週末は、先輩の結婚パーティーの為東北へ。

福島は猪苗代湖畔にて喫茶店を経営する先輩が主役のパーティー

そして、会場もその喫茶店。

沢山の先輩方があつまり、もっとも私が若輩者。

それでも大盛り上がり、食材高級すぎ。

キャビア、フォアグラ、カニ、寿司・・・・・

とつぜんのあまり縁が無い食材に胃袋おどろきすぎ、後に腹下し。

2次会、会場移り、宿泊するコテージにてホームパーティーというか宅のみ。

酔っ払いすぎ、10年ほどタイプスリップ過去へGO!

てなかんじで、学生時代さながらの飲み会に発展。

途中、変なことがきっかけで、マスターが暴れ始め、バイオレンスな雰囲気に。

鈍い音が室内に響き、周りはドンビキ。

でもね、でもね、さすが付き合い長いだけある。

こんな状況以前にも経験済みだし、チームワークばっちりでフォロー。

でも正直、新たな一面を見たことでその人の印象は変わる。

おかげでより輪のなかに入れた気がした。

今日のメンバー。
なぜだか大半がフリーランスか経営者。
卒業した大学の創設年(一期生)のメンバーはみんなこゆい。

先輩いわく、
サラリーマンはできない。

今のご時世、サラリーマンも大変だけど、経営者はもっと大変。

そういう独立精神を見習います。

おしゃべり男

私はこの部類に入る。

非常におしゃべりで、日々のこと、感動したこと、日常のこと、
身の回りでおこったことを誰かに伝えずにいられない。
もちろん、好きなことや嫌いなことに関しても、
自分の信じているもののことは熱く、強く語る。

私のコミュニケーションのタイプをメディアに置き換えると、

放送

に近いと思う。
頭に描いたよしなしごとを一方的にはなしてるだけである。

つまり、インプットされる情報は身の回りの出来事で、自分の興味
あるものにかぎってしまい、それに対してのことばかり。

何で、あいまいな発言や自身のなさそうな発言しかできない私が、こんなにもおしゃべりなのか。

それは独自の判断基準でしかないため、他人との軋轢を考慮する必要がないからだろう。
なので、会議やディベートの場ではさっぱりさっぱり・・・。

コミュニケーションでは

インプット→処理→アウトプット

という流になるのだが、私は処理に時間がかかるからか、日常の出来事の断片的記憶をほとんど処理することなく、ただ、出来事にたいして、
「すごかった」
「おどろいた」
「感動した」
とか・・そんなことばかりのような気がしてきた。

インプットされた情報を独自の価値判断、基準で処理し、その上でのアウトプットを的確、かつ迅速にできるようにならなければ、人とのコミュニケーションなんてものは良い形では成立しない。

頭が悪い、センスがない

という表現でおきかえれば、それでしまいなのだが、処理中にきちんと
記憶へとどめておくことにも時間がかかっているようだ。

まずはきちんと話を聞く。

当面の目標は垂れ流しのコミュニケーションからインタラクティブな、かつ、情報をきちんと処理しアウトプットできるように・・・・。

これからはプライベートで会話していても、疑問点があったら理解できるまで質問して聞いてみる。日常から癖付ける。

人の話を中途半端に聞いて理解しないのは愛がない。

そんな愛がない人同士なら、相手との絆は深まらないだろう。
ちびまるこちゃんの藤木くんは卑怯者の異名を持つ。

そんな私も藤木君に負けないくらい卑怯者だ。

きょう上司から指摘され、納得した。

くりかえすが、私は卑怯なのだ。

私は自信がないと

「だとおもいます・・・」

「だったとおもいます・・」

「ではないかとかんがえられます・・」

などなどなど、はっきりせんのである。

つまり、自信がない場合、ぎりぎりのラインで

責任ある発言に対して防衛ラインとしてあいまいな

受け答えをし、自分を無意識のうちに守っているようなのである。


これまでの人生でも友人知人から「お前が悪いのにこっちがわるいみたいだ」

みたいなことを言われたことがある。これもまたぎりぎりのラインで責任転嫁

する、わたしの無意識の行為や言動といて現れていたからだと思う。

今日は目からうろこが落ちが気分だった。

卑怯者よばわりはされたくない。卑怯者にならないためには、

やっぱり自信を持って何でも発言する。それができれば僕は一回り成長できる。

人間としても、ビジネスマンとしても・・・。
私はWEB系エンジニアの仕事をしている。

しかしながら、プログラムのコーディングはまだまだうといのが正直。
これまでのキャリアで仕事としてプログラミングという行為をしたことがなかっただけではなく、集中して自ら学ぼうとする姿勢を作っていなかった・・のだろう。

