気になる記事を見つけました~(*^-^*)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160629/12/hareruyasan18/80/e6/j/o0540096013684865577.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160629/12/hareruyasan18/ab/3e/j/o0540096013684865967.jpg?caw=800)
ニワトリを脇に抱える烏帽子姿の鳥使いを象牙から彫り出した高さわずか3・8㌢の根付けや、明治時代の見せ物小屋で人気を博した生(いき)人形ー。
大阪市の大阪歴史博物館で開館15周年を記念して開催された「近代大阪職人(アルチザン)図鑑」展で、驚きの超絶技巧を堪能しました。
明治維新後の工芸界は東京を中心に発展。
このため大阪にゆかりの深い優れた作り手については十分に知られないままでいます。
その空白を埋めるのが、同館の調査・収集活動の中で見いだされてきた「忘れられた大阪の工芸」約170点。
本展に登場する人名を聞いてピンと来なくても、その名が埋もれた事情を知れば、激変期が鮮やかに浮かび上がります。
例えば、大阪に生まれた幕末明治期の根付け師で「象牙彫りの応挙」と称賛される懐玉斎。「鶏合わせ」など気品のある作品を残しましたが、愛好家以外でその名を知る人は多くないといいます。
1887年ごろから弟子たちも次々と成功を求めて東京へと去っていきました。
広島から大阪に出てきた人形師の中谷省古は、75年以降、大阪・千日前に見せ物小屋ができると生人形を提供。
解剖医の指導の下で制作した人体模型(ろう製)も1900年に反響を呼びましたが、知名度は必ずしも高くありません。
作品の多くは興行で消耗され、現存が確認できるのは、千日前を一大興行地に仕立てた興行師奥田弁次郎の妻をモデルにした「奥田ふみ像」(1901年)のみといわれます。
千日前の興行で使われた生人形の希少な例として松本喜三郎「池之坊」(1871年)も展示。
大阪歴史博物館の前身、大阪市立博物館の調査で2000年に80年ぶりに発見されました。
しわ一つに至るまでリアルです。
他にも、月山貞一(刀剣)や村上盛之(彫金)、穐山竹林斎(木彫の竜の自在置物)も、大阪ゆかりの職人を紹介しました。
近代化の大きなうねりの中、「個」の力に頼る気風の大阪は、職人たちを組織化する面で東京に遅れを取りました。
しかしそれ故に、これほどまでに個性豊かな造形を残せたのでしょう。
この記事を読んでー!
様々な文化の違い、歴史の背景、激動の時代を経て今、表舞台に出された貴重な品々。
しっかりと後世に語り継ぎ、そして、形として残していくこと。
現代に生きる私たちの使命ではないかー。と、考えるのです(。・_・。)