今日は環境について思うことをかいてみようと思います。


さっきふと

「幸せでいたいなら幸せな人のそばにいないとだめだな」
と思いました。


日本人って(特にいい人は)

自分だけが幸せな状態が続くと
周りに

「申し訳ない」

っておもうよねって思ったんです。


「自分だけ幸せで悪いな」
というナゾの罪悪感。


「みんな大変なのにわたしだけいい思いしていいのかしら」
という罪の意識。


そんなことを無意識レベルでおもっていると

ずっと幸せでい続けることはもちろんないし、

「わたしも不幸にならなければ」
自らを不幸にしてしまう可能性も大。


日本人にありがちな
「みんな一緒で」
という連帯感?みたいなものがあるからなのか
わかりませんが、

「自分だけみんなと違う」
とざわざわすることないですか?

そんなことを無意識レベルで思っていたら
周りと一緒な幸せレベルでいることが優先されてしまうので

自分だけ幸せ

とか

申し訳なくなって
自ら辞退してしまうんです。


これらは
無意識レベルで行われるため

「幸せって長くは続かないのね」
とか

そんな変な思い込みを持ってしまうことにもつながり

そんな思い込みがあると

それを証明するかのように
幸せが長く続かない現実が創造されるでしょう。


ほとんどの人は
幸せでいたい!

と思っていると思うので

それを叶えるためには
①幸せな人が沢山いる環境に身を置く。
②周りが不幸でもわたしは幸せでいる選択をする。


などが方法としてあるかなと。


ただ、ずっと幸せって案外退屈なんですよね。
ずっと幸せな人は気づいていると思いますが。

そうなると
無意識レベルでトラブルを引き起こしたりすることもあるのかなと思っています。






周りの人に悪いから
幸せのレベルを下げてしまうことをしていると

周りの人も同じようなことを思っていると思うので
(類は友を呼ぶ)

そこは
「わたしが先頭になって幸せのレベルを上げる」
と決めて


幸せでい続ける
という選択をしていただければ

周りの人も本当は幸せでいたいわけですから

誰かが幸せでい続けることで
周りの人も「じゃあ、わたしも」
って
なると思いません?




わたしも

ずっと
「みんなで幸せになりたい」と思って生きてきたので

自分だけ幸せとか気が引けて嫌だったんですが、

そんなことをしていると
いつまでたっても
自分が望む幸せレベルにならないと気づいたので


「先に幸せになるわ」

と周りを置いていく覚悟をしました。


そしたら
案外ついてきてくれて爆笑ニコニコニヤリウインクおねがいラブラブ

今は
逆にわたしがついていく側かもしれん。


なので、

周りへの遠慮っていらないなぁと感じています。


だって
本当はみんな幸せになりたいんだもんね。




ということで、


あなたが
連帯感が何より大事な人なら
自分が望む幸せな人と一緒にいる時間を増やす
(ブログやYouTubeなどを含む)

周りのために
わたしが先に幸せになると決めて
まわりの幸せレベルに合わせず、
幸せでい続ける

などが
てっとり早いかなと思いました。


あくまで
個人的意見なので

そんな考えもあるのねと
さらっと受け流していただけたら幸いです。






読んでくれてありがとう





Mayumi神








最近のわたしは、

割と平和で
穏やかで

安心と安全を感じながら
いわゆる幸せな毎日を送っています。




昨日、
自分のインスタを見返していました。



6月ごろは
パワハラ部長にうんざりしていたり

トラブルに次ぐトラブルで
かなり参っていた様子で

だれかなんとかしてくれと
藁をも掴む思いでいて

だいぶしんどそうなことを書いてて


そうそう!
こんときしんどかったわー。

いつからだっけ?

4月の半ばくらいからかな?

