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一言の記

日常の中にある些細な出来事を
惚けた老人の目で見た独り言をつづります

 季節が先走ったような午後のひと時を、近くの公園へ足を向けた。

「山吹の里公園」と言って、昔町のアチコチに空き地が出ると、区が買い取って、公園やらなにやら区の施設を作った時代があった。その頃の言わば遺物と言ってよい。今は少子化となって、ここに集う子供の姿は見られなくなってしまった。が園内には少しの遊具と、桜の木(大木と言ってよい)が二本・・・。

        

 満開に近い

ここは先日紹介した町会の「桜まつり」の、遊歩道から移転して開催された場所である。この行事ももともとは、町内の子供を対象に考えて発想した行事なのであります。ですから、テント仕立ての売店は、焼きそば、綿あめ、ジュース、みそおでん、フランクフルト、やビンゴ大会、遊びとして輪投げ、ダーツ、等々子供向けが主だった。時には、地元の小学校のブラスバンドや、太鼓の会などが参加して盛り上げてくれた。

 当節、少子化の方向は変わらないのだと思いますが、4月1日には、公園のすぐ前に

                    このような施設ができ、開園の予定です。

             

そのために周辺の道路もきれいに舗装されて入園する子供たちを待っています。賑やかな子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくるのも間近い。

 

   春を待つ町に子供の施設あり    旅人

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 町の南を流れる神田川、遡ること40年前、河川の拡幅工事が終わった。その際川の両岸に桜の若木が植えられ、遊歩道が設けられた。年月を経て見事な花を咲かせるようになって、桜の名所となった。

ひところ、見ごろを迎えるとどこからともなく、多くの人出でにぎわったものだ。

 当会町では、これを機に”桜まつり”を催行することとなった。当初は遊歩道で開催したが、後年場所を変更しての開催となったが、今日まで続いている。残念ながらここ2年、いや今年も開催は望めない。

 週末には開花か?と言う予報もあったが、開花宣言はまだ。そこで小輩、近くの橋へ観察に・・・。

遠景はまだ

       

ところが、近くでは

       

しっかりつぼみが色づき、ちらほらと咲いている。

  さいた さいた さくらがさいた 小輩一年生国語の最初のページ 2年前はカタカナだったそうだ。

 ♪ 花は桜木人は武士 語ってくれた人よりも  

 ♪ 花の都の靖国神社 同じ梢に咲いて会おう

 ♪ 桜の花のような小雪が降りかかる

 ♪ 「さくら!お兄ちゃんは遠いとこにいるけど、元気に暮らしているよ・・」

 

 何もかも懐かしさが先に・・・。少しでも多く桜の時期を迎えたいと思う今日この頃です。

   

 

 

 春の彼岸、昨18日が入り。”寒さ暑さも彼岸まで”と昔の人は言いました。昨日は少し狂っていましたが、まさしくその通りと言えます。

昔なら大忙しだった。

      

仏壇用のお花がよく売れました。今はと言うとやることはありません、そこで・・・

季節の変化を身近にと、部屋の模様替えです。暇つぶしもありますが、他にも理由があってのこと。

まずこれが

小輩のワーク机

 

そして周辺はこんな

 

脇にもう一つのワーキングの場

さらに休憩用に敷物と毛布

陽気がよくなるとここで昼寝をします。

ウクライナもコロナも終息の見えない今、努めて自身のマインドだけは平静にと・・・。

 

春彼岸昔日の日に想い馳せ    旅人

 

 

 

 

 

 ♪春が来た 春が来た

   どこに来た

  山に来た 里に来た

  野にも来た

 教室からオルガンの音に合わせて聞こえる児童の姿が浮かぶ。平和な光景です。いつの話か?

しかし今、そんな姿とは全く異なった、不幸に見舞われている国があることは誰もが知っている。

 当地も一気に春めてきた。

        

春らしい装いを・・・花を見て怒るような御仁はいないと思う。そんな職業にあった身を満足に思う。

振り返って

         

         仏花                       開店などお祝い用

 

          

                 花束

 

         

         ブライダルブーケ                自家製の竹の花き(手桶)

 こんなことをしている時代は、若かった

 

  来る春と共に歩みつ八十路旅       旅人

 

 

 

 

 

 

 

 

   2011・3・11 14:46

この時小輩TVの国会中継を見ていた。菅総理が答弁席に立って話していた。突然画面に「緊急地震速報」と、見慣れない画面が現れた。間を置かず揺れを感じ始めた後大きな揺れに。菅総理が机に手を置いて身構える姿を・・・会議室の照明が大きく揺れている場面を記憶する。

小輩すかさずドアを開けて下を見ると、車が大きく左右に揺れて、通行人が前の電柱につかまって揺れに耐えている様子が目に入った。その時、どこに置いてあったのか、グラスが落ちて割れる音が耳に、一瞬いつ窓ガラスが割れるかと頭を過る。ドアにつかまって立っているのが精いっぱいだったと記憶する。

一端揺れは収まるがその後余震続く。どうやらと少し落ち着いたところで再度TV画面を、すると

    

     こんな画面に――衝撃的な事実を知る。

 

当方の現状はと言うと

   

    グラスの破片

 

   

    小さな置物の落下

 

   

    額が外れた 程度で済んだ。

東京は震度5弱、しかし初めての経験。当家には小輩一人在宅、最悪の状況を考えたが、幸いそこには達しなかった。後でわかったこと

1,スポーツクラブのジャグジーに入っていた人

2,美容室にいた人

3,自宅マンション一人で留守番をしていた人

4,職場から徒歩で帰宅した人

5,職務柄現在地を離れられなかった人

それぞれが、それぞれの場で恐怖と向き合い対応していたことを知った次第です。

 

11年と言う歳月が過ぎて、自らの人生に受けた衝撃の大きさは、本人でしか分からない、本人にしか言えないことなのでしょう。改めて多くの犠牲者の方々のご冥福を祈り、被災者の方々にお見舞いを申し上げます。