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一言の記

日常の中にある些細な出来事を
惚けた老人の目で見た独り言をつづります

3月10日我が町の朝

      

上天気に恵まれ静かな佇まいを見せています。平和な町だと思う。

 

 77年前今日、東京下町は米軍の爆撃を受け壊滅した。多くの経験談を報道等で聞いてきたが、その都度悲惨な状況を想い、犠牲者の無念さに胸を痛めてきた。3月10日は昔陸軍記念日とされていた。その日に定めた攻撃だったといわれる。我が町は、この時は空襲をまぬかれた。しかし、一月後、4月13日当地区も同様の空襲を受け、地域の半分以上を焼失した。

 小輩が上京した昭和21年12月、町のいたるところにその痕跡があった。近くの神田川の両岸には、建物はなく延々と空き地が続いていた。それが、空襲時に火勢を食い止めるための緩衝地帯とするため、

強制的に建物を撤去したことによる、と知ったのはずっと後年のことである。小学校に入学して登校するとき、瓦礫に覆われた焼け跡を通って行ったものだ。遠い日の記憶に残る景色です。

 今日、小輩らの3月10日は過去の惨劇を伝え聞いて、二度と繰り返してはならないことを肝に銘じ、平和の尊さに感謝することだろうか。

 それにしても、この時理不尽な道理によって戦火にさらされている国のあることに、憤りを感じない人は少ないと信じたい。

 

  

  今年もクレマチスの芽を確認しました。

  

 来月中旬には開花するでしょう。

  

 一時花付の悪い時期がありましたが、ここ何年かは毎年

 

 花をつけています。

 

 

 

 

 

 

 

春の陽やさまざまに思う歴史観       旅人

 

 

 

 時効とは、時の経過の尊重を言う。その状態が長年続くことにより、その状態を正しいものと判断しましょうということ。少し違うが時効という言葉を使います。何故ならもう60年近くの年月を経過しましたから、

今となっては誰も影響を受けることはないと思い掲載を決意しました。

 小輩は元軽率官であります。先日その同期生の訃報が届きました。懐かしさもあって、古いアルバムを出してきて偲びました。

    

この中に訃報の当事者も小輩もいます。K学校の入校式を終えての記念写真。

           

 在校半年も経つと何となく形になってきました。

 同期の者はとっくに定年を迎え勤めを終えています。今は前述のように訃報もちらほらですが、

在校中には、熱く正義感を大上段にかざして語り合った記憶は永遠です。

 第一線に出て、交通の取り締まりなど、時に恨みを買う仕事もありましたが、身近な者にも言えないこと、判断に迷うこと、時に身に危険を覚えることなどなど、小輩一身上の都合で在職期間はそれほど長くはありませんでしたが、それでも数々の経験をいたしました。

 小輩自身の人生の一端を振り返りつつ、友の死を悼み冥福を祈ります。

 

 

 

 

 

 

       

 3月になった。そう聞くだけでも春めきを覚えないでもない。昨日、今日はそんな日だ。

 3月を古風に言うと「弥生(やよい)」と言いますが、由来を引いてみた。

 このころになると草木が芽吹くころ。先人はそれを「木草(きくさ)弥(いや)生(お)ひ茂る月」といったことから「弥生」の名称がついたと、あった。

 弥生3月と言えばこれ

    

かなり古いものと思える、いつのころからか我が家に在って飾っている。上段対のかぶり物と下段の持ち物は当方にて作ったものです。何故にか親しみを覚えて放し難い。

 3月3日は言わずとも「ひなの節句」と言う呼称が一般的であるが、本来の呼び方は「上巳の節句」と言うらしい。祀る意味合いは昔も今も変わらず、子女の健やかな成長を祈念してのもの。

 節句と言うと五節句と言って

   3月3日  上巳(じょうし)

   5月5日  端午(たんご)

   7月7日  七夕(しちせき)

   9月9日  重陽(ちょうよう)

と日の重なることがほとんど。だがもう一つの節句は

   1月7日  人日(じんじつ)と言って、1月1日の元旦ではない。どうやら、元旦は1月1日をさす日本での言い方に過ぎず、古来中国にはなかった。新年を迎えての祝事、いわゆる節句としては、今でいう七草正月に充てられていたと思われる。(小輩の推測に過ぎません)

 

 こんな歌を聞いています。

 ♪夕笛

    故郷の蒼い月夜に

   流れ来る笛の音きいて

   君泣けば私も泣いた

   初恋の夢のふるさと

 

   おさげ髪君は十六 

      春くれば乙女椿を

   君摘んで浮かべる小川

   思い出は花の横顔    船村 徹さんの作曲で、本人が歌っています

 

 春の季節にはいろいろの出来事が重なる時期です。物事の始まりに例えられます。良いことへの志向をより強く感じるのだが、世界も世間も良いことばかりではないことを憂います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供のころかるた遊びに興じた覚えは消えない。「犬も歩けば・・・」で始まって「論より・・・」「花より・・・」と。どれもが所謂諺の文言になっている。ほとんどのフダは記憶に残っている。そんな中で今!