仕事は忙しいわ
コロナで世間はピリピリしてるわ
部長はパワハラするわ
ありえないトラブルが次々と発覚するわ


毎日発狂しそうなくらい

うぎゃーーー!!!!!!
って

叫びたいくらいな日々を送っていたことを思い出して


今の平和な日々がくるとは
当時は想像もできなかったけど

4ヶ月くらいしんどい毎日をおくって



今は、

🎵そんな〜時代も〜ああーったねと🎵

中島みゆきの歌を歌いたいくらい
こころ穏やかに過ごしています。


でね。

当時、(と言っても数ヶ月前だけど)

しんどくて
しんどくて
どーしようもない中で

思っていたことは

「こんだけしんどいことが起きると言うことは
そーとーしあわせな未来がくるということなんだな」

と言うことでした。


ジャンプの前の屈伸、みたいなもん
といえばなんとなくイメージ湧くでしょうか?


深く沈めばその分高くとびあがれる、
っていうあのしくみです。



なんでそんなことを根拠もなく思えていたかというと


去年の出雲大社へ行った時の体験があるからなのです。




わたしね。
去年の11月にある神迎祭に参加したの。

1度でいいから行ってみたいと思っていた
そのご神事に参加出来ることになったとき

その流れに驚いてた。

いろんな(わたしにとっての)難題が
ことごとくクリアされ、

「これは(神さまに)呼ばれているに違いない」
と勘違いしたくなるほとミラクルの連続が起きた。


だから、

出雲に行くためにのった特急列車が
まさか遅れるなんて夢にも思わなかったのに

まさかの1時間以上遅れ!
(わたしの人生で2度目!)

乗り継ぎが必要だったから

時間が押したことで
乗り換えられないかもしれないと焦ったし
動揺したし、イライラしたり、落ち込んだり
泣きたくなったり。

結果、ギリギリセーフで間に合ったんだけど。

でも、そのあとは、
ミラクルの連続で。

うっそーーー!!
と何度叫んだことか!

そのくらいめちゃめちゃ楽しいハッピーな旅行となりました。


そん時思ったんだよね。

「不幸の後は喜びがやってくる。」


これは
わたしの体験でしかないけど


わたしにとっては
まぎれもない事実。


だから

今年の4月からのいろんな辛いことに
悶えながらも

どこかで

「ということは
これが終われば喜びがやってくるんだな」

と思えて仕方なかった、

ことを
過去のインスタを見返して思い出してました。


だから、
今、もししんどい最中にいる人がいるなら

わたしはその人に伝えたい。


「これが終われば幸せがやってくるから
安心して苦しんでいてね」



しんどい最中は

「まだかーー」
「いつになったら終わるんだ?」
「はよおわれー」

って
ひーひー言ってたわたしがいうのもナンだけど


いつか終わるから。


あなたが頑張ったから終わるんじゃない。

時が来たら終わるの。


そーゆーもんなのよ。
(たぶん)


なので
早く終わらそうと頑張るのはやめにして

時が来るまで諦めてくださいニコニコニヤリウインクおねがいニヤリ




苦しいとき
しんどい時

わたし達がやることは

早く終わる様頑張ることじゃなく

苦しさやしんどさを
がっつり味わうことなのです。


飽きるまで悲しんで
飽きるまで文句言って
飽きるまで苦しむことです。





色々書いたけど
言いたかったことは

嫌なことや苦しいことは
喜びがやってくる前触れです、

ということです。



不幸は人生のスパイスです

by Mayumi神





なんかさ、

世の中
こんなのが幸せ

みたいなのがあるじゃん。

夫婦はいつも一緒にお出かけ、とか。

いつも笑っていて喧嘩しない、とか。

前向き、ポジティブ、とか。

明るくて、元気、とか。

家族揃って食卓をかこみ、
笑顔で家族団欒、みたいな。


でもさ。

幸せって本当は人の数だけあるはずなんだよね。





テレビとかで

大きなお家に住んで
いい車にのって 、優雅に暮らすのが幸せって
思い込まされてるんだ。




そういえば昭和初期

「家付き、カー付き、ババア抜き」
とか

3つのCとか言って

「カラーテレビ、クーラー、カー(だっけ?)」
がもてはやされた時代もあったと
テレビでみたことあるような?

