米本土に今でも飛行可能なB29があるんやて!!一度乗せてくれへんやろか!?の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

B29という航空機は、
 
日本人にとってある意味とても印象深い
 
“銀翼の悪魔”とでもいうべき
 
忌まわしい爆撃機ですね。
 
 
 
 
 
 
B-29は、米国のボーイング社が開発した大型爆撃機。
 
スーパーフォートレスの愛称で親しまれました。
 
米国では戦前から長距離渡洋爆撃可能な
 
重爆撃機の開発が始まり、試作第一号機は
 
すでに1942年9月に初飛行が成功しています。
 
 
その頃はと言うと、餓島ですったもんだしてる頃ですね。
 
 
 
 
 
 
 
B29の存在が日本にもたらされたのは
 
ドイツからでインドに進出する際、
 
英国に立ち寄ったのを
 
独空軍の偵察機に発見されたからです。
 
 
日本軍との接触は1944年4月、ビルマ戦線で。
 
その後支那の成都に進出し、6月16日に
 
北九州八幡製鐵所へ75機で初空襲を行っています。
 
 
 
1944年6月15日、八幡空襲直前のB29
 
 
 
 
この機の特徴は、まずはその機体の大きさ。
 
全長:30.2m・全幅:43.1m・全高:8.5m。
 
最大速度:576km/h・航続距離:6600km。
 
実用上昇限度:9720m・最大爆弾搭載量:9t。
 
 
1943年後半に登場した零戦五二型の最大速度は
 
6000mで約565km/h、実用上昇限度が11740m。
 
 
 
 
 
 
海軍の一式陸上攻撃機二二型では
 
最高速度が高度4600mで437.1km/h
 
航続距離:2500km(爆弾搭載時)
 
実用上昇限度:8950m
 
爆弾搭載量:250kg爆弾4発etc
 
 
 
 
 
 
 
武装は陸攻の7.7mm旋回機銃3・
 
20mm旋回機銃2に対し
 
B29は12.7mm機銃12・20mm機関砲 1
 
 
 
 
 
 
 
特筆すべきは、与圧室を採用してること。
 
高空を飛行すれば当然気圧・気温が下がり、
 
搭乗員は酸素マスク、防寒対策が必要だが
 
B29は機内を一定の気圧に保てるので、
 
搭乗員のマスク着用・防寒対策は必要とされていない。
 
 
 
 
 
 
与圧室の採用により、機銃は射手が遠隔操作する
 
システムを採用しています。
 
 
 
 
 
 
発動機にはスーパーチャージャーを装備。
 
高高度での飛行を可能にしました。
 
 
 
 
 
 
グアム・サイパン島などマリアナ諸島を占領すると、
 
日本本土爆撃のため、各基地に大挙して飛来しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
東京をはじめ各主要都市・地方都市への無差別爆撃、
 
海上封鎖を目的とした港湾への機雷投下等の
 
延べ出撃総数31387機で、投下爆弾量159862t。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてなんと言っても広島・長崎への原爆投下。
 
 
 
 
 
 
 
 
日本本土への最後の空襲は8月14~15日にかけて
 
埼玉県熊谷市・群馬県伊勢崎市・神奈川県小田原市・
 
秋田県秋田市土崎港などがあり、合わせて
 
1000人以上が死亡し、その日の正午には
 
玉音放送が全国に流れ『終戦の詔勅』が発せられました。
 
 
 
 
 
 
 
それから5年後の1950年朝鮮戦争が勃発し、
 
B29は再び都市爆撃の任を受け、
 
平壌などに絨毯爆撃を加えます。
 
当初はあの日本上空を自由自在に飛び回ったように
 
北の空を蹂躙していましたが、支那の人民志願兵が
 
参戦すると状況が一変。
 
やつらはいつの間にか
 
ソ連製戦闘機MiG15を装備し、B29に襲い掛かります。
 
 
 
 
 
 
 
 
日本上空での被害に比べれば朝鮮での被害は軽微でしたが、
 
B29ではジェット機には対抗できない時代となり、
 
順次退役を迎えます。
 
 
 
現在米国では大戦当時の機体を飛ばす
 
航空ショーが盛んに行われています。
 
 
 
 
 
 
そんな中で注目を集める機体がB29“FiFi”です。
 
 
 
 
 
 
この機体は1945年製で、戦争には間に合いませんでした。
 
その後民間に払い下げられ、現在“FiFi”号として
 
全米の空を飛んでいます。
 
 
B29は日本人にとってはめっちゃ憎たらしい機ですが、
 
当時の搭乗員はこの機からどんな光景を眺めたのでしょう?
 
そして何を思っていたのでしょう?
 
 
 
 
 
 
 
搭乗員の証言の中に、
 
上空から爆弾を落とす任務に就いて
 
そのはるか下には民間人が生活していて、
 
その老若男女を殺傷する
 
罪の意識など湧かなかったと証言しています。
 
 
 
 
 
 
もし機会があれば、B29に搭乗し彼らが何を見、
 
何を考えたのか体験してみたいですね。
 
まぁB29に搭乗するなど“至難の業”でしょうけどね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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