1944年8月、ルソン島近海で多くの艦艇が沈められたのに、連合艦隊はそれどころやなかった!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1944年夏、敵の侵攻はついに
 
マリアナ諸島まで押し寄せ、
 
各島は次々と玉砕していきました。
 
 
 
 
 
 
 
連合艦隊は敵がマリアナ方面に
 
侵攻してくるとは考えておらず、
 
主戦場を西カロリンと想定しています。
 
その理由として、
 
蘭印の油田地帯が近く燃料補給が容易と言った
 
自分たちに都合が良い計画のようです。
 
 
5月27日、敵が西部ニューギニアのビアク島へ
 
上陸してきたのもその裏付けだったのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
ビアク島の戦いが行われてる最中
 
6月11日からマリアナ各島へ
 
敵機動部隊の空襲が続き、
 
15日についに上がってきました。
 
 
これを受け連合艦隊は慌てて「あ号作戦」を発動。
 
機動部隊の空母9隻を持って一大決戦に臨みましたが
 
大鳳、翔鶴、飛鷹が沈み500機近い航空機を
 
一挙に失い惨敗しています。
 
 
 
 
手前は摩耶、右奥は千代田
 
 
 
西部ニューギニアでの戦闘もいよいよ終盤戦に突入し、
 
次は比島方面への侵攻が予想されます。
 
比島を捕られると蘭印からの資源物資を
 
国内に輸送できなくなるので陸海軍の
 
共同作戦である「捷号作戦」を立案しました。
 
その内容は、
 
基地航空兵力で敵艦隊を攻撃
 
第一機動艦隊が敵機動部隊をおびき寄せ、
 
基地航空兵力と共同で殲滅
 
その隙に戦艦を中心とした艦隊で、
 
上陸部隊と輸送船を攻撃して撃滅する
 
と言ったもの。
 
 
この捷号作戦中の7月頃から
 
ルソン島近海における状況が変わり出します。
 
 
7月7日、駆逐艦玉波がマニラ西方で、
 
敵潜ミンゴーの雷撃をうけ沈没。
 
 
 
 
SS-261ミンゴ
 
 
 
19日、軽巡大井がマニラ西方で、
 
敵潜フラッシャーの雷撃をうけ沈没。
 
 
 
 
SS-249 フラッシャー
 
 
 
26日、伊29はルソン海峡で
 
敵潜ソーフィッシュの雷撃をうけ沈没。
 
 
 
 
SS-276 ソーフィッシュ
 
 
 
8月7日、海防艦草垣はマニラ西方で、
 
敵潜ギターロの雷撃をうけ沈没。
 
 
18日、空母大鷹は船団護衛中、ルソン島西方で
 
敵潜ラシャーの雷撃をうけ沈没。
 
 
 
 
SS-269 ラッシャー
 
 
 
19日、給油艦速吸はルソン島西方で
 
敵潜の雷撃をうけ沈没。
 
 
 
 
 
 
22日、海防艦佐渡はマニラ西方で、
 
敵潜ハッドの雷撃をうけ沈没。
 
海防艦松輪、日振もマニラの西方で、
 
敵潜ハーダーの雷撃をうけ沈没。
 
 
 
佐渡
 
SS-255 ハッド
 
松輪
 
 
 
23日、駆逐艦朝風はルソン島西方で、
 
敵潜ハッドの雷撃をうけ沈没。
 
 
ハッドとハーダーはウルフパックを形成しつつ
 
ヒ71船団を襲い、その護衛艦である
 
海防艦日振、松輪、佐渡を共同で沈めた後、
 
今度はタマ24A船団を発見し、
 
ハッドが攻撃を行って朝風を撃破。
 
(その後沈没)
 
 
 
 
 
 
タマ24A船団で唯一生き残った
 
二洋丸が救援を求め、マニラにいた
 
第22号海防艦と第102号哨戒艇が
 
現場に急行します。
 
 
 
第22号海防艦
 
第102号哨戒艇
 
 
 
24日朝、第102号哨戒艇が
 
ダソル湾内に避難していた二洋丸を迎えに行き、
 
第22号海防艦が湾口で警戒してると
 
ハーダーが潜望鏡深度にまで上がって来て、
 
第22号海防艦のソナーに捕まります。
 
全速力で接近する護衛艦に気付いた
 
ハーダーは深深度への避退行動に移ります。
 
第22号海防艦が先程
 
潜望鏡を発見した辺りに到着し
 
爆雷戦を仕掛け、10数個を投下。
 
やがて攻撃地点から多量の
 
噴煙や重油、コルク片が浮き上がります。
 
 
 
 
 
 
ヒ71船団とタマ24A船団の
 
仇を討つことに成功しましたね
 
 
 
 
 
 
25日、駆逐艦夕凪は、ルソン島北西岸で
 
敵潜ピクュダの雷撃をうけ沈没。
 
 
 
 
 
 
 
このように、最初にルソン島近海に張り付いた敵潜から、
 
「この海域は“入れ食い状態”」との報告を受けた
 
他のウルフパックチームが我も我もと押し寄せ、
 
ここには明記してない輸送船団をも次々と襲いました。
 
 
にもかかわらず連合艦隊は捷号作戦に傾注し、
 
艦隊決戦のみに固執し輸送船団を守ると言った
 
最低基本形をなおざりにしてしまいました。
 
 
結果、日本海軍で初めて船団護衛を主とした
 
艦隊を構成した大鷹を失い
 
その他多くの輸送船を失い、
 
比島防衛の戦力低下を招いてしまいました。
 
開戦前から始まった日本海軍の“大艦巨砲主義”
 
は名を変えつつも最後まで輸送部隊は二の次にして
 
あくまで艦隊決戦思想から抜け出せない。
 
 
おのれとこの潜水艦隊の未帰還は
 
バシバシ増えてるのに敵潜は思う存分暴れ回っとる。
 
何でかゆうこと追及せんとただただ「敢闘精神の欠如」
 
一点張りやから、敵の兵力が増える一方やんか!
 
 
このルソン島近海での損失は全て敵潜によるもの。
 
ここに着目せん限り今後も潜水艦も失い、
 
輸送船は南方資源を国内に輸送できず
 
犠牲ばっかし増えていくんや!
 
 
さぁ、この点に
 
大本営・軍令部・艦隊司令部の一体誰が気付くのでしょう…。
 
 
 
 
 
 
 
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