日本海軍最初の空母は、
鳳翔が1922年12月27日就役しました。
終戦までに改装空母、未完を含め
27隻を保有してました。
それぞれの最期を簡単ではありますが
見ていきましょう。
今回も時系列ではなくエリア別の表記となります。
◎日本国内
●天城
1944年8月10日雲龍型2番艦として就役。
天城が就役した頃にはすでに燃料や
航空機不足に陥っており、
呉に係留中に敵の空襲で
大破横転のまま終戦を迎える。
●阿蘇
1944年11月1日雲龍型5番艦として進水。
11月9日に進捗率60%で工事は中止。
その後各種爆発実験に使用され着底。
●海鷹
1939年5月31日貨客船あるぜんちな丸として就役。
1941年9月、海軍に徴傭。
1943年11月23日、空母へ改造完了。
船団護衛に使用後呉軍港空襲で小破し、
佐田岬沖で機雷に触雷。
大分県日出町城下海岸に擱座。
●しまね丸
分類は1TL型戦時標準船のタンカー。
1945年2月29日に竣工。
3月17日の神戸大空襲で被弾。
香川県志度湾に疎開後中の
7月24日、艦載機の攻撃により被弾着底。
●信濃
大和型3番艦として起工するも途中で空母に変更。
1944年11月19日、竣工。
呉へ回航途中の29日午前3時半頃、敵潜の雷撃で沈没。
●冲鷹
1942年11月25日、大鷹型3番艦として空母への改装終了。
航空機輸送任務に投入されます。
1943年12月4日、八丈島沖で敵潜の雷撃で沈没。
◎日本近海
●神鷹
大鷹型として1943年12月15日、
空母への改装完了後、船団護衛任務に従事。
11月17日、ヒ81船団を護衛中敵潜の雷撃で沈没。
●雲龍
1944年8月6日、雲龍型1番艦として就役。
12月17日、
軍需物資・第1挺進集団・桜花
を積載しフィリピンに向け出港。
19日夕刻、東シナ海で敵潜の雷撃で沈没。
◎比島方面①
●大鷹
1941年9月5日、特設航空母艦として竣工。
1942年8月31日、空母大鷹として登録。
主に輸送任務に従事。
1944年8月18日、
ヒ71船団の護衛任務中に敵潜の雷撃で沈没。
●雲鷹
1942年5月31日空母に改装完了。
輸送任務・船団護衛に従事。
1944年9月17日、
ヒ74船団を護衛して台湾へ向かう途中、
敵潜の雷撃で沈没。
◎比島方面②
1944年10月17日、敵はレイテに上陸。
敵輸送船団撃滅のため
栗田・志摩・西村艦隊が出撃。
それを擁護するために小沢機動部隊が南下し、
敵機動部隊を引きつけ
瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田沈没。
●千歳
1938年7月25日、水上機母艦として就役。
1943年12月15日、瑞鳳型空母として登録。
エンガノ岬沖海戦で3本の魚雷が命中、
数発の至近弾により沈没。
●千代田
1938年12月15日、水上機母艦として就役。
1943年12月15日、瑞鳳型空母として登録。
エンガノ岬沖海戦で敵の航空攻撃で航行不能。
敵巡洋艦隊の砲撃により沈没。
●瑞鳳
1940年12月27日、瑞鳳型1番艦として就役。
南太平洋海戦で飛行甲板後部に爆弾1発が命中。
輸送任務・船団護衛に従事。
エンガノ岬沖海戦で敵機の集中攻撃を受け沈没。
●瑞鶴
1941年9月25日、翔鶴型2番艦として就役。
開戦時にはハワイ作戦に参加。
その後珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、
南太平洋海戦、マリアナ沖海戦などに参加。
小沢機動部隊として出撃の際は砲身が過加熱して
焼けるほど対空戦闘を続行するも
7本の魚雷と4発の直撃弾、
無数の至近弾により14時14分に沈没。
其之弐に続く
いつも御訪問戴きありがとうございます
ブログ村ランキングへの入口を
ここにも設けてみました
よろしければ応援のほどお願いいたします