これまで私を元気付けてくれる人は、
「経験をつめば」
「君は素直だから、いい人に出会えれば伸びる」
と言われてきた。

そして現在、ちいさな組織ながら、経験浅いわたしを育ててくれる上司から振られる

仕事は・・・設計、スケジューリング、マネジメント

そして・・・用件定義、打ち合わせ、折衝

経験は浅くとも、今後はプロジェクトをマネジメントする立場で業務を進めて行くことになってきている。

入社当初はまずは「開発」をということだったのだが、気づくと「マネジメント」

「プロジェクトマネージャーの仕事」

を経験させてもらっている。

私は尋ねた。

「プログラマーとしての適正がないということで、私はマネジメントになったんですか」

上司は答えた。
「そうじゃない、即戦力になってもらいたいということと、君の場合は逆の順序のほうが身につくと思ったから。システムの詳細部分から理解するのでなくて、大枠から理解することで詳細がより見えてくる。つまり、木をみるのでなく、森から見てそして木を見る。その順序のほうが君は理解できると思う。」

前向きに受け止めよう。
信じようと思う。

結局適正や、向き不向きの判断は最終的にはお客さんがしてくれるはず。

だけど、正直思うんだ。

人間、できないことはないはず。

きっと、なんでも、勉強して、努力して、理解しようと時間をかければなんだってできる。

そして、私はやりたいこと、好きなことの中でも、最も不得意な部分を伸ばして行こうと思います。

仕事で自己実現を目指している場合、2種類の実現方法があると思う。

1、長所を伸ばす。長所をのばし、誰にも負けない自信をつける。
2、短所を伸ばす。苦手な部分を克服し、そして自己の成長として自信をつける。


けっきょく自信なのかもね。自分を信仰する心。

最終的には自分を信仰してくれるのは自分だけなんだから・・・・。

自分を信じて、日々自分への信仰を高めて行けるように、

誰の前でも、誰にも負けないくらい信じられる自分へ近づいていこう。

貴方なら、どんな自分なら信仰できますか?


可能性を広げる。

可能性を広げるってどういうことか。
自分の信じている道を突き進む。
一点だけに集中してそれに向かって走り続ける。

世の中で大成している人の大半はそういう人です。

アインシュタインも
「私は天才ではありません。
ただ、人より長くひとつのことと付き合ってきただけです 」

と言っています。

でも、世の中の大半の人が、自分に最適な仕事で食っているわけではない。
そういう私も、今の仕事は自分の人生の為になると考え、ゴールではない
あくまでも過程だとおもって取り組んでいる。

過程なのにいまのところダメダメパンクしまくりだが・・。

経済活動や流通と言う視点からみても、社会は恐ろしいほどの分業化が進んでいる
ことで豊かな生活が成り立っている。

農家や工場で生産された製品を商品として流通社会にのせてみんなが不自由なく
欲しいものを手に入れている。

本来ならば、学生のうちに、こういった流通社会、経済社会において
最適なポジションをみつけ、そこで一生懸命自分の能力を発揮することで
社会に貢献できるわけだろうけど・・・・

だけど、人の可能性って、どんなところに眠ってるかわからない。
小さいころからそういった、これは人より向いている。好き!できる!