高度成長期のころは
こぞって買いに行ったんだろうな、と思う。


そういう時代があったからこそ、

人々は物では幸せを感じにくくなってる。




1日中ゲームしていることが至福な人もいるだろう。

1日中絵を書いていることが幸せな人もいるだろう。


そしてそんな人もなにかの拍子に飽きて
急に旅行したくなったりしてね。


そんな人を「オタク」と呼んだり
「飽き性」「こらえられない人」と呼んだり
して

下に見ようとする。

あるいは、
「オタク」な自分、
続かない自分のことを卑下して
罪悪感とか自己否定とかするひともいると思う。




幸せは人の数だけある。





人の人生にとやかく言ってる暇があるなら

自分の人生をもっと幸せにすることを考えればいいのに。



一般の常識に当てはめて

そこにはまらないからといって
人のことを不幸呼ばわりするな。

昔から言うだろ。

「人の幸せ邪魔するものは馬に蹴られて死んじまえ」って。


その人は幸せなんだよ。

あなたから見て不幸だとしても。


自分の物差しに当てはまらないからといって

勝手に人を不幸呼ばわりすんじゃねーよ。




メディアに洗脳された幸せなんてくそくらえだ。

自分の幸せの基準は、自分でつくりやがれ。




人の数だけ幸せってあっていいんだよ。


あなたが幸せって思えるなら
心から安心と満足を感じているなら

それが正解だとわたしは思う。


もう、
他人にふりまわされるのやめよ。
世間にふりまわされるのやめよ。


あなたの幸せの基準は
あなたが作っていい。






ぜひ、読んでーー!
とおススメしたさとうみつろうさんの本
「レイ」ですが

上巻に落丁本が発生しているようです。

もし購入された本が落丁本でしたら
速やかに出版社へご報告ください。

もれなく
新しい本とお小遣いが頂けるそうです。



詳しくは
さとうみつろうさんブログへ。


さとうみつろうさんの新刊を読んだ。


一言でいうなら
「めっちゃ面白かった!」



まず、上巻を読みおわった時点で
わたしは幸せになった。


わたしはずっと幸せでしかなかったことを
思い出したからだ。

私たちは
本当の意味で
不幸になったことは生まれてから1度もない。

しいていえば
幸せを感じたくて不幸っぽい出来事を事前に
作り出してるだけ、ってこと。

てっとりばやく幸せを感じるには
不幸が一番だ。


お腹をペコペコに減らして食べるご飯と
そうでもないときに食べるご飯の幸福度は
誰もが経験済み。



たいして苦労もせずに手に入れたものと
苦労して苦労して
頑張って頑張って手にしたものとは

そのとき感じる喜びは
不幸の度合いと比例する。



そのことを思い出して
アホすぎて
愚かすぎて
だからゆえに愛おしいわたしという存在。

可愛すぎて
抱きしめたくなったわ爆笑ラブ



私たちは
そもそも幸せである
ということを認めざるを得ない、、
と上巻を読んだら思うんじゃないかな?





かたや下巻。

こちらは
そもそもの仕組みについて書かれている。
(とわたしは思った)

この世の仕組みというか
宇宙のしくみというか

さっき、わたしは
「生まれてから本当の意味で幸せでなかったことはない」
と書いたけど

そもそも生まれていないのかもしれない、
そもそもわたしは人間なんだろうか?
とか

そんな恐ろしい疑問を持ってしまう内容。


下巻を一言で言えば
悟り本
になるのかなぁ。





上巻も常識から考えれば
ぶっ飛んだ内容だけど、

下巻もぶっ飛んでる。

なので
このテの話を聴いたことがない人が読んだら

意味不明だし、
拒絶反応が出るかも。


そういう人は
SF、ファンタジー、フィクション
などの小説と思って読んでみたらいいかもね。

この本に書いてあることが
全て作り話だと思ってもいいから

1回読んでみて欲しいなぁ、と思います。

さとうみつろうさんの本は
どれも本質について書かれていて
どれもとっても面白く

この本も、本当に素晴らしいと思いました。


みつろうさん天才やな。



あ、でも
本の感想はあくまでわたし個人の感想で

みつろうさんの意図とは、
まったくズレていて

「俺の伝えたいことはそんなことじゃなーい!
ちがう!」
なるかもしれない、笑。

そして繰り返し読むことで
また違う感想になるかもしれないので

読み返してみようと思います。


ひさびさに
本読んで興奮したわ🎵



楽しかった!