1943年8月31日、大半の日本人がよく知らない島“南鳥島”に敵は砲爆撃をしてきたゾ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

南鳥島は、本州から1800km離れた
 
日本の最東端の小笠原諸島に属する島。
 
 
 
 
 
 
一辺が約2kmの正三角形に近い形をしている
 
平坦な島で、標高は約8mしかありません。
 
 
 
 
 
 
なんでも、富士山みたいな形の海底火山が隆起して
 
そのてっぺんが海上に少しだけ出てるみたいな地形で、
 
ちょっと沖に出ると急激に深さが増してるそうです。
 
 
1864年、アメリカの船モーニングスター号が発見。
 
その頃の日本はと言うと、
 
京都で尊王攘夷の浪士が集まる
 
池田屋を新撰組が襲撃した頃ですね。
 
 
1896年、小笠原の母島から46人が移住し、
 
2年後に「南鳥島」と命名されました。
 
 
その後過酷な自然環境のもと、島民は撤退し
 
代わりに海軍が1935年気象観測所を開設します。
 
 
開戦前には滑走路が整備され、ミッドウェー海戦後は
 
この島の戦略的意義が見直され、要塞化していきます。
 
海軍の横須賀鎮守府傘下の南鳥島警備隊や、
 
陸軍の南海第二守備隊などが配属され、
 
戦車も揚陸されました。
 
横須賀海軍航空隊の一部の
 
陸攻隊が哨戒任務に当たります。
 
 
 
 
 
 
このように各部隊が駐屯し、
 
皇居とさほど変わらない面積の島に
 
約3000名が駐留するんです。
 
しかし絶海の孤島ゆえ作物も育ちにくく、
 
補給は内地に頼るしかありません。
 
 
 
1942年3月4日、
 
南鳥島は敵機動部隊の空襲を受けます。
 
 
 
 
 
 
ドーリットル隊のB25が東京・名古屋・神戸などを
 
空襲したのが1942年4月18日なので、
 
 
 
 
 
 
東京府内で初めて空襲された地となりました。
 
その後度々砲爆撃が繰り返され、
 
1943年8月31日は最大の空襲を受けます。
 
 
 
 
以下は参考画像です
 
 
 
 
 
 
南鳥島へは敵は上がっては来ませんでしたが、
 
1945年3月、硫黄島が陥落し補給路は完全に断たれます。
 
 
 
 
 
 
枯渇した日本軍は終戦までに
 
数十名の兵士が栄養失調などで死亡。
 
南鳥島からの復員人数が
 
約2400名とされていますので、
 
戦死・戦病死は数百名に上ってることになります。
 
 
 
南鳥島に配備されていた戦車第16連隊の九五式軽戦車
 
 
 
戦後小笠原諸島のほぼ全域は、
 
米軍占領後管轄下に置かれますが
 
1968年6月アメリカより返還され、
 
海上自衛隊南鳥島航空派遣隊が進駐します。
 
 
現在は、
 
海上自衛隊硫黄島航空基地隊南鳥島航空派遣隊、
 
気象庁南鳥島気象観測所、
 
関東地方整備局南鳥島港湾保全管理所の職員が常駐し、
 
原則として一般人は許可がない限り立ち入れません。
 
 
 
滑走路脇にある日本軍の火砲。
九六式十五糎榴弾砲のようにも見えますね
 
滑走路南端にある九五式軽戦車の残骸。
最近まで砲塔を含む全形がありましたが、
とうとう崩れ落ちたそうです
 
 
 
もったいないなぁ
 
原形をとどめてる内に内地に送還し、
 
レストアすれば立派な戦争遺産になったろうに。
 
 
 
 
 
 
しかしこの島、ホンマにペッタンコやさかい、
 
台風接近による高波や津波でも来たら
 
皆さんどないして逃げてんやろ
 
 
 
 
 
 
 
メッチャ気になるわぁ
 
 
 
 
 
 
 
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