お立ち寄りいただき

ありがとうございます照れ

 

このブログは

介護予防や認知症(予防を含む)を

身近に感じていただきたくて

 

認知症ケア専門士と

介護予防運動指導員の資格をもつ

作業療法士が

心を込めて書いていますドキドキ

 

 

勤務先の認知症専門病院では

「家に帰りたい」という患者さんは

珍しくありません。

 

 

家じゃない場所にいますし

「家に帰りたい」

というのも当然だろうと思います。 

 

 

では 

40年以上も暮らす「家」にいるのに

「家に帰りたい」という人は

どういう心持ちでいるのでしょう。

 

*後半に少し震災の情景が出てきます。

  

 

 

帰りたいのは「団らん」「役割」のあるところ 

 

私には認知症のある家族がいます。

 

その家族は 

日中 一人でいる時間があり

 

孤独を感じると

「家に帰ろうと思う」

と言い出します。

 

 

 

家族の気もちは おそらく

 

「大好きな家族がいたら

寂しくなんてないはず。

 

ここは 誰も居なくて寂しい。

 

寂しいのは 

家ではない所に居るからだろう。

 

だから家に帰ろうと思う」のかもしれない。

 

家族に私の推測を伝えると

強く肯定されたので 

大きく外れてはいない解釈のようです。

 

 

また ある時は

「家に帰ろうと思う」理由について

こんなふうに話してくれました。

 

 

「あなたみたいに 

素早く動けなくなってしまった。

 

ここに居ても 仕事も無い。

だから 

お邪魔なんじゃないかと思った。

 

前はこんなじゃなかったのに」

 

 

親であったときの頼りになる自分と

今の自分を比較して

ふがいなさを感じているようでした。

 

 

 

だけど 帰りたがっている

あなたがいる ここが

 

あなたが大好きな家。

 

 

だから どこへ行っても

心は満たされないんだろうな。

 

 

家族が「帰ろうと思う」というたび

私は なんとも言えない

切なさを覚えていました。

 

 

 

取り返しのつかないものを想う 

 

ところで

先日 立ち読みした本に

こんな短歌がありました。

 

「山なりにカーブを切れど三陸の

 見なれた町のどこにも着かない」

 山田洋子 宮城県

 

 

東日本大震災の経験を綴った

短歌の一つです。

 

 

 

故郷を失った人もそうでない人も

こみあげてくるものがある

 

そんな一首じゃないかと思います。

 

 

この一首から私は

認知症のある人が求める

「帰りたい家」も

こんな感じなのではないかと思ったんです。

 

 

どう探しても 誰に聞いても 

見つからなくて途方に暮れる。

 

 

 

認知症のある人は

 

帰りたいとイメージする

場所や時代や「なにか」を見つけられず

 

取り返しのつかない 大事な何かを

すっぽり失った心もとなさに

どうしていいのか分からなくなるのかも。

 

 

そうだとしたらやっぱり

私にできることはギュッとハグして

一緒に涙ぐむことだけになるんですよね。

そこに専門性なんて皆無な作業療法士です泣


 

 

本日も

最後までお読みいただき

ありがとうございましたドキドキ

 

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