昨日は悶々する日

 

今日はむかつく日。

 

 

**

 

昨日もむかついてたんだけど

どちらかというとモンモンディだったな。

 

今さ、家をリフォームしてて。

 

家中のフローリングを張ってもらってるのと

リビングのフルリフオームをしてもらってる。

 

リフォームのきっかけは、

床が所々沈むようになったこと。

 

歩くとき、気をつけないと行けない場所があって

それがストレスでさ。

 

 

ある日、

「もうイヤだーーー」ってなった。

 

気をつけながら歩くのもう嫌!

床はってもらう!

 

と業者を呼んだ。

 

 

それにかこつけて

親がリビングもフルリフォームしたいと言い出した。

 

まぁいいよ、それはすきにすれば。

 

私は床のお金は出す気だったから

あとは知らん、好きにして、と言う感じ。

 

 

で、

床が終わって

リビングもほぼほぼ終わって、

そろそろ支払いだよねーと思ったから

親に

床のリフォーム代を渡した。

 

 

そしたら。

 

めっちゃ喜んだ。

 

 

それ見て

むかついた。

 

 

アンタに上げたわけじゃねー!

 

業者に払っとけって言う意味だ!

勘違いすんな!

 

 

いや、親が喜んだ理由は分かってる。

全部払わないとダメかな?

娘は少しは出してくれるのかな?

と期待半分、あきらめ半分でいたところへ

私が半分くらいお金出したから

 

 

ラッキーーー♪!!

って喜んだのは分かる。

 

でも。

 

私はやっぱり思うのだ。

 

てめーにだしたんじゃねーー!

 

業者に出したんだ!

この家のために出すんだ!

 

勘違いすんなーーー!

 

心の中で絶叫した。

 

 

(長くなったので続く)

 

 

 

今朝

おふとんの中で

ふと思った事は

 

引きこもりって

意識を内側に向けることなんだ

 

と言う事でした。

 

体が家の中にだけあったとしても

心や意識が外側を向いていたら

それは

引きこもりではない。

 

見た感じは引きこもっているけど。

 

意識がぜんぜん引きこもってない。

 

外ばっかり見ている。

内側に向いてない。

 

 

 

 

もし、

わたしの体が家の外に出ていたとしても

心や意識が

(体の)内側にあったとしたら

それは引きこもりだ。

 

 

そして

自分軸とはその状態に近い気がする。

 

 

いろんな情報が入ってくる。

 

でも

その中から

どの意見を選ぶかは、本人次第。

 

わたしは本当はどう思っているのだろう?

私は本当はどうしたいのだろう?

 

外からの情報を

咀嚼せず、丸呑みするのではなく

 

その情報は自分にとって心地よいものだろうか?

内側に入れる前に自分に聞いた方がいいと思っている。

 

 

気になって始めてみた自分ビジネス。

 

右も左も分からない私は

もともとビビリなこともあって

ちっとも進めない。

 

すこしイライラする。

モンモンする。

 

 

わたしは

自分ビジネスをしたいわけじゃない

 

私はわたしを生きたいんだ!

 

気がついたら叫んでいた。

 

 

 

わたしは

もしかしたらちょっと勘違いしているのかも。

 

 

「自分ビジネス」と「自分そのものを生きる」

 

これって

実はイコールの関係なのでは?

 

 

自分そのものを生きる事が

自分ビジネス??

 

 

「私そのものを生きる。」

 

 

それの延長上に

自分ビジネスがあるなら

 

私のやることは

とことん私を生きる事。

 

そして

私という存在を表現すること。

 

 

私を生きる事が商品になる。

 

のかもしれないと

 

ふと思った。

 

 

そーいや

八木さやちゃん

 

そんなこと書いてた気がするわ。。

 

 

 

いまさら気づいた感が。。滝汗

 

 

 

 

おおとりまゆみ

 

 

 

 

 

 

おそらく

2017年の秋以降だと思うんだけど。

 

 

急に「ツインレイ」

と言う言葉が気になり出しました。

 

ユーチューブなどで

ツインレイ関係の動画をみていると

 

ツインレイに出会うと

もう輪廻転生しない

というような内容の事が書かれていて

 

うわ!?

今の人生が地球で最後?

 

今の人生が終わったらもう生まれ変わらないの?

