さとうみつろうさんの新刊を読んだ。


一言でいうなら
「めっちゃ面白かった!」



まず、上巻を読みおわった時点で
わたしは幸せになった。


わたしはずっと幸せでしかなかったことを
思い出したからだ。

私たちは
本当の意味で
不幸になったことは生まれてから1度もない。

しいていえば
幸せを感じたくて不幸っぽい出来事を事前に
作り出してるだけ、ってこと。

てっとりばやく幸せを感じるには
不幸が一番だ。


お腹をペコペコに減らして食べるご飯と
そうでもないときに食べるご飯の幸福度は
誰もが経験済み。



たいして苦労もせずに手に入れたものと
苦労して苦労して
頑張って頑張って手にしたものとは

そのとき感じる喜びは
不幸の度合いと比例する。



そのことを思い出して
アホすぎて
愚かすぎて
だからゆえに愛おしいわたしという存在。

可愛すぎて
抱きしめたくなったわ爆笑ラブ。



私たちは
そもそも幸せである
ということを認めざるを得ない、、
と上巻を読んだら思うんじゃないかな?





かたや下巻。

こちらは
そもそもの仕組みについて書かれている。
(とわたしは思った)

この世の仕組みというか
宇宙のしくみというか

さっき、わたしは
「生まれてから本当の意味で幸せでなかったことはない」
と書いたけど

そもそも生まれていないのかもしれない、
そもそもわたしは人間なんだろうか?
とか

そんな恐ろしい疑問を持ってしまう内容。


下巻を一言で言えば
悟り本
になるのかなぁ。





上巻も常識から考えれば
ぶっ飛んだ内容だけど、

下巻もぶっ飛んでる。

なので
このテの話を聴いたことがない人が読んだら

意味不明だし、
拒絶反応が出るかも。


そういう人は
SF、ファンタジー、フィクション
などの小説と思って読んでみたらいいかもね。

この本に書いてあることが
全て作り話だと思ってもいいから

1回読んでみて欲しいなぁ、と思います。

さとうみつろうさんの本は
どれも本質について書かれていて
どれもとっても面白く

この本も、本当に素晴らしいと思いました。


みつろうさん天才やな。



あ、でも
本の感想はあくまでわたし個人の感想で

みつろうさんの意図とは、
まったくズレていて

「俺の伝えたいことはそんなことじゃなーい!
ちがう!」
なるかもしれない、笑。

そして繰り返し読むことで
また違う感想になるかもしれないので

読み返してみようと思います。


ひさびさに
本読んで興奮したわ🎵



楽しかった!















ここ最近、
とんとーんと願い事が叶いました。


一つは
とある場所でのイベントに出演できたこと。

そしてもうひとつは
一回食べてみたかった
日本一美味しいたまごサンドを食べることができたこと。




去年だったと思うんだけど
センセ方がある場所で行われるイベントに出る
っていう話を聞いた時

あー、いいなぁ、私も出たい!
いつかそこで踊りたい🎵
って思ったんだよね。


もうひとつのたまごサンドも
知り合いから
日本一おいしいたまごサンドが本当に美味しい
という話を聞いてて
何度かチャレンジしたんだけど
売り切れてて買えずにいたの。

たまたま家族がそこへ買い物にいくというから
ダメ元でお願いしたら
買ってきてくれたんだ⭐︎


どちらも
1年越しの願いで

それが叶ったから
もう嬉しくて!


でね。
どうして叶ったんだろうって考えたの。

再現性があれば
これからもいろんな願い事に応用できるじゃない?


