1979年8月16日、甲子園では箕島対星稜がものすごい試合をやってのけたゾ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

今年の甲子園はコロナの影響で中止になった
 
春のセンバツ出場予定校による交流試合が
 
行われていますが、1979年の夏の甲子園
 
(第61回全国高等学校野球選手権大会)の
 
8月16日の箕島対星稜の試合は、
 
まさに球史に残る名勝負と言えますね。
 
 
 
 
 
 

この試合、9回までは余り印象に残ってないが、
 
延長に入ってからが手に汗握る攻防戦となりました。
 

 星稜は延長12回表1死1-2塁のチャンスに
 
簑島上野山がセカンドゴロをエラー。
 
2塁ランナーがホームに帰り一点を勝ち越します。
 
 
 
 
 

箕島はその裏2死から1番嶋田が起死回生の同点ホームラン。
 
これが奇跡の始まりでした。
 

 延長16回の表、星稜に再びチャンスが訪れます。
 
12回と同じ1死1-2塁のチャンスにバッターがピッチャーゴロ。
 
これがゲッツー崩れで2死1-3塁。
 
7番山下がライト線へのタイムリーヒットを打ち3-2と勝ち越しです。
 

その裏の簑島。2死ランナーなし。
 
6番森川は初球のボール気味と思われた球に手を出し、
 
一塁後方へのファールフライを打ち上げ
 
誰もが万事休すと思われたが、
 
なんとファースト加藤が捕球直前で
 
人工芝に足をとられて転倒し取れず!!
 
 
 
 
 

そして2-1からの4球目、レフトへ同点ホームランを放つ。
 
まさに奇跡の神様が舞い下りた瞬間でした。
 

そして箕島は延長18回に1死1-2塁から
 
6番上野がサヨナラタイムリーを放ち、
 
試合に終止符を打ったのです。
 
 
 
二塁走者辻内がヘッドスライディングで生還し、
箕島のサヨナラ勝ち
 
 

 当時裏番組で、
 
「阪神対巨人」伝統の一戦が放送されていたが、
 
視聴率は「簑島対星陵」に軍配が上がったそうです。
 
 
 
当時、簑島を率いた尾藤監督
 
星稜・山下智茂監督。彼はやがてゴジラ松井を生み出していく
 
 

『奇跡』と言うものは
 
そう簡単に起こらないかも知れません。

しかし、最後の最後まで“諦めない心“を持ち続ければ
 
「夢は叶うんだ!」という典型的な事例となり、
 
高校野球史上最高の球史に残る名勝負となりました。
 
 

 彼等と比較するのはおこがましいですが、
 
私も頸椎を損傷した際、主治医から
 
「手術の成功率は50%です。術後良くても
 
残りの人生車椅子が手放せません」
 
との宣告を受けました。
 
術後約半年首も動かせず、
 
寝たきり状態が続きましたが、
 
折れそうな心と闘い、
 
諦めずリハビリを続けて術後8ヶ月目に
 
ほんの僅かですが足が動き出しました。
 

 主治医曰く、
 
「最後まで諦めずにリハビリを続けられたお陰で
 
『奇跡』が起きたようです。
 
私も勉強させていただきました。
 
ありがとうございました」とのお言葉を頂きました。
 
 

あの時「あぁ私の人生も終わりやなぁ...」
 
と涙を流した時期もありましたが、
 
「諦めずにいてほんま良かった」と痛感しています。
 
あそこで投げていたら社会復帰を果たすどころか、
 
今でも車椅子生活で家族はおろか
 
いろんな人に迷惑をかけてたでしょう。
 
 

みなさんにもいろんな困難が
 
立ちふさがっていることでしょう。

その時は焦らずじっくりと気長に
 
向かっていってください。

そうすればいつの日か道は開かれるでしょう。


 
 
 
 
今年は各校1試合のみの夏!
 
それでもどんなドラマが繰り広げられるのか、
 
熱い夏に期待しましょう。
 
 
 
 
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