被弾し、まさに墜ちんとする友軍機の画像に触れるたび、心が痛くなるなぁ…の巻 其之弐 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

叔父たちが、懸命に目指した沖縄
 
その途中に立ちふさがる敵グラマン
 
 
 
必死に逃げ惑う一式陸攻の姿が
 
ガンカメラに収められています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1945年3月21日、陸攻隊18機と野中少佐率いる
 
第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊
 
は鹿児島県鹿屋基地を飛び立ちます。
 
 
 
しかし直援機23機が故障で帰還。
 
そして敵レーダーで捕捉され
 
迎撃機が迎え撃つんです。
 
 
 
ただでさえ鈍足の陸攻に
 
約2トンの桜花を搭載してるので
 
敵からしたらまさに“七面鳥撃ち”。
 
 
陸攻は全機撃墜され
 
直援機も30機中、10機が未帰還。
 
 
この時は宇垣中将の「何が何でも突入」と言った
 
強い意志が働いていたためこのような結果となったが
 
その後の神雷部隊では敵に捕捉された場合
 
「桜花を捨ててでも敵を振り切り帰還せよ」
 
との命令が岡村司令から出たため
 
帰投できた陸攻もあったようです。
 
 
 
◎二式飛行艇
 
 
 
 
 
 
 
 
他国の飛行艇からすれば極めて優秀な機体ではあるが、
 
戦闘機の前ではこの重武装と防御力をもってしても
 
墜とされるケースが後を絶ちませんでした。
 
 
 
 
 
 
◎九七式飛行艇
 
 
 
 
 
 
 
1944年5月7日、トラック島からサイパンへ向かう連絡機は
 
トラック島北西400km付近で索敵中のPB4Y-2に遭遇。
 
武装・最高速ともに叶わず
 
執拗な追尾を受けこのように撃墜される。
 
 
 
PB4Y-2
 
 
 
マリアナ沖海戦
 
 
 
 
 
 
墜落する友軍機は双発のようにも見えます。
 
双発となればグアムの第五基地航空部隊の銀河ですが、
 
6月15日の第二次攻撃隊となりますね。
 
 
 
画像はP1Y1夜戦改修型
胴体中央部に20mm斜銃が見えます
 
 
 
 
マリアナ沖海戦は、海軍が考案した
 
『アウトレンジ戦法』によって
 
敵機動部隊の攻撃圏外からいち早く
 
仕掛けるといったものであったが
 
圧倒的な戦力の差、搭乗員の技量不足、
 
VT信管の登場等により惨敗し、
 
日本空母部隊も壊滅してしまった。
 
マリアナ方面の制空権・
 
制海権を奪われた日本は
 
やがてグアム・サイパン島などを
 
奪われB29の空襲にさらされます。
 
 
 
 
 
 
空母隼鷹は6月20日、煙突付近に被弾し艦橋の
一部も破壊された。他に至近弾を受け損傷
 
 
 
◎九九式艦上爆撃機
 
 
真珠湾攻撃で一躍有名になった
 
九九式艦上爆撃機ではあるが、
 
ソロモン海域での戦いでは
 
すでに旧式化しており
 
犠牲が増えだしています。
 
 
 
 
 
対空砲火によって主翼をもがれた九九艦爆
 
 
 
◎九七式艦上攻撃機
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この機体も九九艦爆同様
 
真珠湾攻撃で活躍します。
 
戦争中期頃から敵戦闘機の餌食となり、
 
未帰還機が増大しました。
 
後継機の天山が登場すると、その任務は
 
対潜哨戒等へ変わってゆきます。
 
 
画像の詳細は不明ですが、
 
ミッドウェーで空母4隻を失ったのち
 
母艦機からラバウル等の陸上へと運用転換され
 
画像の機の塗装も陸上仕様となっていることから
 
その当時の機体と思われます。
 
せめて尾翼の識別番号がわかれば
 
どこの所属か判明できたのですが…。
 
 
 
九七式は3座式で前方から、
 
操縦手・航法兼雷爆撃照準手・電信兼機銃手の順番。
 
 
画像では3座目の搭乗員が身を乗り出して
 
機体の様子をうかがっています。
 
操縦席・2座の搭乗員の姿が充満した煙で確認できず
 
後方手が伝声管で呼びかけても応答がなかったから
 
身を乗り出したのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
発動機からの大量の白煙と高度もだいぶ低いので、
 
このあと短時間で墜落したでしょう。
 
このような画像を撮影できるほど、
 
敵には余裕があった証拠となります。
 
後方手のこの時の心情はどうだったでしょうか。
 
察するに余りあります。
 
 
 
私が衝撃を受けた中の一枚です。
 
 
 
 
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