1942年8月7日、完成したばかりの飛行場を奪いに敵が餓島に上がって来たゾ!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

開戦後わずか半年で太平洋を席巻した日本軍は
 
豪州を米国から遮断し孤立させる戦略を立てます。
 
この米豪分断作戦の一環として、
 
ポートモレスビーの攻略と
 
シーレーンを確保するためにまずはツラギ島を押さえ、
 
水上機の基地を建設することになりました。
 
 
 
 
 
 
1942年5月3日に同島を無血占領しましたが
 
翌日には空母ヨークタウン所属の
 
ドーントレス機等の急襲を受け
 
駆逐艦菊月・第一号掃海特務艇、
 
第二号掃海特務艇が撃沈されます。
 
 
 
 
 
 
 
敵がツラギ上陸後に撮影した菊月
 
菊月は父島の濱江丸のように船体上部は
朽ちていますが、上空から見て取れます
 
 
 
 
菊月沈没地点の近くには
 
敵がツラギに上陸した際呂106が撃沈した、
 
戦車揚陸艦LST-342の残骸も見受けられます。
 
 
 
 
 
 
呂106と同型艦の呂109(上)と、
LST-342と同型艦のLST-344(下)
 
 
 
 
フロリダ諸島への空襲に慌てた第25航空戦隊は、
 
6月2日に餓島に航空基地急速設営を意見具申します。
 
ツラギと餓島の距離は小舟で渡っても1時間半程度の距離。
 
ツラギの部隊から餓島に飛行場建設の
 
適地があることは既に報告を受けていたからです。
 
 
 
この直後ミッドウェー海戦で空母4隻を失い、
 
6月24日には餓島航空基地が裁可されます。
 
 
 
7月6日に海軍設営隊が餓島に到着。
 
16日に飛行場の建設を開始。
 
この頃の設営隊はまだ機械化が不十分で
 
人海戦術による設営が主だったため、
 
ご苦労も多かったでしょう。
 
それでも8月5日には、餓島に飛行場を完成させます。
 
海軍にとってはソロモン諸島の制空権を確保するために
 
餓島の飛行場建設はなくてはならないと考えてたようです。
 
 
 
 
 
 
ところが、完成直後の7日に突如敵機動部隊が現れ
 
航空機約500機による空爆と、艦砲による痛打を与えた後
 
上がって来たんですね。
 
敵は“漁夫の利”を得ようとしたんですかねぇ。
 
 
 
 
 
 
当時餓島には海軍設営隊約数百名がいただけで、
 
そもそも設営隊は土木作業員なので、
 
小火器と歩兵砲くらいしか持ってないもんね。
 
完全に不意を突かれたみたいや。
 
 
 
やはりここにも慢心があったからやろか?
 
もっと警戒を厳にする心があったなら、
 
ツラギの水上機をもっと哨戒に出してたはず。
 
「飛行場建設中にもし敵の攻撃があったら?」
 
上がもっとそこまで考えてたら、もっと早くに
 
敵機動部隊を発見してたかも・・・。
 
連戦連勝からくる『おごり』なんやろかなぁ。
 
 
 
 
 
 
この後陸海軍はすぐさま反応するけど、
 
最初に上がった一木支隊はコテンパンにやられるし、
 
海軍はラバウルからしかこれんし、
 
ここからが日本の運命を大きく左右する戦いに
 
はまり込んでしまうのでした。う~ん残念
 
 
 
 
 
 
 
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