1944年12月15日陸軍旭日隊の直掩は、魚雷艇への至近を戦艦又は巡洋艦一隻撃沈と報告!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

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当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。

 

 

 

1944年10月20日、敵はレイテ島に上陸し

 

レイテ湾に集結する敵艦隊を殲滅すべく

 

出撃した栗田艦隊は、戦艦武蔵を始め

 

多くの艦艇を失い敗走しました。

 

 

 

 

 

 

海軍の神風特別攻撃隊は25日、

 

護衛空母セント・ローを撃沈、護衛空母4隻を撃破。

 

 

 

 

セント・ロー

 

スワニー

 

ホワイト・プレインズ

 

 

 

12月7日、敵はオルモック南方イビル付近に上陸。

 

10日にはオルモックを占領し、我軍の補給路の

 

遮断に成功します。

 

マッカーサーはレイテでの戦闘に目途が立ってきたと

 

判断し、軍を北上させ15日にミンドロ島へ上陸させます。

 

ルソン島侵攻に先立ち航空基地を確保するためです。

 

 

 

敵上陸の報を受け、海軍は

 

0630、セブから第七金剛隊の爆戦6機、

 

0640、マバラカットから第九金剛隊の

 

爆戦12機・彗星1機、

 

0720、デゴスから銀河特攻草薙隊の銀河2機、

 

1620、セブから第八金剛隊の爆戦6機を出撃させます。

 

 

 

 

 

 

一方陸軍では、在フィリピン陸軍航空隊から

 

選抜された隊員で編成された旭光隊の

 

九九双軽1機をリパから出撃させます。

 

 

 

 

 

 

 

この九九双軽、あろうことか魚雷艇に狙いを定めます。

 

他に敵艦を認められなかったのでしょうか?

 

しかし上空から見ると魚雷艇などけし粒程度にしか

 

見えんと思うけど、こんなすばしっこいのを

 

よくも狙おうとしたもんですねぇ。

 

案の定突入体勢に入り急降下で接近するも

 

命中はならず!!

 

狙われた魚雷艇223号は、海面に激突した

 

九九双軽の破片を浴びて軽度の損傷を負います。

 

 

 

 

 

 

それを上空から観察していた戦果確認機の一式戦は

 

帰投後上官に戦艦又は巡洋艦一隻撃沈と報告。

 

この隊員は散って行った戦友への“せめてものはなむけ”

 

とでも思ったのでしょうか?

 

 

 

これらの戦果過大報告は、

 

なんも海軍の特許ではなかったようですね。

 

台湾沖航空戦での戦果誤報が有名ですよね。

 

 

1944年10月12日~16日、

 

台湾から沖縄にかけて航空攻撃した

 

敵機動部隊に対し二航艦のT攻撃部隊が反撃。

 

 

 

 

 

 

実際敵の損害は軽微であったにもかかわらず、

 

攻撃隊が帰投後に報告した戦果を集計したのは

 

空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻、艦種不明15隻

 

撃沈・撃破と大本営発表で全国に報道されました。

 

 

その上、コテンパンにのされた栗田艦隊は、

 

帰投後に空母7隻撃沈確実と報告。

 

これにより大本営はフィリピン近海には

 

すでに敵空母の姿はないと判断し、

 

多号作戦(レイテ島への増援輸送作戦)を発動。

 

レイテ島西岸オルモックへの増援部隊輸送を

 

9回も送り続け、その大半が敵の空襲等により

 

壊滅に近い損害を出しています。

 

 

 

 

 

 

いや、もっと前から海軍はありもしない

 

戦果を上部に報告し続けています。

 

このような“見栄張り”報告が

 

その後の戦局に大きく影響を及ぼすことなど

 

思いもせずに……。

 

 

 

 

 

 

 

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