おしゃべり男

私はこの部類に入る。

非常におしゃべりで、日々のこと、感動したこと、日常のこと、
身の回りでおこったことを誰かに伝えずにいられない。
もちろん、好きなことや嫌いなことに関しても、
自分の信じているもののことは熱く、強く語る。

私のコミュニケーションのタイプをメディアに置き換えると、

放送

に近いと思う。
頭に描いたよしなしごとを一方的にはなしてるだけである。

つまり、インプットされる情報は身の回りの出来事で、自分の興味
あるものにかぎってしまい、それに対してのことばかり。

何で、あいまいな発言や自身のなさそうな発言しかできない私が、こんなにもおしゃべりなのか。

それは独自の判断基準でしかないため、他人との軋轢を考慮する必要がないからだろう。
なので、会議やディベートの場ではさっぱりさっぱり・・・。

コミュニケーションでは

インプット→処理→アウトプット

という流になるのだが、私は処理に時間がかかるからか、日常の出来事の断片的記憶をほとんど処理することなく、ただ、出来事にたいして、
「すごかった」
「おどろいた」
「感動した」
とか・・そんなことばかりのような気がしてきた。

インプットされた情報を独自の価値判断、基準で処理し、その上でのアウトプットを的確、かつ迅速にできるようにならなければ、人とのコミュニケーションなんてものは良い形では成立しない。

頭が悪い、センスがない

という表現でおきかえれば、それでしまいなのだが、処理中にきちんと
記憶へとどめておくことにも時間がかかっているようだ。

まずはきちんと話を聞く。

当面の目標は垂れ流しのコミュニケーションからインタラクティブな、かつ、情報をきちんと処理しアウトプットできるように・・・・。

これからはプライベートで会話していても、疑問点があったら理解できるまで質問して聞いてみる。日常から癖付ける。

人の話を中途半端に聞いて理解しないのは愛がない。

そんな愛がない人同士なら、相手との絆は深まらないだろう。