被弾し、まさに墜ちんとする友軍機の画像に触れるたび、心が痛くなるなぁ…の巻 其之壱 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

敵が捉えた墜ちる日本機の画像と言えば、
 
特攻機の画像が有名ですね。
 
 
 
突入に成功した特攻機の残骸からは
 
搭乗員の遺体も発見され、時には
 
その身元が判明する場合もあります。
 
 
 
 
 
 
 
 
この画像もその一つ
 
1944年11月25日、空母エセックスに突入前後の
 
第4神風特別攻撃隊香取隊の艦上爆撃機彗星
 
(山口善則一飛曹・酒樹正一飛曹搭乗)
 
発見された遺品から判明
 
 
 
敵艦載機・壮烈な対空砲火を潜り抜け
 
ようやくここまでたどり着いたのに…
 
 
 
 
 
 
 
1944年10月25日、
 
護衛空母ホワイト・プレーンズに肉迫する
 
第1神風特別攻撃隊敷島隊の零戦。
 
この直後、対空砲火によって右翼に被弾、
 
 
撃墜された…。
 

 
この機もあと一歩やったのに…

 
 
 
1945年4月11日、戦艦ミズーリに突入した零戦。
 
 
この画像は偶然撮影されたそうで
 
ここに写る米兵もこの機には
 
気が付かなかったそうです。
 
それになんといってもこの機には
 
爆弾が搭載されてなかったんですね。
 
 
確かによく見ると、
 
この突入角度はあまりに浅く
 
弾き飛ばされてしまいます。
 
この機は
 
このまま激突したけど艦へのダメージは
 
軽微だったそうです。
 
戦艦の対空砲火はあまりにも強烈で
 
それを潜り抜けてここまでたどり着く技量、
 
そして爆弾の無搭載からして
 
この機は戦果確認機もしくは直援機
 
だったのでしょう。
 
特攻機がバタバタと落とされ
 
彼らの仇を討つために
 
とっさの行動に出たのかもしれません。
 
 
 
 

 
こちらの説明では
 
1945年1月6日ルソン島の戦いにおいて、
 
軽巡コロンビアに急降下突入し
 
命中直後の九九式襲撃機(所属不明)とあります。
 
 
 
突入した瞬間
 
軽巡コロンビア
 
 
 
1945年5月14日、空母エンタープライズに
 
反転急降下で突撃する富安俊助中尉の零戦62型
 
50番を搭載してながら敵の対空砲を
 
ひょいひょいとかわし、あのにっくき
 
エンタープライズに痛手を負わします。
 
 
 
 
 
 
突入直後の大爆発で、前部エレベーターリフトが
かなり高くまで吹き飛ばされてます
 
 
 
富安中尉のたぐいまれな操縦技術と
 
瞬時の判断力に、多くの米兵から
 
称賛の声が上がったそうです。
 
 
1945年5月11-14日は海軍の菊水六号作戦
 
陸軍の第七次航空総攻撃が発令され、
 
海軍は8日-11日にかけて
 
作戦機345機、うち特攻機86機を投入、
 
12日-15日にかけても作戦機237機、
 
うち特攻機47機を投入しました。
 
特攻機の未帰還はあわせて95機。
 
陸軍も作戦機80機、うち特攻機35機を投入。
 
 
 
米英軍の被害
 
英空母ヴィクトリアス、フォーミダブル
 
米空母バンカーヒル、エンタープライズ
 
戦艦ニュー・メキシコ
 
護衛駆逐艦オウバレンダー、
 
イングランド、ブライト
 
駆逐艦エヴァンス、
 
ヒュー・W・ハッドリー、バッチ
 
等が損傷しています。
 
 
 
 
1945年5月9日、英空母ヴィクトリアス
に突入寸前の第18大義隊の爆戦
 
 
 
空母イントレピットは
 
3月18日と4月16日の二度にわたって
 
特攻機の命中を受けています。
 
 
 
 
 
 
この被弾した銀河が狙ったのは
 
手前に写る護衛空母オマニー・ベイ
 
をやり過ごし、イントレピッドとされるが、
 
果たしてたどり着けたのだろうか…。
 
 
 
 
高角砲の直撃を受けて墜落する天山
 
 
 
 
軽空母バターンの対空砲火で撃墜された彗星33型
 
さぞ無念だったでしょう…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
特攻作戦における命中率はわずか15%。
 
沖縄戦が開始されると敵の防空体制が確立し
 
もっと低くなります。
 
これらの画像は、そんな中で被弾しながらも
 
“護国の鬼”となりて体当たり出来た
 
貴重な資料となってます。
 
 
 
彼らはあの狭い操縦席のなかで
 
何を想い、何を考えていたのでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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