わが盛り またをちめやも ほとほとに
平城の都を 見ずかなりなむ
大伴旅人 (巻三-331)
前回のブログでは、大伴四縄の歌(藤波の花は盛りになりにけり…)に応えた歌として、大伴旅人の心情を考えました。今回は言葉の意味も踏まえてみていこうと思います。
この「わが盛りまたをちめやも」とは、私の元気盛んな頃がまた再び蘇ってくるだろうか、いや蘇ってこないだろう、という意味だそうです。そこには蘇ってほしいなという気持ちも滲んでいるように思います。
「おちめ」は「変若め」と書きます。
「ほとほとに」は、ほとんどという意味です。
では「わが盛り」は何を指すのでしょうか。
元気で若かった頃、人生の花が咲いていた頃、この時代を考えると旅人そして大伴氏が盛りだった頃ととらえることも出来ると思います。
そして、この「おちめやも」を使った歌が、一連の梅花の歌の後にあります。梅花の歌は大伴旅人がたくさんの人を招き宴を催して、それぞれが梅の花の歌を詠んだもので全部で三十二首あります。
「おちめやも」の歌は梅の花の歌三十二首と別枠に “員外の、故郷を思ひし歌両首” と題されて、詠んだ人の名は記されていませんが大伴旅人であろうと考えられています。
わが盛り いたくくたちぬ 雲に飛ぶ
薬食むとも またをちめやも
(巻五ー847)
六十歳を過ぎ遠く九州へ赴いた旅人は着いてすぐに妻を亡くしました。この宴の二年ほど前のことです。おめでたいお正月の席ではその悲しい心情を表すことは出来なかったのでしょう。それで主人あるいは大伴旅人とはせずに、あえて員外の人としてその心情を残したのだと思われます。
また、その次には “後に梅の歌に追和せし四首” があります。下の歌はそのうちの一首です。
我がやどに 盛りに咲ける 梅の花
散るべくなりぬ 見る人もがも
(巻五ー851)
「見る人もがも」は、見てくれる人がいたらなあという意味です。見る人は旅人の亡くなった妻をさしていて、妻が生きていて見てくれればなあという旅人の気持ちだろうと思います。
元号の令和のもととなる梅の花の歌の美しい序文、その風雅を極めた華やかさの裏にこのときの大伴旅人の心のうちがここに残されているのではないでしょうか。
わがそのに うめのはなちる ひさかたの
あめよりゆきの ながれくるかも
あるじ
(巻五ー822)