1944年8月下旬は、連日敵潜の餌食になってるやんか!!何とかならんかったんやろか!?の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

この年の戦局は、
 
戦場はマリアナ方面にまで到達しています。
 
 
 
2月、 トラック島空襲
 
 
 
3月にはインパール作戦を開始しますが、
 
わずか4ヶ月で撤退。
 
4月から年末まで大陸打通作戦
 
 
 
6月19日、マリアナ沖海戦
 
7月7日、サイパン島の日本軍玉砕
 
 
 
8月2日、テニアン島の日本軍玉砕
 
8月11日、グアム島の日本軍玉砕
 
 
特に6月のマリアナ沖海戦で、
 
小沢治三郎中将のアウトレンジ戦法は
 
功を奏せず攻撃隊378機が撃墜され
 
虎の子の空母大鳳・翔鶴・飛鷹を失います。
 
 
 
またこの時期に潜水艦は17隻も失われてしまいました。
 
 
 
伊10はサイパンの第六艦隊司令部
救出に向かうが失敗。7月4日沈没
 
 
 
 
8月のお盆を過ぎるころになると、
 
各地で海軍艦艇の喪失が続きます。
 
 
 
18日、空母大鷹、船団護衛中ルソン島西方にて、
敵潜ラシャーの雷撃をうけ沈没
 
軽巡名取、サマール島東方において、
敵潜ハードヘッドの雷撃をうけ沈没
 
特務艦速吸、ルソン島西方にて敵潜の雷撃をうけ沈没
 
25日、駆逐艦夕凪、ルソン島北西岸において
敵潜ピクュダの雷撃をうけ沈没
 
駆逐艦五月雨、パラオ諸島ガルアングル島に座礁中、
敵潜バットフィッシュの雷撃をうけ沈没
 
 
28日、駆潜特務艇77号、千島列島幌筵にて爆撃をうけ沈没
 
 
 
 
掃海艇28号、メナド北西方において
 
敵潜ジャックの雷撃をうけ沈没
 
 
 
敷設艦白鷹、バシー海峡において
敵潜シーライオンの雷撃をうけ沈没
 
 
 
 
開戦後、米軍の防衛システムや
 
対潜兵器は著しく進化しました。
 
しかし日本はまだマンパワーに頼るとこが多く、
 
レーダーなどは大きく水をあけられてしまいます。
 
 
 
空母「隼鷹」の21号電探(右)と、13号電探(左)
 
ヨークタウンはレーダー収集が趣味なん?
 
 
 
日本海軍の潜水艦はことごとく撃沈されたけど、
 
逆に米潜は日本船を“カモ”にしだしました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
沈められるとわかってて、
 
それでも海軍は出撃を命じなければ
 
ならなかったのは、なんででしょうね???
 
 
海軍でも対潜兵器の開発は進められていました。
 
15cm9連装噴進砲ちゅう兵器が1945年2月、
 
テストのために駆逐艦である澤風に装備されますが、
 
間に合わず実戦を経ることなく終戦を迎えています。
 
 
 
澤風。本来45口径12cm単装砲が
あるべき場所に噴進砲が設置されています
 
 
 
各種兵器の改善を要望する現場の声を
 
「敢闘精神の欠如」として聞く耳を持たなかった
 
海軍の体質が敗北を招いたとも言えますね。
 
柔軟な考え方の士官も多くおられたと聞きますが、
 
それらも大半が握りつぶされてしもたようです。
 
 
アクティブソナー・無音水深測深儀・
 
マイクロ波SJレーダー・ヘッジホッグ
 
どれを取っても米軍にはかなわなかったみたいです。
 
それでも皆さんは懸命に戦われました。
 
心から頭の下がる思いであります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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