終戦の日とは言え、すべての戦いが終わった訳ではない。世界史の上では、この戦争が終わったのは1945年9月2日だ。いみじくもかつてのソ連、いまはロシアとなったが、彼の言い分は、終戦が9月2日であるから、それ以前に占領した北方領には権利を主張できると。その是非は言うまい。
8月15日以降に戦闘機で突っ込んだ若者もいた。そうした若者の死は何といえばよいのだろうか?
小輩戦争自体には記憶はない。8月15日はお盆。この日お盆の休みで実家に向かう母に手を引かれて歩いていたと。後に聞いた。途中小学校の脇を通ると母は、不思議な光景を目にした。平素なら招集された若者たちは訓練やら作業やらに追われている筈なのが、彼らの動く姿がない。遠めにだが、一部の者は廊下に横たわって昼寝。母は意味も分からず通り過ぎて行った、と。
それは玉音放送を聞いた多分直後のことだったのだろう。
78年の歳月を経て、いまだに戦火におびえる日々を送る人々がいることに、世界はどのように思うのだろうか。
小輩の古写真コレクションに一枚戦時中の写真がある。
町内の防火訓練、バケツリレーと思われるが参加者の主力はご婦人だ。町は男手不足そのものだった。町の半分は空襲で焼け出されたが、半分は焼失をまぬかれたと、先人から伝わる。
破壊されて赤さびた信号機、焼け出されたままの都電やバスの残骸など、その光景に意味も分からず不思議な気がしてならなかった記憶がある。
戦争こそ知らないが、戦後の疲弊した時代に育った小輩、今は昔。










