1942年8月21日、一木大佐は天祐を確信し攻撃を開始したけど、返り討ちにされてしもた!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1942年に入り、

 

日本軍の進撃は南半球ソロモン諸島の

 

フロリダ諸島付近まで到達しました。

 

5月3日にツラギに進出した翌日、

 

敵の空襲を受けかなりの被害を出します。

 

 

 

 

 

 

慌てた日本軍は急きょ、

 

ガダルカナル島で飛行場建設を開始し、

 

8月5日に何とか完成させますが、

 

7日に突如敵が上陸してきました。

 

 

 

 

 

 

上がって来たのは海兵隊第1海兵師団約11000名。
 
設営隊約1500名などあっという間に
 
駆逐されてしまいました。
 
敵はその他に船上にまだ6700名の
 
予備兵力を抱えています。
 
 
この方面には敵は来ない!とたかをくくってた海軍は
 
その報告は寝耳に水で、状況を把握することなく
 
ラバウルの25航戦・第8艦隊に攻撃命令を出します。
 
 
まずは陸攻・艦爆隊に零戦護衛がつき
 
ツラギ上空に達しますが、
 
敵迎撃機数十機が待ち構え
 
いくつかの艦船にダメージを
 
与えますが、未帰還が増えていきます。
 
 
 
 
 
 
第8艦隊は殴りこみ艦隊として
 
敵輸送船撃滅のため出撃しますが
 
哨戒機に発見され、待ち伏せされます。
 
8日~9日にかけての夜戦となり
 
加古を失うも敵重巡艦隊を
 
撃滅させたけど、その後方にいた
 
輸送船団は潜水艦の攻撃を受け
 
ラバウルに引き返し、
 
餓島・ツラギに逆上陸部隊を送り込み
 
敵輸送船団への攻撃も出来ませんでした。
 
 
 
 
 
 
第8艦隊が帰路に就いた後、
 
敵輸送船団から大量の物資が揚陸されます。
 
この兵力増強がこの後多大な影響を
 
及ぼすことになります。
 
 
敵上陸の一報が入った海軍は陸軍に協力要請をします。
 
その時点では陸軍では
 
「ガダルカナルってどこ?」ってな感じで、
 
この方面では海軍が独自に動いていた証拠です。
 
 
要請を受けた陸軍はマニラの青葉支隊
 
パラオの川口支隊、グアムの一木支隊を
 
餓島に送り込もうとします。
 
 
まずはグアムの一木支隊の一部が先発隊として
 
駆逐艦6隻に便乗しタイボ岬に上陸しました。
 
 
一木支隊はもともとミッドウェー攻略部隊として
 
作戦中は輸送船で移動中に作戦中止命令を受け
 
悔しさをにじませながらグアムに引き上げていました。
 
 
ちなみに、
 
同攻略部隊には後に沖縄小禄で戦死された
 
大田実海軍少将の海軍陸戦隊もいました。
 
 
「腕が鳴るぞ!!!」とやる気満々の一木支隊916名は、
 
餓島の簡単な地図と『米兵など恐るるに足らず』
 
と言った根拠のないパンフを元にピクニック気分で
 
上陸しましたが、上陸したのは敵がいるルンガ岬の
 
約35km東にあるタイボ岬なので、道なき道の
 
移動の行軍がしだいに体力を奪っていきます。
 
 
8月19日、コリ岬付近で斥候同士の戦闘があり
 
友軍は壊滅的打撃を受け数名のみが退却。
 
これにより敵は防衛線を強化。
 
 
 
 
 
 
M3 37mm砲や機関銃を配置し迎え撃ちます。
 
 
 
 
 
 
 
20日夜、一木支隊はイル川東岸に
 
到着し、攻撃準備に取り掛かります。
 
21日0130頃、約100名が
 
イル川を渡河し攻撃に入りましたが、
 
「敵は弱い!」と言う先入観からバシャバシャ音を立て、
 
歓声を上げながらの突撃に敵は一斉に火を吐き
 
あっという間になぎ倒されました。
 
 
 
 
 
 
2度目の攻撃も失敗し、200名近くを一瞬で失います。
 
 
3度目は海岸線から敵の側面攻撃を仕掛けようとして、
 
ここでもまた敵の集中砲火で甚大な被害を被りました。
 
 
本来なら一度撤退し策を再考するはずですが
 
一木大佐はこの場に留まっています。
 
 
その後にらみ合いが続き午後になって戦車が到着し
 
一木支隊の残存兵力を掃討していきました。
 
 
 
 
 
 
 
友軍の生存者が極めて少ないため一木大佐の最期は
 
戦死なのか、自決なのかはわかっていません。
 
 
大佐自身も心のどこかに敵を見下してたところがあり
 
この結果に、「こんなはずではなかった!」
 
とパニックに陥り
 
『退却』と言う選択が出来なかったのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
本戦闘で生き延びたわずかな兵達は
 
タイボ岬まで後退し待機中の第1梯団
 
後方部隊に一木支隊全滅を報告。
 
 
 
 
 
 
この結果は即座にラバウルの第17軍に無線で
 
伝えられたけど、
 
誤報としか思えない上層部は
 
この後川口支隊を投入し、
 
やがて泥沼にはまり込んでいきます。
 
 
思うに、
 
5月3日、25航戦の一部がフロリダ島南端の
 
ツラギに進出した翌日、早速敵機の空襲があり、
 
一度ラバウルに引き揚げた
 
ツラギ島の第84警備隊司令が25航戦に
 
「対岸のガ島に航空基地設営の要ありと認む」
 
と報告。この報を受け25航戦司令は、
 
「海軍はソロモンのどっかに
 
陸上航空基地設営の候補地を
 
探してるんでっしゃろ!?」
 
「実はええとこがありまんねん♪」
 
ゆうて餓島の存在を連合艦隊に教えてしまいました。
 
 
この情報が本大戦の
 
重要なターニングポイントに
 
なったのかもしれませんね。
 
 
 
 
いつも御訪問戴きありがとうございます
ブログ村ランキングへの入口を
ここにも設けてみました
よろしければ応援のほどお願いいたします