1945年8月20日、真岡郵便電信局の乙女9人が最期の言葉を残し自決!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

真岡郵便電信局事件
 
8月11日から樺太へもソ連軍は侵攻を開始。
 
8月15日の玉音放送で終戦が決定したはずやのに、
 
ソ連軍は停戦せず侵攻を続けました。
 
樺太在住の日本人には北海道への
 
引き上げ命令が出ており、
 
ソ連軍の侵攻と併せて南樺太は騒然となります。
 
 
 
 
 
 
真岡郵便局の電話交換手にも
 
引き上げ命令が出たのですが、
 
「混乱の中でこそ本土からの連絡を
 
軍や樺太庁に伝達すべき」と、
 
女性電話交換手12名が志願して残り、
 
業務を遂行しました。
 
 
20日、突然真岡に現れた
 
ソ連軍艦艇から艦砲射撃が放たれ、
 
やがてソ連軍が上陸してきます。
 
ソ連軍は、軍・民間人の区別なく
 
無差別攻撃を仕掛けており、
 
電話交換手1名が射殺され、
 
もう1名は逃げ込んだ防空壕に
 
手榴弾を投げ込まれて爆死しています。
 
 
やがて真岡郵便局内も被弾。
 
「もはやこれまで!」と
 
観念した9名が青酸カリで自決。
 
 
 
                     交換台にも弾丸が飛んできた。
 
                     もうどうにもなりません。
 
                     局長さん、みなさん…、さようなら。
 
                     長くお世話になりました。おたっしゃで…。
 
                     さようなら
 
 
 
これが彼女たちの最後の言葉でした。
 
 
戦後、彼女らが死を目前にするまで
 
業務に献身的であったことと、
 
その死を悼み、現在北海道稚内市の稚内公園内に
 
九人の乙女の像が建立されています。
 
 
 
 
 
 
真岡郵便電信局の
 
女性電話交換手9人の最期を描いた
 
映画『樺太1945年夏 氷雪の門』が
 
1974年公開予定だったが、ソ連から
 
「ソ連国民とソ連軍を中傷する反ソ映画」
 
と圧力がかかり、上映が中止になります。
 
この映画が全国で順次劇場公開されることになったのは、
 
2010年になってからでした。
 
 
 
 
 
 
 
2008年には日テレ系で、
 
「霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち」
 
が放送されました。
 
 
  
真岡郵便局でお亡くなりになった九名の乙女たちです。
 
 
                        可香谷シゲ   23歳(主事補)
                        高石ミキ     24歳 
                        渡辺照      17歳   
                        松崎みどり   17歳  
                        沢田きみ    18歳  
                        吉田八重子   21歳
                        高城淑子    19歳
                        伊藤千枝    22歳
                        志賀晴代    22歳

 
 
 
 
 

 【碑文】

                 8月20日、ソ連軍が真岡上陸を開始しようとした。

                その時突如、日本軍との戦いが始まった。
 
                戦火と化した真岡の町、
 
                その中で交換台に向かった9人の乙女らは、
 
                死をもって己の職場を守った。
 
                窓越しに見る砲弾の炸裂、刻々迫る身の危険。
 
                今はこれまでと死の交換台に向かい
 
                「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら」
 
                の言葉を残して、静かに青酸カリを飲み、
 
                夢多き若き花の命を絶ち、職に殉じた。
 
 

 自殺した9名は公務殉職として、
 
1973年勲八等宝冠章を受勲しました。
 
また、靖国神社に合祀されています。
 
 
 
 
 
 
戦時下において軍は国民に対し
 
“鬼畜米英”を強調しました。
 
米英は捕虜にした兵を拷問にかけ、
 
婦女子は陵辱された後殺害されると。
 
だから「生きて虜囚の辱めを受けず」なのです。
 
 
事実、米英軍の一部には
 
そういった行為に走った事例もありましたが、
 
ソ連軍は、最前線に囚人等の荒くれ訳アリ部隊を投入し、
 
婦女子への陵辱をはじめ、民族差別をあらわにした
 
虐待行為が公然と行われたようです。
 
 
(だから日本兵捕虜をシベリアで
 
過酷な労働に使用したのかもしれません)
 
 
 
 
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