 

なんか知らんけど

慌てたり

 

あぁ、もう地球を卒業か。。

 

などと感慨深く思ってみたりしてました。

(ちなみにツインレイに出会っているわけではありません)

 

 

それと前後して。

点描画というものを観て

その美しさに魅了されて

 

点描画関連のブログを読んでいたら

秋山峰男さんという方を知りました。

 

その方がやっている

「魂の肖像画」という個人セッションが

気になって気になってしかたなく。

 

開催地を見て迷い、

値段を見て迷い、

気になりながらもなかなか申し込みできずに

日だけが流れていっていたんですが

 

あるとき

エイ!と

思いきって

キャンセル待ちをしました。

 

そしたら

 

予約が取れなくてキャンセル待ちしていた私に

優先案内が来ました。

 

 

2019年秋、

ちょうど秋分の日あたりにセッションをやるとの内容。

 

 

もう、速攻申し込み!

 

すぐ埋まるので

迷っている時間なんてないです。

 

 

そうして

ようやくご縁をいただいて

描いていただいた私の「魂の肖像画」。

 

描きながら

世間話をしてくれるんですが

 

なぜか知らんけど

涙が出て。

 

普通に話しているだけなのに!?

 

意味分からん。

意味不明。

 

(秋山さんは慣れているらしく

近くにあったティっシュの箱を差し出してくれました。笑い泣き

 

諭されたり

叱責?されたりしながら

 

約2時間後。

秋山さんは私に

完成した点描画の説明をしてくれました。

 

そのときにいろいろ言われた中で

一番印象的だったのは

 

「今日は人間の卒業日だね」

って言う言葉と包み込むような笑顔でした。

 

 

(メモを読み返してたら

「社会を生きにくい人たちのガイドとしてサポートするお役目として生きてください」

と書いてありました。)

 

 

この日のブログ

「勝ち負けの世界からの卒業」

について書きましたが

 

 

来週

春分の日ということで

 

怪しい界隈では

宇宙元旦と言われているその日を

迎えるにあたって

 

 

私は

古い価値観から

卒業したいと思います。

 

 

 

くしくも

世の中的にも

3月は卒業シーズン。

 

 

卒業したからと言って

すぐ新しい世界や新しい価値観に

切り替えられるわけもないのですが。

 

宣言することで

私も肚をくくる事ができるのでね。

 

 

 

2015年、

私は生き方を変えることを決めました。

 

それからは

2018年はエスカレータに乗る年と想い、

2019年はロケットに乗る年と想い、

2020年は光に乗る年だと思って過ごしています。

 

そんな私の卒業声明です。

 

 

*卒業の言葉*

 

今まで

 

私以外のナニモノかになるべく

努力や頑張りをしてきました

 

人と比べ

人と比較し

優越感や劣等感を味わってきました

 

必死に努力することがすばらしく

休む事は悪で

ひたすら上をめざしてきました

 

そのままの私ではだめだ

違う誰かにならなければ

 

あの人みたいに。

 

 

他人からの評価が全てで

 

常に誰かから見張られて

 

失敗は悪

遅いのも悪

 

泣き言をいってはいけない

立ち止まってはいけない

 

もっと頑張れ

もっと頑張れ

もっと頑張れ!

 

今までは

そんな時代でしたが。


 

 

2020年3月

 

私は

その価値観を手放し

その時代から卒業します

 

今まで

お世話になり

本当にありがとうございました

 


 

 

これからは

新しい価値観のもと

新しい時代を生きていきます

 

 

本当に

本当にお世話になりました

 

心から感謝しています

 

 

 

 

卒業にむけて

 

おおとり まゆみ

 

 

 

 

 

 

 

 

職場にね。

ものすごく勝ち負けにこだわるメンズがいるんだけど。

 

あー言えばこー言う。

言い訳や説明、

さらには人のせい。

ありとあらゆる方法で

自分を正当化し、相手を言い負かす。

 

そんな人がいてね。

 

負けず嫌い出身の私としては

その気持ちはなんとなく分かる。

 

 

そして今の私は

昔の自分の片鱗を観る感じで

彼を観ております。

 

 

***

 

2年くらい前かなぁ?

 

「進んで負けよう」

「喜んで負けよう」

「負けるが花」

というような言葉たちが

やたら目に留まるようになり

 

 

これはきっと

私へのメッセージなんだろうと

思った私は

意識的に「負ける」ことを選んでみました。

 

 

「勝つ事が素晴らしい」

という価値観の中で

ずっと生きて来た私にとって

 

「積極的に負ける」

というのは

なかなかの修行で。

 

つい言い負かしたくなってしまうのね。滝汗

 

 

責められていると判断すると

責め返す。

 

はっ!又やった。。

 

やってしまってから気づく。

 

 

無意識?に勝とうとしてしまう自分に

気づいては修正、

気づいては修正、を繰り返し

 

去年の春頃?

