子どもとの距離感 | 自分を信じて進んでみたら...人生どうなるのかな
人生は長く生きていると複雑な事もあるから、
いろいろな想いを抱えながら生きている。

今の平穏な日々の中でだって、
悲観的には感じていないけれども、
人生というものをいろいろな角度で考え、
どう子どもを守っていくか、
日々その方法を探っている。
もちろん子どもにとっての母としての役割と、
経済的なものも含めてだ。

私の人生は少し、
子どものために生き過ぎているかもしれない。
でも、
限りある母親業を日々楽しんでいるだけ。
最終的には、
子どもが自立する事を親として目指しているわけだし、
今の親子関係をいつまでも続けるつもりもない。
だから、毎日が愛おしいのだ。

子どもは一般的には青年の域に近付いているけれども、
学校のことやスポーツの事、友達の事など、
自分の感じていることや、
思っている事を意外とよく話す。

子どもを見ていると、
“僕はこう思っているんだけれども”
と彼なりの主張を言葉にする事によって、
自分の考えを再確認している感じだ。

それに対して私は私の大人としての感覚や、
人生の中でどう考えていく事ができるのか?
という様なヒントや方向性を示す事もあるし、
子どもと一緒に出来事に怒ったり、笑ったり、
喜んだり。

時々は、母としての意見に理解を示しながらも、
“自分はまだ大人ではないし、
周りも大人ではないから、
今はこのままで良い”
と自分なりに自分の行動を客観的に見ている事もある。

こんな時ははっきりと
子どもは自分の考えを持ち、
当たり前に親の言うことだけを聞く
小さな子供ではなくなっていることを実感するし、
私と子どもは当たり前に別人格で、
そうである事が嬉しい。

柔軟さも見えてきたし、
自分なりの考えを持っていて、
たまに私の方がハッとする。

親子関係はいい方だと思うけれども、
いい感じの距離感という事かな。
心理的依存は、
私も子どももお互い卒業に近い。

最近は私もジムでトレーニングを始めたので、
自分の時間を黙々と楽しんでいるし、
子どもは子どもの時間を楽しんでいる。

その反面、
子どものスポーツの試合や学校行事なども、
どんどん観にいく。
子どもも意外と嫌がらない。

その日の試合の内容について、
親子で振り返ったり、感想を言い合ったり。

もちろん、
試合を観に来てほしくない時期も、
試合について触れてほしくない時期もあったけれどもね。
でも成長とともに
いろいろな部分が大人に近い感覚になって来たのと、
私たちの距離感も子どもには心地良さそうだ。

私が子どもにできる事は最大限に協力するけれども、
それは私がしたいからするのであって、
もちろんそれに見返りなんて期待していない事を
子どもはよく理解しているし、
子どももそれが当たり前のことではなく、
その事に心から安心感を持っているのだと思う。

そういう意味では、
私の人生の中の1つの目的である
『子どものスーパーかぁちゃんになる』
は少しは達成されそうだ。