礼号作戦は成功に終わったけど、結果火に油を注ぐことになってしもた!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

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当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。

 
 
 
礼号作戦成功について第二遊撃部隊指揮官
 
志摩清英中将は冷静な判断をしています。
 

「敵に与えた損害よりは
 
味方の受けた被害の方が大きく、

敵にこの方面に兵力の増援と
 
警戒心を起こさせただけで、

戦略的には何等の価値もない」
 
「兵力に十分の余裕のあるときならまだわかるが、
 
今日のような戦況がひっ迫している現状では、
 
兵力の無駄遣いは慎まねばならない」と。
 
 
本作戦で沈んだ清霜は、レイテ沖海戦で
 
絶えず武蔵に寄り添い、自ら被弾しながら
 
護衛任務を全うしただけに
 
ここで失ったのはホンマに残念や!
 
 
 
攻撃を受けている武蔵の奥が清霜
 
 

カムランに帰投した霞と朝霜は、

1945年4月6日、
 
第21駆逐隊として共に天一号作戦に参加。
 
 
 
 
 
 
残念ながら霞は直撃弾と至近弾により
 
機関部に浸水し航行不能、冬月の雷撃で自沈処分。
 

朝霜は徳山を出撃後、
 
早々に機関故障を起こし艦隊から落伍。

バンカー・ヒルのヘルダイバー10機に襲われ
 
直撃3発と至近弾数発により大爆発を起こし沈没。
 
 
 
 
 
 
話を戻しますが、敵はこの報復として
 
ハルゼーの機動部隊を差し向け、カムラン湾を空襲。
 
しかし日本艦隊はすでにリンガ泊地に
 
退避していたのでこの攻撃は空振りに終わりました。
 
しかしそのとばっちりを受けたのがヒ86船団でした。
 

シンガポールに集まった輸送船団は
 
サンジャックで船団護衛の第101戦隊と合流。

ヒ86船団を形成します。
 
 
1月9日、サンジャックを出港。
 
敵潜を警戒し、沿岸伝いに北上。
 
11日、クイニョン湾到着。
 
12日、7時頃に出港するも
 
この時点で敵機動部隊は
 
すでにカムラン沖に展開しており、
 
9時過ぎに敵機に発見され
 
11時頃から空襲が始まります。
 
 
 
 


夕刻まで延べ約150機の波状攻撃が続き、

海防艦3隻を除く輸送船は全滅(7隻は座礁放棄)。

練習巡洋艦香椎、海防艦23号、51号が撃沈されました。
 
 

香椎
 
極運丸
 
 
 
このように礼号作戦は

志摩中将がおっしゃったように
 
これと言った意味のない作戦でした。
 
それどころか、
 
敵機動部隊の南シナ海への進出を助長したため、

ヒ86船団をはじめとする多くの船舶を失い、

南シナ海のシーレーンが遮断されてしまう
 
と言った墓穴を掘った結果に終わってしまいました。
 
 
(遅かれ早かれ敵機動部隊の
 
進出は行われたでしょうけど)
 
 
 
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