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一言の記

日常の中にある些細な出来事を
惚けた老人の目で見た独り言をつづります

 東京は10年ぶりの3月中の夏日との由。天気はいまいちだが気温は高い。満開のさくらを掲載したばかりで、恐縮ですが、先に紹介しました、当家の挿し木さくらが一段と葉を広げましたので再び掲載しました。

    

 

    

これはもう間違いなく根付いていると・・・。  とりあえず報告まで。

 

 

    

        満開のアザレア   20年以上毎年咲かせてくれています。

  

 WBCの余韻から――

昨夕侍ジャパンが凱旋した。羽田は大変な騒ぎでどこのチャンネルも一斉に報じていた。選手の記者会見を見ていて、それぞれの選手、スタッフのコメントに感心した。勝っておごらず、すべてを称え再びの日を誓い合っている姿に共感を覚えました。

 世界にはこうしたイベントに参加できなかった多くの人々のいることと、これを是としないかのような為政者がいることに、改めて遺憾に思わざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日の準決勝と今日の決勝戦は劇的な9回裏でした。WBCのこと。村神様の一振りで逆転勝利、と大谷さんの一投で1点差を死守するという、まさに作られたような舞台でのけりと言う幕引きに、野球ファンのみならず小輩のような素人までをも引きつけてあまりあった。そして世界中の目を集めた大イべントでした。栗山監督をはじめ選手皆さんのご健闘に敬意を表します。日本野球満開おめでとう!!。

 そして、今日東京の桜の満開が発表された。桜はどこにあってもそれなりの名所を為す。都会といえどこかローカルな雰囲気のある当地。今日の風景を撮ってきました。

  都会の桜です

   

 

    

 

    

ビルを背景に川面を飾るように咲く桜は今年も健在でした。天気予報は明日は崩れるとのこもあって遊歩道は見物の人で賑わっていました。

 図らずも満開二つに、四月の気と相まって気もそぞろと言うところ。明日から長雨になるとの予報が出ている。菜種梅雨とか言うらしいが、老体には陽気の変化の大きさは結構難儀なこと。

 

  満開の花見文化を誇らしく     旅人

 

 

 

 

 

 

 小輩が小学校に入学して、国語の教科書の初めにあった文字です。以前は 「サイタ サイタ サクラガサイタ」とカタカナ表記であったとか。一年先輩からひらがな表記になったと聞いた。

 

 昨日全国に先駆けて東京で桜の開花発表がありました。桜の名所を自認する神田川畔に住む小輩が気にならない訳がありません。早速馳せ参じてまいりました。

例年一番早く咲かせている木です

    

さすがに咲いていました。が何とも気の早い木がありました。

    

                       同じ木

一本だけこんなに咲いている、しかも北向きの位置・・・。何の加減なんだろう?

 桜の季節は気分もアップ、元気を授かるようです。昔、町内会では「桜まつり」と言う行事を催していました。桜の若木が河畔に植えられて数年、花を咲かせるようになって始めた行事でした。行事はコロナで中止となりました。

植樹以来40年、昨今木の衰弱が目立ち、花そのものに少なくなった感がある、枯れた木も多くなりまた。時の流れを感じますがしかし、花の絶えることはないでしょう。

 

   幾十年見慣れた桜去年今年       旅人

 

 

 

 

 このところ四月の陽気がつづいています。全国的に桜の開花が例年にない速さだとか・・。東京では16日の予想が出ました。

 当家では、先日掲載の挿し木の桜がより一層進みまして、成長した葉が確認されました。

    

 これは間違いなく根付いたものと認められます。左の枝にもわづかに葉の芽生えを見て取れます。

 今年もまもなく神田川畔の桜が咲くことでしょう。

 

 もう一つ珍しい写真を

    

これらはあるものの部品です。一体何でしょう?

 ものを作ることは誰もが経験する楽しみの内、だが破壊することも人間の心に内在する快感であろうと、小輩は思います。

 そこで、ある物を破壊したとき取り出した部品の一部がこれです。孫と共同作業の結果、これは残しておこうとの結論になりました。丁度よい空箱がありましたので・・・。

 

 孫となす破壊活動春の午後       旅人

 

 

 

 

 

 

 

 数日春めいた日が続いた。しかし、その間小輩は悲報に沈んだ。

 五十年以上にわたり親交のあった人が旅だった。昨秋ころ体調を崩して外出がままならない状態になった、と聞いて気にはなっていたのだが、この機に訃報を聞くとは思わなかった。急変だったと聞く。

 氏は、かつて着.物の絵師であった。仕事場にもずいぶんお邪魔もした。

 

      

これは下絵の図案、これから生地に写す作業になる。

 知り合ったきっかけは、地元から立候補した候補者の選挙戦の応援部隊の一員としてともに活動したことから始まった。以来幾多の選挙戦を経験してきた戦友である。近くに居住することから、日日の生活においても、親しくさせていただいた。時をかまわず立ち寄っては、お茶をいただき、夕飯をごちそうになること少なからず。様々な話に触れて、就中、郷里の信州高遠町の桜の話と、お孫さんの話をされるときには、ひときわ目を細くしておられた。先祖は高遠藩の家臣であったとも。お孫さんの成長を何よりも楽しみにしておられた。

 昨日、最後のお別れの式に臨み、多くの参列者が花を手向け旅立ちを送る中に、お孫さんの手がが頬に触れて別れを惜しむ姿を見たとき、一瞬「立派に成長した孫に見送られての旅立ちにさぞ笑みを浮かべていたと・・・」思うと、涙を誘われた。

 

    遠き日の春を思いて友送る       旅人