1945年1月12日、戦艦伊勢・日向を捜索中の敵機に発見されたヒ86船団が餌食となり壊滅!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1944年10月のレイテ沖海戦、

 

陽動作戦で見事敵機動部隊を北方に誘致した

 

小沢機動部隊は、瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田を

 

失いつつも、第四航空戦隊の戦艦伊勢・日向は

 

無事に帰投。

 

 

 

瑞鶴と伊勢

 

瑞鳳

 

 

 

ハルゼーはこの時撃ち漏らした伊勢と日向の

 

航空戦力を未だ脅威と考えていたのか、

 

この二艦の捜索を命じます。

 

 

 

第38任務部隊は、ルソン島上陸作戦支援の後

 

台湾方面に進出し、台湾の各飛行基地や

 

ヒ87船団・マタ40船団などに攻撃を加えた後、

 

南シナ海へ南下し仏印へ偵察機を放ったところ、

 

カムラン湾に伊勢・日向を発見。

 

 

 

 

 

 

その頃、南方資源を満載したタンカー4隻・

 

輸送船6隻はシンガポールに集結中。

 

 

12月30日、シンガポールを出港して北上。

 

1月4日、仏印のサンジャックに到着。

 

第101戦隊(軽巡1・海防艦5)と合流し

 

ヒ86船団を形成。

 

9日、船団はサンジャックを出港。

 

船団速度は約8ノットの低速で、

 

対潜警戒から海岸沿いに北上し、

 

10日はバンフォン湾、11日はキノン湾に到着。

 

 

 

 

 

 

12日未明、カムラン湾東方沖に進出してきた

 

第38任務部隊は、伊勢・日向を捜索すべく

 

偵察機を発進させました。

 

しかし伊勢・日向はすでにリンガ泊地に移動してます。

 

 

 

 

 

 

07:00、ヒ86船団はキノン湾を出港し北上開始。

 

09:00、船団は敵機に発見されます。

 

11時過ぎ、第一波が襲来。

 

最初に予州丸が狙われ炎上し沈没。

 

 

 

予州丸

 

次いで、永萬丸が爆弾3発の直撃を受けて沈没

 

 

 

14:30頃、大津山丸も大破炎上し、近くの海岸に擱座。

 

敵機の攻撃は波状的に18時頃まで続き、

 

船団のほとんどが被弾し、近くの海岸に擱座させます。

 

 

 

 

擱座炎上する極運丸

 

同じく、擱座炎上する大津山丸

 

手前が昭永丸で、奥が第63播州丸か優清丸

 

第63播州丸、優清丸、建部丸と思われる

 

 

 

 護衛戦隊の練習巡洋艦香椎は、

 

第101戦隊が編成されて以来、多くのヒ船団を護衛し、

 

本土と東南アジアを何度も往復してきました。

 

 

 

 

 

 

ヒ86船団を護衛する第101戦隊は、

 

旗艦香椎、海防艦鵜来、大東、27号、23号、51号で

 

構成されています。

 

 

敵機動部隊接近の報告を受け、出発を1時間早め

 

12日07:00前にキノン湾を出港したのですが、

 

09時頃に3機の偵察機に発見されます。

 

対空戦闘で追い払いますが、

 

敵機の襲来は時間の問題です。

 

急がなければ…。

 

 

11時時過ぎ、敵の第一波が襲来。

 

それ以降一時間毎に波状攻撃を受けます。

 

香椎は13:45、5発の命中弾と魚雷2本の被雷により

 

総員退艦の後沈没しました。

 

 

 

 

香椎以外に海防艦23号と51号も沈没

 

 

 

沈没を免れた鵜来、大東、27号は生存者を救出する

 

余裕もなく、慌てて現場海域からの離脱を図ります。

 

 

 

 

 

 

敵は伊勢・日向を探し求めてて、結局取り逃がしますが

 

このように我軍の南方と本土を結ぶシーレーンを

 

遮断させる事に成功します。

 

 

数多くの南方資源が到着しなければ、

 

燃料のない軍艦や戦車などはただの鉄くずだし、

 

弾を作っても火薬がなければ

 

銃や砲はただの鉄の棒となります。

 

 

軍上層部はそのことをもっと冷静に

 

判断すべきでしたね。

 

ここが鉾を収めるええチャンスやったのに…。

 

 

 

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