がしてる。

ということは
この二つは同じものの中の両極にあるものか?


ならば私のやることは
ふたつの統合だ。

どっちも否定しない
どっちも受け入れる。

この二つが協力しあえるにはどうしたらいいのだろう?

私の中の本性と自我を握手させればいいのかな?

そんなことを
ちょっと考え中です。