おはようございます。ご覧くださりありがとうございます。
最近の息子の学校生活についてです。
なんとか慣れてきたようです。
大きかったのは、どんなに本人が出たがっても、授業中は絶対に教室から出さないようにしたことだと思います。
どういう仕組みかは説明できないのですが、それを徹底した辺りから明らかに
他のお子さんとのコミュニケーションがよくとれるようになりました。
息子は、1-2歳から数年間は「クレーン現象」で要求を通そうとしてきました。
言葉が遅かったので、母親の私にしてほしいことは、私の手を引っ張って物に触らせたりすることで、自分の気持ちを伝えようとしていました。
その頃は、こちらが話しかけても、目も合わさないし、かんしゃくばかりだし、自分の子どもなのに、何かこころが通じ合った感じがしなかったので、たとえクレーン現象でも、私を必要としてくれることが嬉しかったです。
いまは、言葉で要求を伝えます。しかし、こちらの都合はおかまいなし。です。
悪いことをして注意すると、逆に嬉しそうにして、行動が悪化することも多々あります。
腹が立ったりもするんですが、
「あのさ、わたしはここにいるよ。あなたの幸せを祈っているよ。あなたと進む道をずっと考えているよ。」
この思いだけは変わらないです。
他人に迷惑をかける行為も、大多数のお子さんが羞恥心からしないであろう行為も、おかまいなしにしたりします。
とにかく、自分の要求・欲求にひたすらに忠実で、要求・欲求のためなら、どんなことでもする。という感じです。
そういう意味では、6歳の子どもなのに、なんだか子どもらしくない。と思います。
自閉症スペクトラム障害の特徴は、空気が読めなくて、他者とのコミュニケーションが苦手で、こだわりがある。という風に言われます。
あくまで、息子を育てていての感想にすぎないのですが
これらは、ABAや生活の構造化といった、大人のひと工夫で、どうにかできることが多いように感じています。
母親の私から見て、息子が明らかに持ち得ていないのは、道徳心です。
…道徳心。どうなのかな。。要求・欲求のためなら何でもする。という一種の「こだわり」なのかな。
共感するのは。寄り添うのは。そこじゃないです。道徳心というのは、集団の中でしか学べない。と私は強く思っています。
なんというか、どんなに他者の迷惑になりそうな、不道徳な行為でも、ひたすら自分の要求・欲求を通そうとしているだけで、悪意はないように見受けます。
「わたしは、我が子のこころが、何にも分からない。」
一日に何度も思うことです。
だから私は。
「良いことは褒め、悪いことは悪いと言う。」ことが基本のABAを子育てに採用しています。
そこに、善と悪、本人の気持ちや理由なんてなくてもいいんです。
生きていくうえで必要なことは、繰り返し学習することで身につける。
ただ、ただ。社会生活が送れるようになってほしいのです。
我が子のことは、とても可愛いです。それは間違いないです。
会話もたくさんできるようになりました。楽しいお話もたくさんしてくれます。言動がとても愛おしいです。
その可愛さと、道徳心のなさからくる行動のギャップに日々とまどいます。
だから私は。
罪を憎んで人を憎まず。
という視点を大切にしながら、息子の子育てをしていきたいです。