ってことを一生懸命やってきて、世の中に出て、上には上がいるということを
しらしめられて、へこんで、へこんでおちこんで、それでもそれがやりたくて。

そんなふうに・・・悩んで苦しんでる人は少なくないのかも・・・。

人は、自分の信じる道を突き進むのに、最短距離をどうしてもいきたくなる。
でもね、すこし遠回りしたら、自分の可能性ってひろがるんじゃないのかな。



と・・・言い聞かせ、昨今の私は生きています。



まえむきに、まえむきに、そう、前向きにいきましょうよ。

週末までに何とか仕事をコンプリートできたため、
土曜は東京オペラシティーのICC(インター・コミュニケーション・センター)へ

ICCとは簡単に説明すると、メディアアートを主な展示物とする美術館。
以前の職場にICCで学芸員をしていたという知人がおり、興味本位で以前一人で
訪れていた。

映像や音声、そしてコンピュータテクノロジーを駆使した作品が多く、
ただの閲覧方とは違いアトラクションのような体験型の作品が多い。

今回の展示は「アート・ミーツ・メディア:知覚の冒険」というもの。

印象に残った作品を簡単に話すと、

・ペンタブレットで読む動く絵本
 薄暗いフロアの卓上にプロジェクターで投影された本。
 これをペンタブレットでドラッグの動作をすると、ページがめくられ、
 各ページでタブレットの動きに合わせて様々なアクションがおきる。
 面白かったのは、同じフロアに扉の閉まったドアが投影されていて、
 絵本のページにドアノブが現れる。ドアノブをクリックすると、突然
 扉を開け、女の子が扉の向こうへ飛び出して行く。
 
・お手玉するワイヤーフレームの人間
 フロアに入ると、ワイヤーフレームの人間が5人くらい同じ動きをしながら
 様々なものをお手玉している。まぁ、それだけなのだが、驚くのは
 それは映像ではなく、実物で、コマ絵とおなじ要領で、実作品をつくり
 それを凄い速度で動かすことで映像に見えるというもの。
 イメージとしてはメリーゴーランドを凄い速度で動かしているような様子。
 元は投影されている映像にみえるが、動力源が停止し、惰性で動き始める
 タイミングで初めて実物ということに気づく。

・暗い部屋
 暗い部屋にとじこめられて、音声を聞かせられる。
 無音質といって、音声が響かないような素材で囲われているフロア。
 真っ暗闇で椅子にすわると、ちょうど頭の後ろ側にあるスピーカーから
 電子音が(破裂音や高い音や低い音様々なリズムで)発せられる。
 音が響かないため、頭の中で直接おとがなっているような錯覚に陥る。
 (心臓の悪い人は利用できません)

・明るい部屋
 暗い部屋とセットの作品だが、これが凄いインパクト。
 真っ暗の部屋から出た直後通される。
 むちゃくちゃ明るい。というか白い。凄く白い。
 畳を4畳を縦に並べたような細長いスペース。かぺは白いつるつるの
 光をよく反射しそうなパネル(床面も)その狭いフロアの天井の部分に
 蛍光灯がびっしりと設置されている。

 真っ白い空間に真っ白い光で、暗闇から突然つれてこられたこともあり、
 目が開けられん。なれてきてもそれでもマブシィ。

 ツレの子は「ここじゃ生きていけない」と・・・。

 俺は生きてゆけるが、確かにまぶしい。すげぇまぶしい。
 う~ん。激しくマブシィ。

 要するに激マブってやつだ。

ICCオススメでっす。
 
成長という言葉がある。

よく考えてみると非常にあいまいにしか認識していない。

辞書でしらべてもつきなみな意味しか出てこない。

なんでこんなことを考えたかだが、仕事における成長とはどいうことか。

仕事ができるようになる。

ということに尽きると思うが、いままでの人生でたしかにいろいろ経験し、

できるようにはなってきただろうけど、

自分自身でう~ん、俺せいちょうしたなぁ!

と感じたことがないことに気づく。

成長した、前よりできないことができるようになった。

たしかにできるようにはなっているけど、成長したか?

私が考えている成長というのはどういうときに実感できるのだろうか。

なにか作品を作り上げたり、プロジェクトがコンプリートしたときか?

ほかにも苦しいとを繰り返して、限界が伸びたときに感じるのか?

わからない。できることが増えたとは感じるが成長とは私の中ではどうも結びつかないのだ。

もし、限界を伸ばすことを成長とすれば、限界という言葉が連想される時点で辛い、苦しい、もうやめたい、たすけてくれ、ひぃ~!

