1943年9月30日の御前会議で絶対国防圏が決定されました。
その中には東部ニューギニア・ラバウル・
ブーゲンビル等は含まれておらず、
はっきり言って切り捨てです。
にもかかわらず、海軍は相変わらず
ブーゲンビル島方面に固執しており
11月5日~12月3日まで
ブーゲンビル島沖航空戦を展開し
貴重な航空戦力を消耗していきます。
満州や蘭印方面から引き抜き
さらに投入しようと考えています。
蘭印方面へは新たに第三三一海軍航空隊
を新設し、配属することになりました。
戦闘機隊はサバン島・カーニコバル島を経て
ビルマのタボイ飛行場に進出。
天山隊はサバン島からコタラジャ飛行場に進出。
1942年秋ごろからビルマのアキャブで
英軍の活発な活動があったので
それを制圧するための進出です。
一方陸軍は、印度北東部の英軍の拠点
インパールを攻略する作戦準備に入ってます。
インパールの後方支援基地はカルカッタにあり
ここを潰せばインパールの英軍は孤立します。
12月3日、陸海軍共同カルカッタ爆撃作戦
(龍一号作戦)を発令。
12月5日、百式新司偵数機がチャフを事前散布。
マグエ陸軍飛行場からは第64戦隊・
第33戦隊・第204戦隊の一式戦74機、
第98戦隊の九七重爆17機が出撃。
途中ハリケーンの奇襲を受け九七重爆1機墜落。
カルカッタ上空に到達後、目標のドックに投下。
爆撃は完全な成功。
海軍の331空の零戦27機、705空の一式陸攻9機は
陸軍戦爆連合出撃の1時間後に同地に侵攻、
こちらも爆撃に成功。
ハリケーン7機を撃墜、
零戦はハリケーン3機を撃墜、
一方的な戦闘で一式戦・零戦に喪失ゼロ。
陸軍が作案したウ号作戦は
補給・増援が中途半端な中
1944年3月、インパール目指して
動き出しました。
カルカッタを叩き潰せなかったツケは
英軍のインパール空輸支援と言う形で
回ってきました。
インパールを包囲した友軍には
重火器・弾薬・食料が欠乏し
最後の一手が出せません。
ヘロヘロになったところで
英軍の攻勢が始まります。
あとはご存知の通り、9万以上の兵力の内
6万近くが戦病死し、残りはヨレヨレになって
ビルマに逃げ込む有様。
無謀な作戦をごり押しした牟田口第15軍司令官は
現地の司令官に罪を擦り付け、何の反省もなく
のうのうと戦後まで生き残ってます。
カルカッタのツケはこれだけではありません。
1944年4月、B29がカルカッタ、チッタゴンに
進出してきます。
1944年6月5日、カルカッタ、チッタゴン
を飛び立ったB29、98機がバンコク、
マッカサン鉄道駅貨物集積場を攻撃目標に空襲。
これがB29のデビュー戦となりました。
B29はその後支那の成都に移動。
そこから福岡・八幡製鐵所、満州各都市
台北などを空襲。甚大な被害を与えます。
ブーゲンビル島の戦いに投入した6万4千。
ニューギニアの戦いに投入した20万もの兵力。
これらをはじめとする、各方面で
餓死・戦病死した圧倒的多数の兵力を
また南太平洋で失った数多くの艦艇を
マリアナ方面や南西諸島の防備に当てておけば
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