私も緊急時の動画撮影及びその報道に強く疑問を感じます。動画撮影の影響で人命が失われたら、どうやってお詫びするつもりなのでしょうか。もしその影響で自分や大切な人の命が絶たれたとしたらとは考えないのでしょうか。このようなことを許容してはならないし、まして結果的に助長するようなことも言語道断だと思います。
「…人は夢幻のやうなる世に、誰かとまりて、悪しきことをも見、よきをも見思ふべき…」
“訳文” 人間は夢や幻のような(短くはかない)この世に、だれが生き長らえて、悪いことをも(真に悪いと)見、よいことをも(真によいと)見たり思ったりできようか(いや、だれもできないだろう)
『堤中納言物語』「虫めづる姫君」より
前回の「蟲」というブログで今年を終えるのも、どうかと思ったので “虫”や“幻”という言葉が繋がるこの一文を書いてみました。何はともあれ、穏やかな年を迎えることができますように。
“訳文” 人間は夢や幻のような(短くはかない)この世に、だれが生き長らえて、悪いことをも(真に悪いと)見、よいことをも(真によいと)見たり思ったりできようか(いや、だれもできないだろう)
『堤中納言物語』「虫めづる姫君」より
前回の「蟲」というブログで今年を終えるのも、どうかと思ったので “虫”や“幻”という言葉が繋がるこの一文を書いてみました。何はともあれ、穏やかな年を迎えることができますように。
今年の八月から新たな就労支援の事業所に通っています。
先日、その事業所に体験の方が来られました。最近まで入院されていたようで見るからに状態が良くない様子でした。
「病院で頭にムシをイレラレタ、友達が○X△?○△、ベイグンノもるもっ、」
「このムシは知的ノウリョクノ高いムシ、、」
一見して相当な幻想にとらわれていると思ったので何か聞かれても軽く受け流しました。
しかし、よく考えて見るとあながち幻想と片付けられないのではないか思うのです。
私たちは日々マスコミにせよネットにせよ何らかの情報よって考えが左右され、知らず知らずのうちに、それは私たちの思考方法にまで及び行動まで左右している、そう言えば言い過ぎでしょうか。
(セカイを牛耳ろうとするセイリョクのツゴウの良いように、、)
多かれ少なかれ、私たちは目に見えないムシを入れられている、かといって情報と完全に決別して生きていくことも出来ません。
あまり深く考えると、私まで幻想にとらわれてしまいますので、この辺で。
先日、その事業所に体験の方が来られました。最近まで入院されていたようで見るからに状態が良くない様子でした。
「病院で頭にムシをイレラレタ、友達が○X△?○△、ベイグンノもるもっ、」
「このムシは知的ノウリョクノ高いムシ、、」
一見して相当な幻想にとらわれていると思ったので何か聞かれても軽く受け流しました。
しかし、よく考えて見るとあながち幻想と片付けられないのではないか思うのです。
私たちは日々マスコミにせよネットにせよ何らかの情報よって考えが左右され、知らず知らずのうちに、それは私たちの思考方法にまで及び行動まで左右している、そう言えば言い過ぎでしょうか。
(セカイを牛耳ろうとするセイリョクのツゴウの良いように、、)
多かれ少なかれ、私たちは目に見えないムシを入れられている、かといって情報と完全に決別して生きていくことも出来ません。
あまり深く考えると、私まで幻想にとらわれてしまいますので、この辺で。
以前から南方熊楠の名前だけは知っていて、いつか彼の著述を読んでみたいと思っていました。あるとき、彼の代表作『十二支考』を読んだ方の書評を拝見したのをきっかけに、ひとまずどれか読んでみようという気持ちになりました。その書評の内容は、人々はネットで多くの情報を知ることが出来てAIがもてはやされる時代ではあるが、いかに熊楠という人がすごいかという主旨だったように思います。
熊楠の著作を調べてみて一番興味深いと思ったのは「神社合祀に関する意見(書簡)」でした。彼の随筆集を借りてこの書簡を読み始めたところ、あまり理解出来ず、私には難しかったかなと思いすぐに挫折しました。同じ本に収められた他の著作で龍の話やら彼の半生が語られた履歴書なるものを読むとこれがとても興味深い話なので引き込まれるように読みました。そうしてなんとなく彼の人となりや言葉の特徴を掴んで、改めて「神社合祀に関する意見(書簡)」を読むと、あんなにわかりづらかったのが不思議と自分の中入って来るようになりました。
当時小さな村の神社を廃止して近くの神社に合祀する政策がとられようとしていたのですが、小さな村の神社がなくなるとそこにしか棲息しない植物や生物が絶えてしまうこと、人々の生活は神社と共にあること(短文では言い尽くせませんが)、どうにかして合祀を食い止めようする切実な彼の熱意が伝わってきました。
そうして読み終わった次の日、日課の散歩で近くの神社の周りの植物を観ると、いつもと違って見えました。なんと様々な植物や生物が棲息しているのだろう、この植物の実を求めて様々な鳥がやってきて、その落とした糞によってまた微生物が繁殖して生命の循環がなされている、それは神社だけでなく神社を維持し参拝する人々とも繋がっていると思うと、植物の一葉一葉がしみじみと眼に写されるように感じました。

