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一言の記

日常の中にある些細な出来事を
惚けた老人の目で見た独り言をつづります

やっと咲きました。

下は昨年鉢の脇から目を出した、朝顔の原種のようなもので

時季の終わった後、そのまま放置状態にしておきました。

今年再びその辺りから目を吹きました。大切に鉢にとり育てて

花を咲かせることができました。何とも健気・・・

 

 台風の余波で当地は朝から雨、時折強く降ったりで、しかも湿度が

高いのでムシムシ、気持ちの晴れぬ時間を過ごしています。

 本体は、明日夜から20日にかけて関東に最接近するとの予報である。

 

 暑さ寒さも彼岸まで、とか言います。無事に台風をやり過ごして、

秋を呼び込んでもらいたいと願って、我慢!!我慢!!!

 

 この秋は 雨か風かは知らねども 今日の勤めに 田草とるなり(二宮尊徳)

今日の勤めを持たぬ我が身に、願はくば神のご加護を。

 

 裏を見せ表を見せて散るモミジ(良寛)

 

  解らぬを解らぬままに秋の夕暮れ   旅人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14日未明台風14号が発生しました。12,13号が消えないままの14号。

―衛星画像-

―気象庁の予想図-

―ヨーロッパの予想図-

台風シーズンであるので、トリプルは過去になかったわけでもない。が

コースを見ると、このところのコースは先島諸島を集中攻撃しているように見える。

動きの遅いため、さらされる時間が長い。それだけ恐怖の時間と言ってよい。

 

 昭和24年8月31日、小輩小学校2年生、明日は2学期の始業式と言う日でした。

夕方から強まった風。夕食前だった、家にいるとき風にあおられて屋根がバタバタし始めた。

少し離れた場所にあった店にいる父親に連絡に走った。すぐに引き返してきた父親の

懸命な補修も奏功せず、屋根を飛ばされた。稲妻と雷鳴、強烈な雨風に打ち付けられながら

近所の工場の一角に、とりあえず夜を凌ぐため寝具等を運ばせてもらった。

 始業式の日、登校した級友たち、小輩ばかりでなく多くの者が、何がしかの被害に遭っていた。

東京地方を直撃したキティ台風。

 多くの人に何がしかの恐怖体験は有ろうと思う。それが何に対してかと、感じた度合いの問題か?

齢7歳にしての体験は、今だに尾を引いている。台風は嫌いだ。風の音に恐怖心

 

 台風の来ては思いず幾十年      旅人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この球根はコルチカムと言います。

御覧のように、土に植えることなくこのまま机のうえなどに放置しておくと、

いつの間にか芽を(すでに発芽しています)出して、開花します。

かなり昔からあるものですが、出回った当初は珍しさもあってよく売れました。

なんといっても、手入れ不要ですので、どんなにズボラなお方にでも手間がかかりません。

 

これは朝顔、ご近所さんから苗を分けていただいて鉢植えにしたものですが、

本家の方では早いうちからドンドン花が咲いています、が当方のものは

ようやくつぼみが来ました。分家の悲しさか?

寒くならないうちに咲いてくれることを・・・。

いずれも花が咲いた暁にはご覧いただきます。

 

  朝顔の季ずれし今年八十路旅      旅人

 

 

 

 

 

 

 

 昨夜は中秋の名月。

      

 この写真は借り物です。小輩撮影に失敗しました。

いつの間にか季節は進んでいます。外出も、会合もない生活は話題もおのずと狭くなります。少しさぼるとつい!疎かになって、もう何か月もの日が過ぎました。最近は秋を感じる気候となりまして、満月に誘われて、久しぶりの掲載となりました。

 

 

          

 

 

 

     

            尾花(ススキ)

 

     

          

 

 

 

         ナデシコ

    

  

        オミナエシ

 

         

           フジバカマ

 

  

             桔梗

      秋の七草です

 仕事柄人に説明する側でしたが、なかなか覚えられずに苦労した記憶があります。

  萩、尾花、葛に撫子、女郎花、また藤袴、朝顔の花(桔梗を朝顔と言ったそうです)

  十五夜にはススキを飾る人が大勢いた昭和の良い時代が偲ばれます。

 

 マンスマンスにムーン見るマンスは多けれどムーン見るマンスはこのマンスのムーン

  ( 月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月)

 

  コロナ禍に燦然たりし秋の月     旅人

 

 

 

 

 

 4月に入って好天気に見放されている。桜の時季には幸いに好天の日もあってぶらぶらとできたが

このところさっぱりです。昨日も今日も寒い雨に見舞われている。

 最近、気まぐれに一冊の本を求めた。こんな

 

日本人の始まりについては諸説あるが、本書は「ヒトゲノム」の解析から探った説である。いかにDNAの解析が進歩したからとはいえ、それが絶対であるとはいいがたい、ことが前提となる。

大筋は(小輩の読書感)――

主に3説ある

①置き換わり説

先住民族がいるところへ他からの民族が入って、先住民族が移動したという説

②混血説

もともと日本列島にはアイヌ系の人種がいた。根拠は、沖縄からアイヌ系のDNAを持った人骨が発見されているということ。当時は採集民族であった。そこに、入ってきたのは、海産物を採取して生活の糧を得る民族だった。その後採集から栽培に移り、より生活に安定を求めた。して稲作と言う究極の生活の糧を得る方法が伝わる。こうして幾度となく、あちこちから新たな人種が列島に達し、自らの生活基盤を広げながら、次第に原住の人種との混血が進んだ。稲作は、南方から伝わったとされていたが、実は大陸から伝わった可能性が強い。新たに列島へ達した民族は、群れを出て新天地を目指すものがいて、他の群れに合流していった。

③進化説

基本的には、もともといた原住民が年月を重ね進化していった。新たな民族の列島流入があったことは否定しないが、それは一部に限るとする説。何故なら、ひとの往来が頻度を増したのはずっと後年になってからだとしている。

本書は②の説と見てよい

――小輩の所感――

現代の日本人に繋がるのは、この3説すべてだと思う。②説と③説を繰り返しながら、より強いDNAを持った人種が、群れとして存在を増して、弱いDNAを凌駕していった。置き換わり説そのものではなく結果置き換わり説に近い状況に至った。全くの門外漢の言うこと・・・

 大和人とは

   敷島の大和心を人問はば 朝日ににほう山桜花

大和とはそんな昔からあったのだ。

 

 混濁の世を嘆くかな山桜    旅人