1944年12月4日、レイテ沖海戦を切り抜けてきた駆逐艦岸波は、敵潜の雷撃で沈んでもた!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

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当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。

 
 

 

駆逐艦岸波は1943年12月3日、

 

夕雲型駆逐艦の15番艦として竣工。

 

第11水雷戦隊に配属の後、第31駆逐隊に編入。

 

 

 

画像は同型艦の巻雲

 

 

 

1944年3月20日~4月12日、東松3号特船団として

 

第31駆逐隊の沖波、朝霜とともに

 

浅香丸、山陽丸、さんとす丸を護衛し

 

館山~トラック~横浜を往復しています。

 

 

 

 

 

 

6月19日~20日のマリアナ沖海戦では、

 

第二艦隊の栗田中将率いる前衛部隊の

 

一員として参加。

 

前衛部隊では千代田、龍鳳、春名、摩耶が

 

損傷するも岸波は被害なし。

 

 

 

 

 

 

次いで、10月下旬のレイテ沖海戦では

 

第一遊撃部隊第一部隊に所属。

 

10月22日、第一遊撃部隊はブルネイを出撃。

 

翌6時半ころ、愛宕が敵潜の雷撃で沈没。

 

岸波は愛宕乗員の救助に当たります。

 

 

 

 

 

 

その後第一遊撃部隊はシブヤン海で

 

敵機の攻撃を受け武蔵が沈没。

 

 

 

 

 

 

艦隊の多くが傷つき、サンベルナルジノ海峡を通過すると、

 

突然第77.4任務部隊と遭遇し、砲撃戦を展開します。

 

ここで活躍したのは第一戦隊の戦艦の主砲と

 

突撃命令を受けた第5・第7戦隊の重巡部隊で、

 

水雷戦隊には後続を固める役が命じられたため、

 

直接戦火を交えることはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

水雷戦隊は沈んだ多くの友軍艦の乗員を救助し、

 

作戦終了後28日にブルネイに帰投。

 

 

 

ミンドロ島沖南方で空襲を受ける駆逐艦(艦種不明)

 

 

 

岸波は11月初頭からは第二遊撃部隊に所属し、

 

油槽船護衛任務につきます。

 

 

 

 

 

 

11月26日、岸波は 敷設艇由利島、第17号海防艦とともに

 

特設給油船八紘丸を護衛してシンガポールを出港。

 

一路マニラを目指します。

 

 

 

画像は同型艦の新井埼

 

第17号海防艦

 

八紘丸

 

 

 

無事にマニラに到着後油を揚陸させ、

 

しばらく待機後、連合艦隊から

 

岸波、第十七號海防艦、由利島及ビ第百四十九號輸送艦ハ

第三十一駆逐隊司令之ヲ指揮シ八紘丸ノ護衛ニ任ジ

昭南ニ回航スベシ
        

との命令を受信、シンガポールを目指し12月3日出港。

 

帰路は第149号輸送艦が加わりました。

 

 

 

第149号輸送艦

 

 

 

その頃豪州西海岸のフリーマントルを出港した

 

敵潜ホークビル、ベクーナ、 フラッシャーが

 

ウルフパックを形成しつつカムラン湾方面に向かってます。

 

4日朝、パラワン島北西海域でホークビルが船団を発見。

 

フラッシャーは船団の予想針路上に移動し、待ち構えてます。

 

 

 

SS-249 フラッシャー

 

 

 

午前10時30分、船団を発見し魚雷4本を発射。

 

魚雷1本が岸波に命中、 航行不能。

 

フラッシャーは八紘丸にも魚雷4本を発射し

 

2本が命中し八紘丸も航行不能になります。

 

 

第17号海防艦が岸波を曳航しようとした

 

ところへ再度魚雷2本が命中。

 

先に被雷した前部機械室付近に命中し

 

岸波は被雷部分で船体が折れて沈没。

 

 

 

 

 

 

第17号海防艦が爆雷攻撃を実施するも効果なく、

 

フラッシャーは四度目の攻撃を仕掛け

 

そのうちの1本が八紘丸に命中。

 

岸波の後を追うように八紘丸は沈んでいきました。

 

 

 

 

 

 

現場海域は大雨のせいで潜望鏡による視認が難しく、

 

レーダーによる位置計算で魚雷を放ったそうで、

 

敵のレーダーがいかに高性能かというのを

 

証明した事例となっています。

 

 

岸波は大きな作戦に2度も参加したけど

 

直接戦闘は経験せず、無事に帰還したにもかかわらず

 

豪雨の中南シナ海に没しました。

 

おそらく海に投げ出された乗員のほとんどは

 

視界不良のため救出されることなく

 

海没したのでしょう。

 

晴天ならば助かったかもしれないと思うと

 

いたたまれない気持ちになってしまいますね。

 

 

 

フラッシャーはその後も仏領インドシナ沖をうろつき回り

 

12月21日の朝、ヒ82船団を発見。

 

22日早朝に攻撃を開始し、

 

タンカー音羽山丸、ありた丸、 特設給油船御室山丸

 

を次々と仕留めています。

 

 

 

音羽山丸

 

ありた丸

 

御室山丸

 

 

 

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