私の週末と母の思い | 自分を信じて進んでみたら...人生どうなるのかな
今日は子どもの試合を観戦しに行ってきた。

ちょっと試合会場が遠かったのと、
途中でお腹が痛くなってしまい、
トイレの中で(失礼)、
“今日は行くのやめちゃおうかなぁ〜”
なんて思いつつも、
会場に着いて、子どもの試合を観ると、
やっぱり来て良かったと思う。

試合は前回に続いて負けてしまったけれども、
子どものいいプレーが観れたし、
チームメイトと一緒にプレーしている子どもの姿を観るのは
何と言っても楽しい。

まぁ、
我が息子、試合後は、
普段見ない感じの不機嫌さだったけれども...。

審判がとってもいい加減で、
フェアではなかった事と、
相手チームの試合の進め方が、
反則的に酷かったからね。

審判も人間だから多少は見逃すこともあるし、
普段はそういう事を愚痴らない子どもが、
今日はその審判の内容が酷すぎて、
ブリブリブリブリ怒っていた。

おまけに、
相手チームの子に掴まれた時に腕を引っ掻かれて、
大きな爪痕も残っているはで、
散々だったようだ。

“まぁね、
そんな試合もそんな日もあるよ。”
と言いつつも、
腕の傷は痛そうだったよ。

そんな試合の後は、
あーだこーだと今日の試合を振り返りながら、
いろいろな話をしながら家に帰る。

こんな日は、
タピオカミルクティでも飲みながら気分転換だよ。
タピオカのなんとも言えない食感を楽しみながら、
甘い甘ーいミルクティーを堪能...

...危険...
いや、これ砂糖多いしカロリー相当高いよね。

はははっ。たまにだからいいかっ。

だんだん期間限定の子育ての時期が過ぎていき、
子どものイベント1つ1つが貴重だ。

後何年かしたら、
こんな風に試合を観に行ったり、
子どもとタピオカミルクティを飲みながら、
試合についての感想を語り合ったりする時間はなくなり、
子どもはもっと同年代の友人と過ごす時間が増えるのだろうなぁ。

と言うか、
私と過ごす時間はほとんどなくなるのだろう。
今だって、
相当ラッキーな感じで子どもと過ごす時間があるくらいだもの。

親子であることは生涯変わらなくても、
子どもと同じ時を似たような感覚で一緒に過ごす時間は、
人生の中では意外と少ないよね。

生まれてから小学校くらいまでは、
愛らしくって無条件に可愛くて、
親の手も十分に必要な時期。

中学生の時期には、
魔物が潜んでいるのかと思うほどの、
反抗期と混乱を経て、
穏やかな青年に近づいて行く。

この反抗期のピークを過ぎた後の時期は、
小さかった時の可愛さとはまた違う子育ての面白さがあって、
子どもの心の成長の過程や考え方、
価値観などについての発見を目にする事が多くなる。

そして、
それを目にするたびに、
心から母親としてほっこりした気持ちになる。
子どもも子どもなりに絶望して、
未来が見えない時期があったわけだからね。

そこからよく頑張ったな..と
ただただ嬉しい。

そしてやはり思うのだ。
時間がかかろうとも、諦めないで、
ただただ出来ることをやり続ける。
結果がどうであるのかは、
行動してみなければわからないことも多いのだから。

もちろん、
諦めたくなるような厳しい現実を何度も経験し、
人生を投げ出したいと思った事だって、
幾度もあったけれどもね。

出来る事をやり続けても、
結果が変わることもあれば、
変わらない事もあるわけだけれども、
いきたい方向に向かって行動した月日は、
結果だけではない多くの副産物を生み出しているように感じているのだ。
そして今こうしてそれを実感できるのも、
子どもの成長過程を見ているからだろう。

だからこれからも、
自分を信じて生きていきたいと思うのだ。
母がそう生きる事は、
身近な大人の生き方として、
子どもの人生にも影響していると思うしね。

そして、
今の、子どもとのこの時間を愛おしみながら、
子どもの自立の時までじっくり子育てを楽しみたいな。