遺跡を訪ねて | ひだまり 日常生活

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この頃少し寒さも和らいできたので、近くの遺跡を訪ねて歩いています。

薬師寺、唐招提寺、岡寺、蘇我馬子の墓(石舞台古墳)など。

古に心を寄せる気持ちで行ったつもりが、いつしかその場の雰囲気にのまれて、古物を玩弄するような眼、観光スポットを見る好奇の眼になってしまい、それを払拭しようにも、どうにも難しく、現代人だものと半ばあきらめてぶらぶらと歩きました。

唐招提寺では奈良時代に造られた国宝の鑑真和上坐像が六月の特別な日にしか拝むことが出来ないとのことで、精巧に造られた御影像(身代り像)を拝観しました。ですが、どうしても教科書で見た眼になってしまいます。それは鑑真和上を拝むという心から遠くかけ離れた客観的な学術的な眼なのです。そこへ、「いわゆる影武者やな」と言って一瞥して次を急ぐ人がいましたから、何かたまらなく虚しくなりました。

薬師寺は東塔だけが兵火から逃れ古をそのまま伝えています。ですから伽藍のほとんどが復元なのです。あの鮮やかな色彩は復元以外何物でもない。けれども、復元とはわかっていても、その伽藍の中の広い空間にいると心が安らぐ穏やかな気持ちになるのは一体どういう訳でしょう。

これこそ情緒だ、我々が昔から心の底に持つものだと、咲き始めた梅の花を眺め空想に耽っていると、よくぞ東塔だけでも残ってくれた、よくぞ復元してくれたという気持ちがわいてきたのです。

先日訪れた蘇我馬子の墓(石舞台古墳)は、もうすっかり観光地になってしまいました。お堀を復元したにもかかわらず、かえって古から遠ざかってしまった気がするから不思議です。薬師寺は復元で蘇ったような気がした一方、石舞台は復元したことが想像力をかきけしてしまうのです。ただ、古墳の向こうの低い山の生活の営みが何とも穏やかに見えました。そして石舞台公園の片隅に咲いていた梅の花が公園で遊ぶ人々を遠くから見守っているような、早春の訪れを告げていて、そこだけが色彩のあるような、そんな気がしました。