◎マリアナ沖
1944年6月、
敵は大挙してマリアナ諸島に襲来。
これを迎撃すべく出撃した小沢機動部隊は
コテンパンに打ちのめされ、
大鳳、翔鶴、飛鷹を失います。
●大鳳
1944年3月7日就役。
日本海軍初の装甲甲板を有し、
防御面の向上を図る。
マリアナ沖海戦に参加。
6月19日午前6時30分、
偵察機が敵機動部隊を発見。
大鳳が攻撃隊を発艦させた直後、
敵潜の雷撃を受け、
内1本が右舷前部に命中。
応急措置を施し
戦闘続行可能状態を維持する。
しかし魚雷命中の衝撃で
ガソリンタンクが破壊され
気化した航空機燃料が充満し、
戻って来た攻撃隊を収容中に引火、
大爆発を起こし約2時間後に沈没。
●翔鶴
1941年8月8日、翔鶴型1番艦として就役。
開戦時にはハワイ作戦に参加。
その後珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、
南太平洋海戦などに参加。
6月19日のマリアナ沖海戦では11時20分、
攻撃隊の発進中に敵潜の雷撃を受け4本が右舷に命中。
大鳳同様被雷のショックで
タンクから漏れた航空燃料が気化しそれに引火。
大爆発を起こし火災が発生し14時10分に沈没。
●飛鷹
1942年7月31日、隼鷹型2番艦として就役。
第二航空戦隊の一員としてマリアナ沖海戦に参加。
1944年6月20日、すでに大鳳、翔鶴を
敵潜の雷撃で失った小沢機動部隊は、
反撃に転じるべく
各艦への燃料補給のため、集結を命じます。
ちょうどその時敵艦載機の攻撃が始まりました。
飛鷹には魚雷1本が命中。
空襲が終わった後、今度は敵潜の雷撃を2本受け
これが大鳳、翔鶴同様ガソリンタンクに引火・爆発。
長門が飛鷹の曳航を試みますがこれも失敗。
懸命に消火活動を行いますが火災も鎮火せず
やがて艦尾側から沈んでいきました。
◎ソロモン諸島方面
●祥鳳
1939年1月15日、潜水母艦剣埼として就役。
1942年1月26日、空母祥鳳として登録。
開戦後しばらくは輸送任務に従事。
珊瑚海海戦において攻撃隊を発進させる前に
先に90機を越える敵機の攻撃を受け、
多くの爆弾と魚雷が命中し、大火災の末沈没。
第二次ソロモン海戦に参加。
龍驤航空隊が敵機動部隊を引きつけ、
その間に翔鶴、瑞鶴が叩くと言った作戦。
龍驤は敵艦載機数十機に襲われ
複数の魚雷と爆弾が命中し大火災が発生。
航行不能となりやがて沈没。
◎ミッドウェー作戦
●加賀
1928年3月31日、
加賀型戦艦を空母に改装し就役。
開戦時にはハワイ作戦に参加。
ミッドウェー作戦では、最初に被弾。
給油タンク車、航空魚雷や爆弾が
次々と誘爆。
この時敵潜の雷撃も1本が命中。
その後2回の大爆発が起き沈没。
●赤城
1927年3月25日、
天城型巡洋戦艦の2番艦を空母に改装。
開戦時にはハワイ作戦に参加。
1942年4月、セイロン沖海戦では
空母ハーミーズを撃沈。
ミッドウェー作戦では、
直衛機が着艦し補給中を狙われ
敵機が投弾するまで
気が付かなかったという。
次から次へと命中し、
●蒼龍
1937年12月29日就役。
開戦時にはハワイ作戦に参加。
ミッドウェー作戦では、
敵雷撃機迎撃のため
直援機が低空に下がったとこを
急降下爆撃の直撃を受け
誘爆も手伝って機関停止。
再度の爆発が起こり、やがて沈没。
●飛龍
1939年7月5日就役。
開戦時にはハワイ作戦に参加。
ミッドウェー作戦では、
敵雷撃機の攻撃の回避行動の際、
艦隊から離れスコールに入り
北方に位置してたので
急降下爆撃隊の攻撃を
受けずに済みました。
飛龍は反撃を試み
ヨークタウンを大破させます。
飛龍は翌日早朝の攻撃準備中に
急降下爆撃機の集中攻撃を受け、
数発被弾。
6月6日午前2時10分、
巻雲の魚雷で自沈処分。
ちなみに、終戦後航行可能な空母は
鳳翔、龍鳳、葛城の3隻のみで、
鳳翔、葛城は復員輸送艦として使われ
任務終了後に解体されました。
葛城
1945.10.9の龍鳳
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