1943年2月25日、軽空母プリンストン就役!!彼女のわずか1年半の艦歴を少し見てみよう!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

軽空母プリンストンは、 インディペンデンス級の

 

2番艦として1943年2月25日に就役しました。

 

 

 

 

 

 

米国の軽空母インディペンデンス級は、

 

建造中のクリーブランド級軽巡を軽空母に

 

変更するようルーズベルト大統領が指示。

 

 

 

クリーブランド級軽巡

 

 

 

1941年12月8日の真珠湾攻撃の影響で

 

急きょ軽空母9隻の建造が決定。

 

その中の一艦がプリンストンです。

 

 

 

最初の任務はギルバート諸島の東方にある

 

ベーカー島を攻撃し、ここに航空基地を建設する

 

任務支援です。

 

 

 

 

この際艦載機が二式飛行艇と遭遇し撃墜しています

 

 

 

11月初め、プリンストンはサラトガと共に

 

ブーゲンビル島のエンプレス・オーガスタ湾

 

上陸作戦に参加。

 

 

 

 

上陸地点付近を飛行するSBD

 

5日と11日hはラバウルを空襲

 

 

 

1944年1月末、マーシャル諸島クェゼリン環礁、マジュロ、

 

ウォッジェ環礁およびタロア島を攻撃。

 

 

 

タロア島

 

その後トラック諸島、ポナペを攻撃

 

 

 

6月、マリアナ各島攻略支援のため

 

エンタープライズ、レキシントンII、プリンストン、

 

サン・ジャシントとともに第3機動群として参加。

 

 

 

マリアナ沖海戦では、小沢機動部隊は

大鳳、翔鶴、飛鷹を失い敗退

 

8月、フィリピンに向かう途中パラオを空襲

 

9月、ヴィサヤ諸島の各航空基地を攻撃

 

 

 

10月20日、レイテ島の戦いが始まると

 

プリンストンはルソン島東方海上まで北上し

 

日本軍各基地の攻撃に移ります。

 

 

 

レイテ沖に集結する敵大艦隊を撃滅すべく

 

第一遊撃部隊主力は20日、ブルネイを出港。

 

一路レイテを目指します。

 

 

 

 

 

 

この栗田艦隊のレイテ突入を容易にするため、

 

フィリピンの第二航空艦隊は敵空母部隊を事前に

 

叩く予定でしたが天候に恵まれず、

 

24日朝にようやく攻撃隊を出撃させます。

 

 

 

 

 

 

第六基地航空部隊の第一攻撃隊は敵の迎撃機に阻まれ

 

全滅に近い状態。

 

しかし単機行動の彗星が38.3任務部隊の空母群を発見。

 

この彗星、空母群を発見と同時に急降下するのではなく

 

雲の間から暫く空母の動向を観察してます。

 

この時この彗星に狙われたのがプリンストンです。

 

 

 

 

 

 

プリンストンの一寸の隙を突いて彗星は急降下に移ります。

 

彗星は爆弾投下直後に撃墜されましたが、

 

爆弾は船体中央に命中。

 

格納庫を貫通して乗員区画で爆発。

 

格納庫内の雷撃機が誘爆し火災が発生。

 

 

 

 

 

 

火災は一時は鎮火に向かいますが、

 

魚雷庫に引火し大爆発を起します。

 

 

 

 

消火活動中の軽巡バーミングハムが爆発に巻き込まれ

激しく損傷、犠牲者多数

 

 

 

鎮火の見込みがなくなり、日没後にこの火が目標に

 

なりかねないと艦の放棄が決定され、

 

味方艦の雷撃によって処分されました。

 

 

 

 

 

 

プリンストンはこれほどの大爆発を起しておきながら

 

人員の犠牲は100名弱。1360名ほどの乗員が救助されました。

 

逆に救援に当たったバーミングハムほうが死者233名、

 

負傷者426名とプリンストン以上の被害が生じています。

 

 

 

インディペンデンス級軽空母は軽巡の船体を流用し

 

正規空母に同行できるだけの速度を有してる分、

 

 

※エセックス級の最高速は約30ノット、軽空母は31ノット、

 

護衛空母は約19ノット。

 

 

 

護衛空母群

 

 

 

甲板その他が重くなったのを解消するため

 

各部に軽量化が図れました。

 

爆弾庫等の安全性も多少犠牲にされ

 

火災による誘爆等の想定も二の次にされた

 

感があります。

 

それが今回は裏目に出て誘爆と言った形で

 

沈没の原因となった訳です。

 

 

 

手前3隻が正規空母、一番奥が軽空母

 

 

 

しかしこの第三空襲部隊の彗星搭乗員、

 

只者ではないようです。

 

大半の攻撃隊は敵の要撃を切り抜け

 

敵艦隊を発見できた安堵感と、

 

今から攻撃態勢に移る緊張感から

 

すぐさま攻撃に移るものですが、

 

彼はいったん雲の中に入り状況を冷静に分析。

 

機を窺がいながら一瞬の隙を見逃さず

 

すぐさま急降下体勢に入り約450mまで接近し爆弾を投下。

 

プリンストンの船体中央に命中させています。

 

残念ながら彼は爆弾投下直後に撃ち落とされてしまいますが。

 

 

 

 

 

 

なかなか出来る技ではありませんね。

 

感服いたします。

 

 

この後栗田艦隊の砲撃で38.3任務部隊の

 

護衛空母ガンビア・ベイが沈没。

 

 

 

 

 

 

第77.4.3任務部隊の護衛空母セント・ローが

敷島隊の零戦1機が突入し30分後に沈没。

 

 

 

 

 

 

1945年1月4日、 オマニー・ベイは

 

他の艦船とともにリンガエン湾に向かう途中、

 

スールー海で旭日隊の彗星1機の突入を受け

 

  格納庫の艦載機が誘爆し、

 

やがて魚雷庫に引火し大爆発。

 

艦の放棄が決定され雷撃処分されました。

 

 

 

 

 

 

比島方面で撃沈したのはこの四艦のみで、

 

正規空母の撃沈はありませんでした。

 

 

 

 

 

 

総力を挙げて敵を迎え撃った基地航空隊ですが

 

敵の進撃を押し戻すことが叶わず、

 

無念の比島撤退、もしくは地上部隊に吸収され

 

過酷な地上戦を戦うことになります。

 

 

 

 

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