1944年12月26日、木村少将の挺身部隊がミンドロ島に突入し、敵に一泡吹かせてくれたゾ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

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当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。

 
 
 
レイテ島の戦いにおいてリモン峠を攻めあぐねた敵は、

我軍の揚陸拠点であるオルモックへの上陸作戦を計画し、
 
7日にオルモック南のイピルへ上がってきました。

我軍も増援部隊を空挺降下させ、

オルモックで戦闘が繰り広げられてる頃、
 
敵の別働部隊が13日にミンドロ島の

マンガリン湾に上陸してきました。
 
 
 
 
 
 
ミンドロ島守備隊は、北部のカラパンと
 
南のサンホセにそれぞれ歩兵1個中隊が
 
駐屯してるだけで、1000名余の兵力しかありません。
 
敵は現地のゲリラから詳細な情報を入手し、
 
防備が手薄であることをすでに知っていました。
 
 
 
 
 
 
マッカーサーの注目はすでにレイテではなく
 
ここミンドロ島にありました。
 
 
ここに航空基地を建設し、
 
ルソン島のクラーク地区飛行場群を
 
はじめとする我軍の航空戦力を叩き、
 
ルソン島上陸への足がかりとしようとしてます。
 
 
 
クラーク地区飛行基地群
 
 
 
13日、ネグロス島を飛び立った

神風特攻第二金剛隊の零戦3機が
 
ネグロス島南方海上でミンドロ島に向かう
 
船団を発見し攻撃を開始。
 
うち1機が駆逐艦ハラデンに突入。

エンジンルームを破壊し大破させました。
 
 
 
ハラデンの救助に駆け付けた駆逐艦トゥイッグス
 
陸軍の一式戦1機が
軽巡ナッシュビルに突入し大破させました
 
他にも戦車揚陸艦2隻が沈没
 
 
 
敵は特攻機の攻撃にもめげず15日、
 
高速輸送艦・戦車揚陸艦などの輸送艦の他
 
護衛空母・戦艦・重巡その他約100隻から
 
なる大艦隊で約27000名が上陸してきます。
 
 
 
 
 
 
上陸を阻止しようとダバオ近郊の各基地から
 
特攻機が飛び立ち、
 
ディゴスの神風銀河特攻草薙隊が

戦車揚陸艦472号に1機命中、2機至近
 
となってこれを撃沈。
 
 

セブ島を出撃した神風特攻第七金剛隊の爆戦が

戦車揚陸艦738号に1機命中しこれを撃沈。
 
 
 
LST-738と救助のために接近した駆逐艦モール
 
 
 
上陸部隊の後方に展開していた護衛空母にも
 
特攻機が接近し、3機は撃墜されたものの

セブ島を出撃した神風特攻第八金剛隊の
 
爆戦1機がマーカス・アイランドの

右舷至近に突入し、小破しています。
 
 
 
 
 
 
特攻隊の奮戦を持ってしても敵の上陸を阻止できません。
 
 
敵機動部隊の活発化により我軍航空戦力はしだいに
 
減退してしまい、思うような攻撃ができません。
 
 
そうこうしてる内に16日にはサンホセが占領されます。
 
敵の機械化はすさまじくあっという間に飛行場を
 
完成させてしまい、気が付けば

B25・3機、P38・44機、P47・28機、P40・20機が
 
進出しています。
 
 
 
B25
 
P38
 
P47
 
P40
 
 
 
ミンドロ島を取られたらルソン島への直接な脅威とともに
 
南シナ海の制空権も脅かされるので、

慌てた大本営は18日、レイテ島決戦の方針を転換し、
 
ルソン島持久作戦への切り替えを決定しました。
 
 
取りあえず目の上のたんこぶを排除せねばなりません。
 
 
連合艦隊の参謀クラスがマニラに飛び

大西瀧治郎第一航空艦隊司令長官、
 
福留繁第二航空艦隊司令長官と会談。
 
その後第14方面軍司令官
 
山下奉文陸軍大将とも会見。
 
ミンドロ島奪還について協議。
 
陸軍は独断で一個大隊を逆上陸させます。
 

大本営海軍部は駆逐艦による
 
サンホセ突入と奇襲攻撃を決定。
 
礼号作戦の発動です。

第二水雷戦隊司令官木村昌福少将を
 
指揮官とする挺身部隊の編成を発令しました。
 
 
 
カムラン湾所在の軽巡大淀

足柄が第二挺身隊
 
挺身部隊旗艦が霞
 
第一挺身隊一番隊に清霜
 
朝霜

二番隊に、榧

 
 
 
と樫が選ばれました。
 

22日夕刻、部隊はカムラン湾に集結。

24日出撃。
 
艦隊は一度北上し偽装進路を取り

ミンドロ島に近づいてから南下し始めました。
 
 
16日16時半頃、初めて敵機に発見されましたが、
 
幸いなことに、マンガリン湾沖に停泊中の
 
護衛空母部隊は、飛行場が完成し
 
各航空隊が到着したのと、
 
特攻機から避難するため、
 
湾から下がってしまいました。
 
また完成した飛行場への物資輸送が間に合わず、

爆弾の備蓄などが不十分な状況です。
 
 
しかし残念なことに湾内に停泊中の
 
敵艦船は、輸送船4隻と魚雷艇10隻のみ。
 

日没後も艦隊は進みますが、
 
満月に近い月明りで艦隊は丸見え。
 
21時最初に大淀が被弾。
 
次に清霜舷中部に爆弾1発が命中
 
航行不能となります。

清霜はその後30分ほどで沈没。
 

足柄の中央部にB25が衝突し、
 
火災が発生するも消火に成功。
 

挺身部隊はマンガリン湾に突入し、
 
23時頃サンホセの敵上陸地点に
 
向けて攻撃を開始。

輸送船4隻に砲雷撃を加えます。

ついで、海岸の物資集積所に
 
向けて艦砲射撃を開始。
 
約20分間砲撃を行いました。
 
 
 
 
 
 
挺身部隊の掩護として瑞雲3機と、
 
陸軍戦闘機8機、重爆1機が飛行場を攻撃。
 
また停泊中の魚雷艇に機銃掃射を行いこれらを破壊。
 
 
 
 
27日午前0時過ぎ、攻撃は終了し避退行動に移ります
 
帰途、霞・朝霜は清霜生存者の救助に向かい
28日18時30分、カムラン湾に到着
 
 
 
樫、榧、杉は帰路にその数時間前に
 
敵潜の雷撃で沈んだ給糧艦野埼の
 
生存者を偶然発見し、これを救出後帰投。
 
 
 
 
 
 
本作戦は成功し、大東亜戦において帝国海軍の
 
組織的戦闘における最後の勝利となりました。
 
 
 
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