1942年8月17日、マキンは全く突然に敵の奇襲を受けたゾ!!守備隊は踏ん張れるか!?の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

マキン環礁はギルバート諸島の一角で元々英領なのを
 
開戦後の12月10日タラワとともに我軍が占領しました。
 
 
 
 
 
 
占領後第62警備隊の海軍陸戦隊1個小隊が駐留しています。
 
その他小規模な水上機基地が設けられました。
 
 
 
 
 
 
 
 
1942年2月1日、
 
マーシャル・ギルバート諸島は敵の空襲を受けます。
 
 
クェゼリン方面へはエンタープライズ攻撃隊が、
 
マキン・ミリ環礁方面へは
 
ヨークタウン艦載機が向かいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
マーシャルではかなり被害が出たものの
 
マキンではこの日の天候が雷を伴う激しい雨だったから、
 
攻撃はワンショットで終わり被害は最小で済みました。
 
 
そのころ我軍の侵攻はソロモン諸島に達しており、
 
敵はこれ以上の東進を阻止すべく
 
トンガ・バヌアツのエファテ島に前進基地を置き、
 
反攻の機会を伺いつつ
 
ウォッチタワー作戦の準備に取り掛かっていました。
 
さらに敵は我軍の設営隊が
 
餓島に飛行場を建設してる情報を掴み
 
完成した直後に上陸してきます。
 
 
 
 
 
 
この地域の反攻の陽動作戦として
 
ギルバート諸島への攻撃が計画されました。
 
 
 
 
 
 
これまでのマーシャル・ギルバート諸島
 
への偵察機からの情報によると、
 
マキンの防備が比較的手薄なのが
 
判明し、ここへの奇襲攻撃が決定します。
 
 
兵力は海兵隊2個中隊。
 
潜水艦ノーチラスとアルゴノートに
 
分乗し、8月8日真珠湾を出港。
 
 
 
ノーチラス
 
アルゴノート
 
 
 
ノーチラスは本作戦に参加する前ミッドウェー海戦に参加。
 
一時は南雲機動部隊を発見し、霧島に魚雷を発射するも
 
かわされ駆逐艦の反撃をかわすため暫く深く潜航し、
 
4時間後潜望鏡深度まで浮上し海上を確認すると、
 
炎上する3隻の空母を確認します。
 
うち1隻に魚雷を放つも命中した1本は不発でした。
 
 
 
 
 
 
その後日本近海に近づき、
 
6月25日に房総沖で山風を撃沈しています。
 
 
 
 
 
 
 
ノーチラスとアルゴノートは8月16日にマキン沖で会合。
 
海兵隊は17日0200時、ブタリタリ島に上陸。
 
 
 
 
 
 
 
敵の兵力約220名。
 
守備隊は海軍陸戦隊1個小隊64人。
 
奇襲だったこともあり陸戦隊の多くは
 
敵の銃弾に倒れていきます。
 
 
 
 
 
 
海兵隊の同島滞在時間は
 
12時間と決められていたので
 
夕刻には撤収の準備に取り掛かります。
 
しかし予定時刻に撤収できたのは数十名程度で、
 
残りは我軍に降伏の意思を示そうとした時、
 
守備隊は壊滅していたのを知り、
 
24時間後に潜水艦に戻ることが出来ました。
 
 
本作戦の目的は餓島から
 
我軍の目を反らすことと、
 
暗号文書の奪取にありましたが
 
両方とも成功には至りませんでした。
 
 
守備隊からの電文を傍受した
 
内南洋部隊は直ちに救出部隊を派遣。
 
同時にトラックやジャルート環礁から増援部隊を急送。
 
集合場所にたどり着けなかった海兵隊12名の
 
掃討を行い3名を殺害、9名を捕虜にしました。
 
海兵隊の戦死者21名、
 
収容時に溺死者7名を出しています。
 
守備隊の戦死者43名、行方不明3名。
 
 
 
 
 
 
思わぬ反撃を食らった内南洋部隊は、本土に増援を要請。
 
ギルバート諸島の防備強化に乗り出します。
 
この防備強化が1943年11月の敵の侵攻の際、
 
手痛いしっぺ返しを与えることになろうとは、
 
この時点で敵の軍首脳は知る由もありません。
 
 
 
 
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