ようやく

「勝とうとしてしまう自分」から卒業。

 

 

今でも

油断するとすぐ勝とうとしてしまう滝汗ので

そのときは

「負けるが花」と呪文のように唱えてます、笑。笑い泣き

 

 

 

日本語には

「相手に花を持たす」

という言葉があって

 

それって

要は「負けてあげる」ってこと。

 

 

 

 

「勝たせてあげる」

 

それって

心のゆとりの現れでもあるのかも。

 

 

 

 

それに、だ。

 

 

呼吸について書いたときも書いたけど。

 

「吸う」と「吐く」

真反対の行為の価値が同じなら

 

「待つ」と「負ける」

という真反対の価値も同じってこと。

 

 

息を吸い続ける事は不自然。

昼しかない1日も不自然。

 

反対のものは常にペアでその価値は同じ。

 

 

 

でで。

 

この「負けるが花」をやっていると

なぜか勝っちゃう、というパラドックス。

(↑このヘンは現実創造の仕組みだよね)

 

 

「勝つこと」と「負けること」

どちらの価値も同じで

どちらも素晴らしい

 

ということを体感できれば

 

人生は倍豊かになるよ。

 

 

ということを書きつつも。

 

勝つ事にこだわり続ける人生もありだし、

そっちの方が楽しいなら

それを貫くのもそれはそれで素晴らしい。

 

 

 

勝ってみたり

負けてみたり。

 

どちらの立場も経験することも豊かさだよね。

 

 

 

実は私達は

いつもどんなときも豊かなのかもしれないね。

 

(自分的にいい気づき♪)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ドラマの人生とか神話の人生とか

 

よーわからんことを書いてますが、笑

 

 

これについて

ふと思ったことがあるので書いてみます。

 

 

目の前の現実がイヤで

 

その現実そのものをなんとかしようと躍起になる。

 

これがドラマの人生です。

 

 

目の前に現れた現実に対して不満を持ち

(これは自然な反応)

それそのものに手や口を出して

なんとかしようとする。

 

これ、ドラマの人生にどっぷりハマってます。

 

 

 

 

 

実際にドラマをテレビで観ているとしましょう。

 

 

私はちょっと前

「中学聖日記」というドラマにどっぷりハマっておりました。

 

目の前に繰り広げられる

すれ違い

周りの誤解

世間の冷たい目。

 

そういったものが

主人公たちに降り掛かるたびに

 

一緒になって

切ない気持ちになり、

キュンキュンし、

ハラハラし、

 

なにこの人!

二人の事邪魔しないで。

もーそうじゃないんだってば。

どうしてこうもすれ違うの?

もっと素直になって!

 

 

あの人が邪魔しなければ

二人はうまくいくのに

世間はどうして二人に冷たいの?

自分の気持ちに正直になってよ!

 

あの人さえいなければ。

世間さえ味方すれば。

素直になれば。

 

そうすればうまくいくのに。

 

 

って

テレビの前で

イライラして怒ってました、笑。

 

 

 

これです!

 

これってドラマにどっぷりはまってますよね?

 

 

 

 

かたや。

 

ドラマを温かい目で見守っている人。

 

ほーほー

そうかそうか。

なるほどなるほど。

 

これに対してどう乗り越えて行くのかな?

 

うまく行くのか

いかないのか

 

どうなるか分からないけど

ただストーリーを観ている。

 

これはドラマにハマってない。

 

 

 

で、どっちが楽しいかって

多分、どっぷりハマるほうが楽しいと思われます。

 

 

ドラマが好きな人は

どっぷりハマりたいですよね?

 

 

で、

時間がきたら

急に目が覚めたみたいになって

 

「さ、歯みがこ」

みたいな、笑爆  笑

 

 

 

 

でで。

ドラマは1時間で終わるけれども

 

ドラマの人生は

目が覚めない限り死ぬまでドラマ続くんですよ。

 

ドラマだと気づかないまま。

 

 

 

あ、また

言いたい事わからなくなって来た。

えーん

 

 

 

えっとですね。

 

テレビでドラマを観ていて

のめり込んで

敵っぽい人たちにイライラして

 

その人たちをなんとかしようとしても

なんともできないじゃないですか。

 

 

 

ドラマの人生も同じですよってこと。

 

この人さえいなければ

あの人さえ変わってくれたら

 

って

無理なんですよ。

 

 

 

目の前の現実(ドラマ)が気に入らないとき

ドラマをナントカしよう、変えようとするんじゃなくて

 

チャンネルを変えるんです。

自分が観たいものをやってるチャンネルに。

 

そっちのほうが現実的じゃないです?

 

 

 

 

これが現実創造の仕組みになります。

 

 

 

 

目の前の現実が気に入らないときは

チャンネルを変えてしまおう。

 

 

 

私達のやることは

現実をなんとかすることではなく

チャンネルを変えることです。

 

好みのものに。

 

 

 

 

 

#おおとりまゆみ