硫黄島の戦いは、
1945年2月19日~3月26日まで
熾烈な戦闘が繰り広げられ、
小笠原兵団の玉砕で幕を閉じました。
1944年夏にマリアナ諸島のサイパン・
テニアン・グアムが敵に手に落ち
ここの各航空基地にB29が進出。
日本本土への戦略爆撃を実行しています。
しかしマリアナから東京までは約2000kmもあり
護衛戦闘機は随行できません。
またB29は結構故障が多いんです。
そこで護衛戦闘機の基地と、
B29の不時着基地として、
硫黄島がピックアップされました。
最初のB29が不時着しています。
4月上旬、
硫黄島に陸軍戦闘機P51が到着。
7日に初めてB29の護衛に付きます。
ここで日米の戦闘機の性能を少しだけ見てみましょう。
最高速 航続距離(増槽あり) 武装
零戦五二型 565km/h 2560km 20mm機銃×2
7.7mm機銃×2
紫電改 644km/h 2392km 20mm機銃×4
四式戦一型甲 655km/h 2500km 20mm機関砲×2
12.7mm機関砲×2
P51D 759km/h 3084km 12.7mm重機関銃M2×6
P47N 735km/h 3158km 12.7mm重機関銃M2×8
F4U-1D 658km/h 3050km 12.7mm機関銃×6
第10飛行師団の一式戦・二式戦などが
迎撃に出ますが、高射砲は当たらないし
おまけにP51が97機もくっついてきてる
となれば、なかなか近寄れません。
それでも必死に食らいつき
東京西部(世田谷辺りから武蔵野周辺)
に飛来したB29約110機の
7割程度に被害を与えたとのことです。
(P51が随行してこの数字には疑問がありますが)
上記画像の二式複座戦闘機「屠龍」では
P51の相手にはならず、空襲のたびに
空中退避が行われたと聞きます。
この画像は、1944年6月から開始された
八幡空襲の際に迎撃に上がった
飛行第53戦隊所属の二式複戦
のように見えるのですが…。
(尾翼の黄色いマークが
53戦隊の部隊マークように映る)
また硫黄島には少数配備された
P47は主に沖縄・伊江島に配備され
西日本中心に戦闘爆撃としても
活用され、この機には一式戦が挑み
相当の戦果が挙げられています。
4月以降、P51やP47の他にも
機動部隊搭載の艦載機F6FやF4Uなどが
頻繁に本土上空に出没し、空爆や
機銃掃射を繰り返し、大都市以外の
国民にも相当の被害が出だします。
陸海軍の航空隊もその都度迎撃に出ますが
絶対数の違いもあって、未帰還機が増える一方。
B29と言うボディーブローが効いてるとこに
戦闘機と言った強烈なストレートをもろた
ような状況に陥ってしまいます。
空襲で軍需工場は破壊され、
熟練の行員は招集でいなくなり
代わりに女子挺身隊や小中学生が
地下工場などで細々と
生産は続けられていますが
その分各パーツの品質も低下し
完成品は故障が多く生じています。
こんなことで戦争は継続できるのでしょうか?