161.8高地
嘉数の防衛ラインから吐出した
161.8高地は増援の見込みもなく
敵に対し少数で意地を見せるしかありません。
まるで大坂城の真田丸のようです。
161.8高地は現在の消防学校付近に中隊本部指揮所を配し、
その前面に機関銃小隊が陣取っています。
各陣地は地下道で繋がっており
相互応援や反射面陣地の迫撃砲
を有しています。
側面には鉄条網を張り巡らし
その前には地雷原が展開。
賀谷支隊が後退した後、敵の斥候が接触し出し
6日には、砲爆撃の後敵の前進が始まります。
壮烈な戦闘が続き、やがて敵の馬乗り攻撃により
苦戦に陥ってしまいました。
夜になると中隊兵力は1/5となり、やむを得ず
生存者は後方の142高地へ後退しました。
南上原・和宇慶は嘉数防衛ラインの東の要で、
南北に延びる海岸沿いの平野部に
敵が侵攻してくるのが予想できました。
中城城跡辺りから西原町にかけて平野部に
並行するように高地群が縦走してます。
ここからは東西に平地が見渡せるので
敵にとってもここに布陣する
日本軍が脅威となっています。
敵の侵攻は8日には南上原に到達し
155高地は敵の艦砲の支援もあって
非常にヤバい状況です。
ここは砲兵隊にとって重要な観測点なので
落とすと今後の展開が心配になります。
155高地
沖縄の戦いにおいて特筆されるのは
戦車と歩兵を分離させ、戦車隊に対しては
肉薄攻撃でこれを破壊すると言った
戦術が功を奏しています。
前進陣地の攻防とは違いここでは
防衛ライン死守のため初めて
雨乞森高地の野戦重砲兵第23連隊
による150㎜榴弾砲の砲撃が開始されました。
西原町公民館の九六式十五糎榴弾砲
靖国神社遊就館の九六式十五糎榴弾砲
この砲撃の弾着観測に155高地陣地
は大いに役立ったのですが、
9日には頂上付近が占領されてしまいました。
防衛ライン中央の我如古~西原高地付近には
独歩第14大隊が布陣しています。
特に西原高地は嘉数高地同様非常に
重要な役割を担っているのです。
142高地には後退して来た
独歩第12大隊本隊が再布陣しています。
142高地
8日朝から、
宇地泊~嘉数~我如古~南上原~和宇慶の
防衛ラインは全線にわたって敵の攻撃を受け
激戦が展開されます。
中央突破を図った敵は
強引に我如古東側高地を落とそうとしましたが
友軍の迫撃砲等の砲撃により
かなりの損害を出し後退していきました。
以後、24日付近まで嘉数同様善戦することになります。
嘉数の前面には85高地に前進陣地が設けてあり
独歩第13大隊第3中隊、独立機関銃第4大隊第1大隊
などがここを死守。
85高地付近(現在の森川公園)
しかし敵は7日、戦車を先頭に攻め込んできました。
戦車2・3輌を擱座させますが翌日には押し切られ、
全滅に近い被害を出して嘉数まで後退してきます。
このように敵は徐々に南下を進めこの後嘉数での
血で血を洗う壮烈な戦闘へと移って行くのです。
142高地を攻撃するM4火炎放射戦車
現在の142高地