そうして本の終わりの解説を読んでいると、偶然にもずっと気になっていた『竹取物語』の燕の子安貝にも関連する「燕石考」という論文を熊楠が書いていたことを知りました。早速その本を図書館から借りて読もうとしました。
すると、またしても難しくて、とても頭に入って来ません。特に「燕の子安貝」の出典を知りたくて、それを見つけようと読んだので落ち着いて文章を理解しようという気持ちになれなかったのです。そこでこれまた他の著述を読んでみました。それは土宜法竜という方に宛てた書簡ですが、ここに熊楠の学問に対する姿勢というか、哲学というか、そういうものが語られていました。こちらも短文での説明はしがたいのですが、その中の重要な言葉に、理不思議、物不思議、事不思議、心不思議、大不思議というものがあります。大不思議は人智では推し量る事の出来ないものですが、その他の諸不思議はどうにかして知ることが出来る不思議だそうです。本当に手短にいうとその諸不思議を明らかにしよう追求しようというのが学問の姿勢なのだと、私なりに解釈しました。そうして「燕石考」を読むとなぜ80にも及ぶ多くの引用文献の記述を列挙してまで説明しているのかが解るような気がしました。
そして朝の散歩に燕を見るとこれまたいつもの燕と違って見えました。とても元気に喜んで飛んでいように見えました。燕は人や農作物に害になる虫を食べてくれる益鳥だそうです。そうして秋の社日を知って南に帰ってゆくと言われています。もうすぐお別れだね、また元気に帰って来てねと声をかけたくなりました。
本来私には読むことが難しかった書簡や論文がこのような過程を経ることによってどうにか読めたのは、“心不思議”ではなかろうかと思うのです。それはなんとなく他のものから読んだのですが、全くの偶然ではなく直感的にこの方を選んだ私がいるように思います。
“心不思議”は少し気をつければ、私たちの生活の身近なところにいろいろと存在するのかもしれませんね。
熊楠の著作を調べてみて一番興味深いと思ったのは「神社合祀に関する意見(書簡)」でした。彼の随筆集を借りてこの書簡を読み始めたところ、あまり理解出来ず、私には難しかったかなと思いすぐに挫折しました。同じ本に収められた他の著作で龍の話やら彼の半生が語られた履歴書なるものを読むとこれがとても興味深い話なので引き込まれるように読みました。そうしてなんとなく彼の人となりや言葉の特徴を掴んで、改めて「神社合祀に関する意見(書簡)」を読むと、あんなにわかりづらかったのが不思議と自分の中入って来るようになりました。
当時小さな村の神社を廃止して近くの神社に合祀する政策がとられようとしていたのですが、小さな村の神社がなくなるとそこにしか棲息しない植物や生物が絶えてしまうこと、人々の生活は神社と共にあること(短文では言い尽くせませんが)、どうにかして合祀を食い止めようする切実な彼の熱意が伝わってきました。
そうして読み終わった次の日、日課の散歩で近くの神社の周りの植物を観ると、いつもと違って見えました。なんと様々な植物や生物が棲息しているのだろう、この植物の実を求めて様々な鳥がやってきて、その落とした糞によってまた微生物が繁殖して生命の循環がなされている、それは神社だけでなく神社を維持し参拝する人々とも繋がっていると思うと、植物の一葉一葉がしみじみと眼に写されるように感じました。

そうして本の終わりの解説を読んでいると、偶然にもずっと気になっていた『竹取物語』の燕の子安貝にも関連する「燕石考」という論文を熊楠が書いていたことを知りました。早速その本を図書館から借りて読もうとしました。
すると、またしても難しくて、とても頭に入って来ません。特に「燕の子安貝」の出典を知りたくて、それを見つけようと読んだので落ち着いて文章を理解しようという気持ちになれなかったのです。そこでこれまた他の著述を読んでみました。それは土宜法竜という方に宛てた書簡ですが、ここに熊楠の学問に対する姿勢というか、哲学というか、そういうものが語られていました。こちらも短文での説明はしがたいのですが、その中の重要な言葉に、理不思議、物不思議、事不思議、心不思議、大不思議というものがあります。大不思議は人智では推し量る事の出来ないものですが、その他の諸不思議はどうにかして知ることが出来る不思議だそうです。本当に手短にいうとその諸不思議を明らかにしよう追求しようというのが学問の姿勢なのだと、私なりに解釈しました。そうして「燕石考」を読むとなぜ80にも及ぶ多くの引用文献の記述を列挙してまで説明しているのかが解るような気がしました。
そして朝の散歩に燕を見るとこれまたいつもの燕と違って見えました。とても元気に喜んで飛んでいように見えました。燕は人や農作物に害になる虫を食べてくれる益鳥だそうです。そうして秋の社日を知って南に帰ってゆくと言われています。もうすぐお別れだね、また元気に帰って来てねと声をかけたくなりました。
本来私には読むことが難しかった書簡や論文がこのような過程を経ることによってどうにか読めたのは、“心不思議”ではなかろうかと思うのです。それはなんとなく他のものから読んだのですが、全くの偶然ではなく直感的にこの方を選んだ私がいるように思います。
“心不思議”は少し気をつければ、私たちの生活の身近なところにいろいろと存在するのかもしれませんね。
先日初めて『竹取物語』を読んで、誰もが知っている昔話の「かぐや姫」とは随分違うと思いました。その感想を自作の歌を交えて思うままに書いてみたいと思います。ちなみに声にするときは竹取ノ物語(たけとりのものがたり)と田中大秀の『竹取翁物語解』にあります。

