1944年10月のレイテ沖海戦、
陽動作戦で見事敵機動部隊を北方に誘致した
小沢機動部隊は、瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田を
失いつつも、第四航空戦隊の戦艦伊勢・日向は
無事に帰投。
瑞鶴と伊勢
瑞鳳
ハルゼーはこの時撃ち漏らした伊勢と日向の
航空戦力を未だ脅威と考えていたのか、
この二艦の捜索を命じます。
第38任務部隊は、ルソン島上陸作戦支援の後
台湾方面に進出し、台湾の各飛行基地や
ヒ87船団・マタ40船団などに攻撃を加えた後、
南シナ海へ南下し仏印へ偵察機を放ったところ、
カムラン湾に伊勢・日向を発見。
その頃、南方資源を満載したタンカー4隻・
輸送船6隻はシンガポールに集結中。
12月30日、シンガポールを出港して北上。
1月4日、仏印のサンジャックに到着。
第101戦隊(軽巡1・海防艦5)と合流し
ヒ86船団を形成。
9日、船団はサンジャックを出港。
船団速度は約8ノットの低速で、
対潜警戒から海岸沿いに北上し、
10日はバンフォン湾、11日はキノン湾に到着。
12日未明、カムラン湾東方沖に進出してきた
第38任務部隊は、伊勢・日向を捜索すべく
偵察機を発進させました。
しかし伊勢・日向はすでにリンガ泊地に移動してます。
07:00、ヒ86船団はキノン湾を出港し北上開始。
09:00、船団は敵機に発見されます。
11時過ぎ、第一波が襲来。
最初に予州丸が狙われ炎上し沈没。
予州丸
次いで、永萬丸が爆弾3発の直撃を受けて沈没
14:30頃、大津山丸も大破炎上し、近くの海岸に擱座。
敵機の攻撃は波状的に18時頃まで続き、
船団のほとんどが被弾し、近くの海岸に擱座させます。
擱座炎上する極運丸
同じく、擱座炎上する大津山丸
手前が昭永丸で、奥が第63播州丸か優清丸
第63播州丸、優清丸、建部丸と思われる
護衛戦隊の練習巡洋艦香椎は、
第101戦隊が編成されて以来、多くのヒ船団を護衛し、
本土と東南アジアを何度も往復してきました。
ヒ86船団を護衛する第101戦隊は、
旗艦香椎、海防艦鵜来、大東、27号、23号、51号で
構成されています。
敵機動部隊接近の報告を受け、出発を1時間早め
12日07:00前にキノン湾を出港したのですが、
09時頃に3機の偵察機に発見されます。
対空戦闘で追い払いますが、
敵機の襲来は時間の問題です。
急がなければ…。
11時時過ぎ、敵の第一波が襲来。
それ以降一時間毎に波状攻撃を受けます。
香椎は13:45、5発の命中弾と魚雷2本の被雷により
総員退艦の後沈没しました。
香椎以外に海防艦23号と51号も沈没
沈没を免れた鵜来、大東、27号は生存者を救出する
余裕もなく、慌てて現場海域からの離脱を図ります。
敵は伊勢・日向を探し求めてて、結局取り逃がしますが
このように我軍の南方と本土を結ぶシーレーンを
遮断させる事に成功します。
数多くの南方資源が到着しなければ、
燃料のない軍艦や戦車などはただの鉄くずだし、
弾を作っても火薬がなければ
銃や砲はただの鉄の棒となります。
軍上層部はそのことをもっと冷静に
判断すべきでしたね。
ここが鉾を収めるええチャンスやったのに…。