という状況におちいっている時にしか限界という言葉は浮かばないと思う。

だから、好きなことを好きなだけやっても、たとえやりすぎたとしても限界という気分にはならない。




まだ転職した手の私は、なれない仕事でパンク気味。

仕事に慣れることで成長したことになるのだろうか。

成長じゃなくて、慣れるだけじゃないのか。

成長というのは、自分の見ている方向で輝いているところに近づくことなのかな。

それとも、私は能力がないのに、背伸びしているのかな。

能力を高めるには努力するしかないんだろうけどなぁ。

そんな私はいつでもいまのところ、しばらくは必死です・・・。
日曜のはなし。
いろいろ、地元でやりのこした仕事を片付けるために、徹夜で作業し、
朝になり、なんとか目処が立った。

ひといきつくのもつかの間、先週、東京が地元の友達から電話があり、
現在の私の住まいの近くに母親が住んでいて、パソコンのトラブルで
困っているからみにいってあげれくれないかとのこと。

二つ返事でOKをだし、そういえば徹夜明けでも今日が約束の日。

いそいそと約束の時間、10時までに佃大橋(月島)ふきんの家へ
自転車でGO!

およそ15分くらいで到着し、訪問。
50歳後半にもなるのに、ノートパソコン2台にデスクトップ1台
他にも何台ものパソコンがねむっており、正直うらやましい環境。

なんだか福祉関係の仕事をしているらしく、すべてのPCに画面の
テキスト読み上げソフトが導入されているが為、新たな画面を開く
旅に画面の内容をPCが読み上げる・・・うるさい。

さて、今日の問題のメニューは
・電子メールソフトのバックアップ作成方法の指導
・無線LANトラブルの解決

そして報酬は、母ちゃん手作りメニューのご飯でした。
ご馳走様。

仕事を済ませた後、ここらで一番近い電機屋の場所を聞く。

有楽町にビッグカメラがあるらしぃ。

なるほど・・・それならば、と有楽町へ向かうが、あえていろいろ
変な道のりを走ってみると、気づくと銀座。

歩行者天国になっているとおりを見物しながら歩く。
う~ん、確かにブランドショップが目立つ・・・今のところこの辺には
おれは縁がない。

突き進むとここは・・あれ?見覚えのあるビルが・・・。
確か会社の近くにちがいないとペダルをこぐ。

なんだかんだいって、虎ノ門の職場まで来てしまった。
それほどつかれていない。

なんだかこの辺からわたしのチャリダーのハートに火がついた。

渋谷までいってみよう。

電器屋に行く目的を忘れ始め、青い看板だけをたよりに渋谷へ向かう。

知らない道に知らない町並み。そのはずなのに知ってる建物が地名がちらほら。

国会議事堂、青山ブックセンター、表参道。

渋谷に近づくにつれ、下り坂が多くなる。
しばらく下り坂を降りてゆくと渋谷駅に着いた。

すると・・・雨が・・・・。

雨宿りついでに渋谷のビッグカメラで買い物をすませ、雨の中帰路に着く。

こんどは日本橋を目指しひた走る。

皇居を経由し、東京駅、そして日本橋。

自宅へ到着するころにはさすがに疲れていた。

それでもおよそ20キロの道のり。

東京は広いようで狭い。装備が整っていれば新宿だって、上野だって散歩
のコースになる得ると感じた。

そんな自転車のりの日曜日でした。
今日、晩飯は何を食べようかと考えていて、ふと気づいたことが。

そばが食べたい。

でも、俺、そば毎日食べてる。

昨日も一昨日も、週末を除けばほぼ昼飯はそばを食べている。

ちなみに今日の昼飯はそばではなかったが・・・。だからか?。

私の出身県はそばが非常に旨いといわれるところで、つまるところ

東京でそばくってもうまくないんじゃないのかい?

とおもいがちだが、一人で飯食うときそばが一番早く食えるだけの

理由のような気がする。

もっとうまいものを安く食いたい。

誰かと飯食いたいなぁ。

手がしびれる

大阪から帰ってきてから・・・手がしびれっぱなしだ。

具体的には左手の小指から手のひらのあたり。

2,3日で直るだろうとおもっていたのだかよくならない。

ネットで調べると脳梗塞の可能性もあるとのこと・・・。

俺どうなるんだろ・・・こんなに若いのに。

あと1週間この手の痺れがつづいたら医者に行きます。

怖い・・。
http://www.medical-tribune.co.jp/kenkou/200209272.html