〽かぐや姫 汝(なれ)こそ心を見せ給へ ゆかしきものは ありもせぬもの
かぐや姫は求婚者の心を知る為に無理難題を提示します。そのひとつに「仏の御石の鉢」があり、これは釈迦が成道したとき四天王が鉢を奉ると、釈迦は自らに相応しい器は石の碗であると重ねてひとつの鉢にしたものだと伝えられているものです。石作(いしつくり)の皇子はそれを持って来るようにいわれるのですが、彼は、はなからそのようなものはない、たとえ存在しても手に入らないとわかっていたので偽物を持って来たのだと思います。
また、庫持(くらもち)の皇子は蓬莱山にある根が銀(しろがね)で茎が黄金(こがね)で白い珠をつけた枝を持って来るようにいわれます。しかし彼もそのようなものは唐国の作り話だと思っていたので職人に偽物を作らせたのでしょう。
阿部御主人(あべのみうし)が要求され大金をはたいて購入した火鼠の皮衣は火に焼けないはずが、あっけなくかぐや姫に焼かれてしまいました。これらの話からいかに唐国にはまことしやかな作りごとが多いかということが察せられます。

〽伴に月へと 泣き伏す翁 その心こそ 実(まこと)のこころ
以下はかぐや姫が月へ帰るときの翁の台詞です。
「何しに、悲しきに、見送り奉らむ。われを、いかにせよとて、捨てては昇り給ふぞ。具して率ておはせぬ」
なんと、手放しで泣いていることでしょう。
私の記憶の昔話とはまるで違う竹取の翁。この場面が私は一番印象的でした。
この岡の向こうに竹取の翁がいました。
その昔、三吉郷(さんきごう)と呼ばれていたそうです。
※舞台の地は諸説あります。

「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろづの事につかひけり。名をば讃岐(さぬき)の造(みやつこ)となむいひける。……」
朝日の昇るころ岡の向こうから、今にも翁の竹を取る音が聞こえてくるようです。

〽かぐや姫 汝(なれ)こそ心を見せ給へ ゆかしきものは ありもせぬもの
かぐや姫は求婚者の心を知る為に無理難題を提示します。そのひとつに「仏の御石の鉢」があり、これは釈迦が成道したとき四天王が鉢を奉ると、釈迦は自らに相応しい器は石の碗であると重ねてひとつの鉢にしたものだと伝えられているものです。石作(いしつくり)の皇子はそれを持って来るようにいわれるのですが、彼は、はなからそのようなものはない、たとえ存在しても手に入らないとわかっていたので偽物を持って来たのだと思います。
また、庫持(くらもち)の皇子は蓬莱山にある根が銀(しろがね)で茎が黄金(こがね)で白い珠をつけた枝を持って来るようにいわれます。しかし彼もそのようなものは唐国の作り話だと思っていたので職人に偽物を作らせたのでしょう。
阿部御主人(あべのみうし)が要求され大金をはたいて購入した火鼠の皮衣は火に焼けないはずが、あっけなくかぐや姫に焼かれてしまいました。これらの話からいかに唐国にはまことしやかな作りごとが多いかということが察せられます。

〽伴に月へと 泣き伏す翁 その心こそ 実(まこと)のこころ
以下はかぐや姫が月へ帰るときの翁の台詞です。
「何しに、悲しきに、見送り奉らむ。われを、いかにせよとて、捨てては昇り給ふぞ。具して率ておはせぬ」
なんと、手放しで泣いていることでしょう。
私の記憶の昔話とはまるで違う竹取の翁。この場面が私は一番印象的でした。
この岡の向こうに竹取の翁がいました。
その昔、三吉郷(さんきごう)と呼ばれていたそうです。
※舞台の地は諸説あります。

「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろづの事につかひけり。名をば讃岐(さぬき)の造(みやつこ)となむいひける。……」
朝日の昇るころ岡の向こうから、今にも翁の竹を取る音が聞こえてくるようです。