二つの共通点を探して
これかな?
と思ったのは


「望んで放置」

だったんだよ。


二つとも、去年
こうなればいいなと
望んだけどその時は叶わなかった。

で、諦めたけど

絶対に無理だと思ってなくて

なんていうか
「望んで放置」っていう表現が一番近いんだよね。

その時は叶わなくても

いつかそうなったらいいなーって
ふわっと望んでおく。

で、放置。


心境的には
「叶ったら嬉しいけど
どっちでもいい」

っていう心境が一番近いかも。


で、
チャンスが来たら乗る。




イベントの例で言えば
誘われたときに「出ます🎵」という。

たまごサンドの例で言えば
「もしあったら買ってきて」
という。 


そんだけ。



私のしたことは

望んで
放置して
チャンスが来たときに乗った、だけ。


私のしたこと

望んだだけ。
そして乗っただけ。

なんもしとらん!笑




強いて言えば
チャンスがきたときに乗ったこと。


イベントの例で言えば
私、まだまだ下手くそだからさ。

誘われた時
「いえいえ、私なんて」と断ることもできた。
(むしろそっちが普通)

でも、私は「出ます」と乗った。


たまごサンドの例で言えば
「どうせ売り切れてて買えない」と決めつけて
お願いしなかったら当然買ってこない。

でも、ダメ元でも言ってみた。




へたっぴかもしれんけど
売り切れてて買えないかもしれんけど

チャンスがあったら乗る。



これかな?と思う。


望んで
(否定しないで、期待しないで)放置して
チャンスがきたら乗る。


超楽チン🎵ラブ
そして
超簡単🎵爆笑



望んでほっとけば
タイミングが来た時に叶う。


もし叶わないなら
叶わない方がいいことなんだよ。


イベントに出れなくても
たまごサンドが食べれなくても

私がそこそこ幸せなのには変わらないんだから。








メンズから意地悪ぽいことをされたときは


「わたしのこと好きなのね❤️」
と思うし




女子から意地悪されたり言われた時は

「わたしに嫉妬しているのね❤️」

と思う私は




そーとーおめでたいし

のーみそいかれてると
思うけど




そっちの方が楽しいし
いい気分でいられるチュー爆笑


人の気持ちなんて
本当のところわからないんだから

自分が気分良くいられる解釈したら
日々楽しいしよ、笑
誰かをみて

かわいそう

と思うことがある


「かわいそうだ」とつぶやくこともある


でも「かわいそう」ということで

その人は「かわいそう」の呪いにかかっていく
(ことがある)


「(あなたは)かわいそうなひと」
と
何度もいわれると

だんだん

「わたしはかわいそうなひと」
という刷り込みが入っていく


知らず知らずのうちに
それはその人の前提となっていく


かわいそうの呪いに徐々にかかっていく




そのひとは
本当にかわいそうなひとなのだろうか?


もしかしたらその人に
「かわいそうなひと」でいて欲しいのではないだろうか





誰かを見て
「かわいそう」という人は

その人にかわいそうな存在でいて欲しいんだ
(と思う)


それによって
優越感とか感じられたりするからね
(わたしのことです)



誰かを「かわいそう」というだけの人は

その人の底力を信じてない人。



かわいそうの呪いを
かけずに


信じてあげたらいいなと思う



いままで
自分のことを
「かわいそうな人」と思って被害者ぶって
生きてきたこともいっぱいあるけど


自分に「かわいそう」の呪いをかけるのは
もうやめようと思う


それより
自分の底力を信じよう


他人から
「かわいそう」の呪いを
かけられそうになったら

逃げよう、笑


自分のことを
「かわいそう」と思う時は

自分のことを「かわいそう」って思いたいんだな
そんな時期なんだなと思って寄り添うと思う




そもそも


かわいそう

って言われて喜ぶ人いるんだろうか





「かわいそう」って言われて
喜ぶ人がいないなら

それは失礼な言葉かもしれないね。






わたしが悲しんでいても

太陽は輝いている



わたしが哀しんでいても

爽やかな風が吹いている



わたしがしずんでいても

自然はいつもと変わらない




自然がいつもと変わらないことに

「ちょっとはわたしの気持ちに寄り添ってよ」
と唇を尖らせたくなるけど

でも
いつもと変わらない自然に安心感も覚える







わたしが
泣いていようと
楽しんでいようと


自然は自然のままだ