まさにその通りだと思うのは

    

これではないだろうか。「無理が通れば道理引っ込む」というフダだ。

道理にかなわないことが平然と行われる世の中は、道理にかなった正論を説いても通用しないということ、と理解する。

 24日露軍のウクライナ侵攻が始まった。報道による限りではあるが、ロシアに道理があるようには思えない。大国の暴挙とも報じられる。今後の行方に緊張が高まる。

 国際連合は第二次大戦後主要国を中心に組織された。日本は10年ほど経過して国連加盟が許された。敗戦国条項と言うものがあって日本、ドイツなどは憂き目を味わった。余談ですが、1948年ロンドン五輪に、日本は招待もされなかったのだ。言うまでもなく、紛争を解決するための国際機関なのである。

その肝心な機関が機能しない状態に陥っていること、これが最大の問題なのである。安全保障理事会がその議論の場であるのだが、、米、英、仏、露、中の5か国のうち1か国が議題を拒否すれば、議論にならないという拒否権が認められているのだ。当事国がロシアであるのだから結論は明々だ。

 分からないことだらけ世の中、我が国もG7に足並みをそろえて制裁策に同調しているが、わが国民に制裁のブーメランが来ないことを祈らざるを得ない。

 今年も確定申告の時期が来ました。小輩申告書を作成すること60余年になります。親の商売の帳面を担当していましたので、決算書・申告書の作成は高校在学中からの経験です。ちなみに出身は商業高校です。卒業してからは、時に税務署へ行くことも・・・。税務署員とやりあったこともしばしば。記憶に消えない出来事は、根本の理由は失念しましたが、あまりにも「税法上は・・」と言う言葉を連発してくるので、いい加減肝に据えかね「税法、税法といますけど、自分これまで、免許を取得するので道路交通法は少し勉強しましたが、税法なんか聞いたことも、勉強したこともありませんので言ってることがわかりません」と返してやった。すると、少々間をおいて、何を思ったか署員は「わかりました結構です」と言って話を打ち切った。そのまま帰宅したのだが、いつ何を言ってくるか気がかりになって過ぎた。しかし、結果はその後なんの話もなく終わった。何がどう解決したのかわからず仕舞い。

 今年も国税庁のH・Pからの作成を試みた。

 

     

 1,2日の内に郵送予定。

 

そして卒業の時季

 小輩の高校時代と言うと、苔の生えるような時代の話。小輩は、卒業後就職する必要のない身であったので、自慢できる話ではありませんが、一切勉強から遠ざかっていました。点数は悪かったが、落第するほどの悪さではなかった。なに、よしんば落第したからと言っても、その後学校へ行くことがあるわけでもなし、卒業しました、と言う顔をしていれば、世間は怪しむことなどない、と決めてかかっていたもんだ。

 何をしていたかと言うと、つまらないものを書いて遊んでいました。ちょうど今の時季、卒業を目前にしたころの作です。ラストの文脈を一節

―――

 あの日、学校の図書館で彼女と出会ったことから始まった一連の流れは、決して幻想や白昼夢などではない。初めから筋書きのないドラマに仕立てられていたのだ。台本のない偶然と言う舞台で、私と彼女とで演じた迫真の演技であった。しかし、その事実を知る者は誰もいない、そしてなんの証もない。

 春を待つ冬の日、心もとなく揺れる陽炎のように、私の心を少しだけ揺すった小さな出来事は、彼女から私への卒業記念だった。

 陽炎は春に立つ。しかも穏やかな日に立つ。冬の日に立つ陽炎があるなら、私はその陽炎を見ながら静かに卒業してゆきたいと思った。 (冬の陽炎から)―――

 

 卒業式は長い人生での一つの区切りのポイントでしかないかも知れないが、個々人においては重要なポイントであることは否めない。そんな卒業式はコロナ禍にあって、イレギュラーな式典を避けられない時勢。普通という観念のこれほど貴重なものとして受け止められるときはない。当事者には同情の念を禁じ得ない。