ここ最近、
とんとーんと願い事が叶いました。


一つは
とある場所でのイベントに出演できたこと。

そしてもうひとつは
一回食べてみたかった
日本一美味しいたまごサンドを食べることができたこと。




去年だったと思うんだけど
センセ方がある場所で行われるイベントに出る
っていう話を聞いた時

あー、いいなぁ、私も出たい!
いつかそこで踊りたい🎵
って思ったんだよね。


もうひとつのたまごサンドも
知り合いから
日本一おいしいたまごサンドが本当に美味しい
という話を聞いてて
何度かチャレンジしたんだけど
売り切れてて買えずにいたの。

たまたま家族がそこへ買い物にいくというから
ダメ元でお願いしたら
買ってきてくれたんだ⭐︎


どちらも
1年越しの願いで

それが叶ったから
もう嬉しくて!


でね。
どうして叶ったんだろうって考えたの。

再現性があれば
これからもいろんな願い事に応用できるじゃない?


二つの共通点を探して
これかな?
と思ったのは


「望んで放置」

だったんだよ。


二つとも、去年
こうなればいいなと
望んだけどその時は叶わなかった。

で、諦めたけど

絶対に無理だと思ってなくて

なんていうか
「望んで放置」っていう表現が一番近いんだよね。

その時は叶わなくても

いつかそうなったらいいなーって
ふわっと望んでおく。

で、放置。


心境的には
「叶ったら嬉しいけど
どっちでもいい」

っていう心境が一番近いかも。


で、
チャンスが来たら乗る。




イベントの例で言えば
誘われたときに「出ます🎵」という。

たまごサンドの例で言えば
「もしあったら買ってきて」
という。 


そんだけ。



私のしたことは

望んで
放置して
チャンスが来たときに乗った、だけ。


私のしたこと

望んだだけ。
そして乗っただけ。

なんもしとらん!笑




強いて言えば
チャンスがきたときに乗ったこと。


イベントの例で言えば
私、まだまだ下手くそだからさ。

誘われた時
「いえいえ、私なんて」と断ることもできた。
(むしろそっちが普通)

でも、私は「出ます」と乗った。


たまごサンドの例で言えば
「どうせ売り切れてて買えない」と決めつけて
お願いしなかったら当然買ってこない。

でも、ダメ元でも言ってみた。




へたっぴかもしれんけど
売り切れてて買えないかもしれんけど

チャンスがあったら乗る。



これかな?と思う。


望んで
(否定しないで、期待しないで)放置して
チャンスがきたら乗る。


超楽チン🎵ラブ
そして
超簡単🎵爆笑



望んでほっとけば
タイミングが来た時に叶う。


もし叶わないなら
叶わない方がいいことなんだよ。


イベントに出れなくても
たまごサンドが食べれなくても

私がそこそこ幸せなのには変わらないんだから。








メンズから意地悪ぽいことをされたときは


「わたしのこと好きなのね❤️」
と思うし




女子から意地悪されたり言われた時は

「わたしに嫉妬しているのね❤️」

と思う私は




そーとーおめでたいし

のーみそいかれてると
思うけど




そっちの方が楽しいし
いい気分でいられるチュー爆笑


人の気持ちなんて
本当のところわからないんだから

自分が気分良くいられる解釈したら
日々楽しいしよ、笑
誰かをみて

かわいそう

と思うことがある


「かわいそうだ」とつぶやくこともある


でも「かわいそう」ということで

その人は「かわいそう」の呪いにかかっていく
(ことがある)


「(あなたは)かわいそうなひと」
何度もいわれると

だんだん

「わたしはかわいそうなひと」
という刷り込みが入っていく


知らず知らずのうちに
それはその人の前提となっていく


かわいそうの呪いに徐々にかかっていく




そのひとは
本当にかわいそうなひとなのだろうか?


もしかしたらその人に
「かわいそうなひと」でいて欲しいのではないだろうか





誰かを見て
「かわいそう」という人は

その人にかわいそうな存在でいて欲しいんだ
(と思う)


それによって
優越感とか感じられたりするからね
(わたしのことです)



誰かを「かわいそう」というだけの人は

その人の底力を信じてない人。



かわいそうの呪いを
かけずに


信じてあげたらいいなと思う



いままで
自分のことを
「かわいそうな人」と思って被害者ぶって
生きてきたこともいっぱいあるけど


自分に「かわいそう」の呪いをかけるのは
もうやめようと思う


それより
自分の底力を信じよう


他人から
「かわいそう」の呪いを
かけられそうになったら

逃げよう、笑


自分のことを
「かわいそう」と思う時は

自分のことを「かわいそう」って思いたいんだな
そんな時期なんだなと思って寄り添うと思う




そもそも


かわいそう

って言われて喜ぶ人いるんだろうか





「かわいそう」って言われて
喜ぶ人がいないなら

それは失礼な言葉かもしれないね。






わたしが悲しんでいても

太陽は輝いている



わたしが哀しんでいても

爽やかな風が吹いている



わたしがしずんでいても

自然はいつもと変わらない




自然がいつもと変わらないことに

「ちょっとはわたしの気持ちに寄り添ってよ」
と唇を尖らせたくなるけど

でも
いつもと変わらない自然に安心感も覚える







わたしが
泣いていようと
楽しんでいようと


自然は自然のままだ



三浦春馬様

昨日、あなたの訃報を聞きました。


突然のことで
信じられず

うそでしょ?
と何度も何度も思いましたし

受け入れられずにいました。


春馬くんの死に関する話が
あちこちから入ってきて

本当なのだという思いと
嘘であって欲しいという思いがまじっていました。


なんで?なんで?なんで?
と頭の中はクエンションマークと
言葉では言い表せない感情でいっぱいでした。


夜になって


理由はどうであれ
もう春馬くんには会えないんだ

という事実を受け入れるため


ただ
悲しみに寄り添い
哀しみとともに過ごそうと思いました。




一晩
自分の中の悲しみと一緒にいて

今日は
春馬くんへの感謝が湧いてきました。


春馬くんのことを大好きになったのは
ドラマ「ブラッディマンディ」でした。

当時まだ20代前半だったと思いますが
めちゃくちゃ演技がうまくて

この子すごい!
と感動したのを覚えています。

それからすっかりファンになり
春馬くんが出るドラマは見ていました。

若いのに演技派で
すごい人だといつも尊敬していました。

春馬くんは
わたしのイケメントップ5の一人で
した。







春馬君の演技にどれだけ感動させられたか
春馬君の笑顔にどれだけ癒されたか

ドラマや映画を見て
元気や癒しをもらっていたことを思い出して

今は、感謝の気持ちが湧いています。




悲しみはまだなくならないけど
春馬君の存在が
わたしにとって元気の素のひとつでした。


だから

ありがとうを伝えたい。





春馬くん
ありがとう





もう2度と会えないと思うと
悲しくてショックだけど

春馬くんからもらったものは
たくさんあるよ

ありがとう




ありがとう春馬くん


本当にありがとう





1度も会えなかったことは
本当に残念だけど


春馬くんがわたしにくれたものは
悲しみより

感動とか
癒しとか

そういうものの方が
数倍も数十倍も
数百倍も多いってことを思い出しました。





春馬くん

どうぞ安らかにお眠りください。

今まで
本当にありがとう







ご冥福をお祈りいたします。


感謝を込めて。


Mayumi