日本海軍では、日露戦争の頃から戦艦を保有してましたが、
ここでは大東亜戦で第一線として活躍した
“超弩級戦艦”と“巡洋戦艦”の12隻を見てみましょう。
ご紹介は時系列ではなく、エリア別にてご説明いたします。
◎日本国内
●陸奥
1921年10月24日、長門型2番艦として就役。
開戦後は第一戦隊の大和、長門
とともにミッドウェー作戦に参加。
1942年8月24日の第二次ソロモン海戦に参加。
この時敵の飛行艇に対し主砲を発射し追い払う。
6月8日、広島湾沖柱島泊地に停泊中謎の爆発により沈没。
●伊勢
1917年12月1日、伊勢型1番艦として就役。
1943年9月に航空戦艦として生まれ変わる。
1944年10月、小沢機動部隊の一員として
瑞鶴・瑞鳳の護衛に当たるが敵機の攻撃を受け、
瑞鶴、瑞鳳、千歳は沈没し、伊勢も軽微な損傷を追う。
年末には北号作戦に参加し、南方の物資輸送に成功。
1945年7月24・28日の呉軍港空襲で被弾多数により
大破着底。
●日向
1918年4月30日、伊勢型2番艦として就役。
伊勢同様航空戦艦に生まれ変わり、
エンガノ岬沖海戦に参加。
北号作戦に参加後は1945年3月19日の
呉軍港空襲で被弾、24日にも被弾し大破着底。
●榛名
1915年4月19日、金剛型3番艦として就役。
ミッドウェー海戦で南雲機動部隊の護衛に付く。
空母喪失後に敵機の攻撃で軽微な損傷。
1942年10月13日、餓島の
ヘンダーソン飛行場に対して夜間艦砲射撃を実施。
マリアナ沖海戦では後甲板に直撃弾を受け中波。
サマール島沖海戦では敵艦を砲撃するも
至近弾を受け損傷。
1945年7月24日と28日の呉軍港空襲により大破着底。
◎日本近海
●金剛
1913年8月16日、金剛型1番艦として就役。
1942年10月13日、榛名と共に
ヘンダーソン飛行場を砲撃。
1944年10月25日、
サマール島沖で敵空母を発見しこれを砲撃。
護衛空母ガンビア・ベイ他駆逐艦2隻撃沈に貢献。
サマール沖海戦後、内地への帰還が決定。
11月16日ブルネイを出港。
台湾海峡を通過後敵潜の雷撃を受け沈没。
●大和
1941年12月16日、大和型1番艦として就役。
1942年6月、ミッドウェー作戦に参加するも
南雲機動部隊の遥か後方に位置したため、
ただ近くまで行って帰っただけ。
マリアナ沖海戦で初めて主砲を発射。
レイテ沖海戦では遼艦武蔵を失うも
サマール島沖で敵空母部隊に発砲。
これを撃退します。
1945年4月6日、菊水作戦の一環として
大和以下の第1遊撃部隊は沖縄に向かう。
7日の坊ノ岬沖海戦で敵機の波状攻撃で
被弾・被雷多数により沈没。
◎比島方面
●武蔵
1942年8月5日、大和型2番艦として就役。
長い間トラックに停泊しマリアナ沖海戦に
参加した時は敵機は戦艦を無視して
空母に向かったため無傷で帰還。
レイテ沖海戦ではシブヤン海で敵機の
集中攻撃を受け無念の沈没。
●扶桑
1915年11月8日扶桑型1番艦として就役。
1944年10月25日、西村艦隊に加わり
レイテを目指すもスリガオ海峡で
敵艦隊の待ち伏せに合う。
扶桑は右舷中央部に魚雷が命中して
第三・第四砲塔の弾火薬庫が誘爆し
船体が真っ二つに割れ横転ののち沈没。
●山城
1917年3月31日、扶桑型2番艦として就役。
スリガオ海峡夜戦で敵艦から袋叩きに合い
扶桑と共に沈没。
◎餓島方面
●比叡
1914年8月4日、金剛型2番艦として就役。
開戦時には南雲機動部隊の支援部隊として
ハワイ作戦に参加。
1942年10月、金剛、榛名が
ヘンダーソン基地艦砲射撃を行っており、
次いで比叡、霧島による砲撃が準備されます。
挺身攻撃隊がサボ島南側に差し掛かった頃敵艦を発見。
比叡は敵艦隊に探照灯を照射したため、
敵の集中攻撃に合い
数十発の被弾を受け航行不能。
夜明けとともに敵機の攻撃に合い
最後は自沈処分となりました。
●霧島
1915年4月19日、金剛型4番艦として就役。
1942年11月、比叡と共に
ヘンダーソン基地艦砲射撃に向かう。
敵艦隊と砲戦が開始され、比叡が大破したため
救出に向かう途中、敵潜の魚雷1本が命中。
翌日再び敵艦隊と交戦。
戦艦ワシントンの砲撃で大破し、3時間後に転覆して沈没。
◎マーシャル諸島ビキニ環礁
●長門
1920年11月25日、長門型1番艦として就役。
開戦後ミッドウェー作戦やマリアナ沖海戦に
参加するも目立った活躍もなく
トラックやリンガ泊地に
投錨することが多かったようです。
レイテ沖海戦では大和・武蔵と共に
第一遊撃部隊第一戦隊を形成。
武蔵に攻撃が集中してる時長門にも被弾がありましたが、
サマール島沖では敵空母部隊に発砲しています。
栗田艦隊の反転後も空襲が続きここでも被弾。
大和、長門、金剛は内地へ向かいますが、
その際敵潜の雷撃で金剛を失いました。
横須賀港に帰投後は燃料もなく予備艦へ
回されます。
7月18日の横須賀空襲で被弾後は
修理されることもなく終戦を迎えました。
戦後米軍に接収後、ビキニ環礁での
核実験の標的艦に使用され、
7月28日深夜~29日未明にかけて
沈没したものと思われます。
このように、
日本海軍のシンボルでもある戦艦は、
戦時中長門を除き全て戦没してしまいました。
各艦の乗員は、月月火水木金金と
艦を磨き上げ訓練に練磨してただけに
自艦が沈みゆくとこを見られた方は
さぞ悔しい思いでしたでしょうね。
呉沖の沈没艦は、縮尺の加減で
全てが表示されず陸奥が他と重なり消えています
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